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今を悩む人へ届ける:離れることと、捨てることは違う。
日本を離れた自分が、もう一度日本を歩いてみた
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今を悩む人へ届ける:離れることと、捨てることは違う。 日本を離れた自分が、もう一度日本を歩いてみた

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andy_dang_in_Vietnam

2026年09月05日 03:54

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序章

苦悩ばかりだった過去。それは、いつまでも引きずり続けがちだった。
けれど、すべてを精算する時が来た。

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「日本」は、国名だけを意味するものではない。日本とは、そこで生まれ育った人間の中に染み込んだ「心得」そのもの。

礼を重んじる。謙虚でいる。決まりを守る。時間を正確に刻む。正直でいる。報告、連絡、相談をする。義理と人情を大切にする。そして、自分たちが暮らす土地に宿るものを尊重する。

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日本には、古くから「八百万の神」という考え方がある。山にも神がいる。海にも神がいる。森にも、川にも、岩にも、風にも、そして太陽にも。太陽神であらせる天照大神を祖神とする神話や皇室につながる長い歴史もまた、日本人が自分たちの国を理解するうえで、切り離せないものの一つ。

「天皇家がいなければ日本はない」

そんな意見の背後には、単なる政治や制度だけでは説明できない、日本列島で長い時間を生きてきた人々の記憶があるのかもしれない。古代より、日本に住むということは、「海や山とともに生きる」ことだった。

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自然は美しい。しかし、同時に恐ろしい。

日本で起こる災害は数多くある。
台風が来る。大雨が降る。地震が起きる。津波が襲う。山が崩れる。海が荒れる。だからこそ、自然を敬い、神社に参拝し、日々の仕事の無事を祈る。「自然とともに生きる」という言葉は、決して穏やかなだけの思想ではなかったのだと思われる。

自然の前では、人間は小さい。だから、自分を律する。
自然の前では、わがままは言えない。だから、他者を尊重し調和を保つ。
目に見えないものにも敬意を払う。

そんな日本人の感覚は、長い年月をかけて形づくられてきたのではないだろうか。

ところが私は、そんな日本から一度、離れる決心をした。2023年、私は日本を脱出。
翌年、ベトナムへ移住した。

日本を離れた理由は、一つでは言い表せない。いろいろなことが積み重なり、いつの間にか「ここではない場所で生きてみたい」と思うようになっていた。

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「日本が嫌いになった」のだろうか?

そう言ってしまえば簡単なのかもしれない。けれど、本当はもっと複雑。日本で受けた苦しみや違和感と、日本という国そのものを、同じものとして扱っていいのだろうか。それが、海外に出てから私の中にいつも残り続けた問いだった。

ベトナムで暮らし始めて、私は日本を忘れたかった。ところが、忘れようと、遠ざけようとすればするほど、日本のことを考えるようになった。人間というのは不思議なもの。離れて初めて見えるものがある。失って初めて、大切だったと気づくものがある。そして、嫌いだったものの中にさえ、自分を形づくった何かがあったことに気づく。

だから私は、もう一度日本を見ることにした。

「日本に帰る」のではなく、
日本と向き合うために、行く。

それが、この旅の目的。

大阪湾上空 関西国際空港

ハノイ発フライト*****は関西国際空港へ向けてファイナルアプローチに入った。窓の外には大阪湾。眼下に広がる海面が、少しずつ近づいてくる。右主翼の彼方には、生駒山や信貴山へと連なる山地が見える。海と山。その間に広がる大阪平野。そして、その海の上に突き出すように造られた人工島。私は窓の外を眺めながら、ふと思った。

これが日本なのだ。

海と山に挟まれた、狭い土地。人々はその土地に町をつくり、道路をつくり、線路を敷き、家を建て、山の際まで生活圏を広げていった。

「ヤマト」と呼ばれる由来には、「山の人」を意味するという説もある。本当にそうなのかは分からない。けれど、空から日本列島を眺めていると、その説にも妙に納得してしまう。

海があり、山があり、そのわずかな隙間に、人間が暮らしている。

ただ、飛行機から見えた景色には、もう一つの印象があった。山肌に張り付くように広がる住宅。緑の斜面へ食い込むように連なる家々。自然と人間の生活圏が、ほとんど押し合うように存在している。

私は、この景色をいつから知っていたのだろう?

初めて見たときのことを思い出そうとした。けれど、思い出せない。子どもの頃から当たり前に見ていたからなのかもしれない。日本にいた頃には、何とも思わなかった景色。それが、海外で暮らした今の私には、少し違って見えた。

(ドスン)

三年ぶりの日本だった。
「帰ってきた」という感覚は、あまりなかった。

第一章 大阪

関西空港から、エアロプラザへ。南海電車へ乗り換え、新今宮駅を目指す。ラピートβの座席に座り、窓の外を眺める。
りんくうタウンが見えてきた。進行方向左側に座っていたので、同時に、日本の街が、窓の右の方から少しずつ現れてくる。住宅。道路。電柱。看板。コンビニ。マンション。駅。どれも知っているものばかりだ。なのに、自分は、もじもじして、どこか他人行儀だった。三年前まで、私はこの景色の中にいた。

いまはもう、違う「ところ」なんや。

ここは自分の「すみか」ではない。

「ねぐら」でもない。

かつて生活していた場所ではあるけれど、今の私が生活している場所ではない。だから、街を見ていても、懐かしさだけが湧いてくるわけではなかった。むしろ、少し離れたところから眺めるような感覚があった。異国情緒はない。新鮮味もない。なのに、自分の国なのに、自分の場所でもない。「日本に帰る」という言葉は、今の私には適切ではないのかもしれない。

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私は日本を出た。ただ、それだけなのだ。

「そりゃ、(住みつづける)ワイには無理な話やったんやわ」

そんな独り言が、頭の中に浮かんだ。

でも、そんな私にも、日本に来ると「戻ってきた」と感じる場所がいくつかある。その一つが、新今宮だった。とくに、新世界と西成だった。

交差点の焼き鳥屋

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御堂筋線の動物園前駅。太子交差点。その角を曲がったあたりに、私のお気に入りの焼き鳥屋がある。日本へ来る前に必ず思い浮かべるもの。それは、焼き鳥だった。炭が赤くいこり、その上で串が焼かれている。煙が立ち上がる。肉の脂が炭に落ちる。ジュッという音がする。その匂いが、煙と一緒にこちらまで流れてくる。

目と鼻が刺激される。そして、まだ注文したものが来ていないというのに、ビールが進んでしまう。こういうものは、説明するより食べたほうが早い。

言葉にできないものは、黙って食べる。それが一番いい。

ここの店主はベトナム人だった。日本の新世界で、ベトナム人が焼き鳥を焼いている。それだけでも、三年前の私なら少し不思議に感じただろう。でも、今の私には、それが妙に自然に見えた。日本にベトナム人がいる。ベトナムにも日本人がいる。国境を越えて人が移動する。

私自身が、その一人なのだから。

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そんなことを考えていると、店の人の友達だという「ハーちゃん」がやって来た。二十代のベトナム人女性。留学生ビザで日本へ来て、その後も働きながら日本で暮らしている。もう日本に来て五年ほどになるという。彼女のベトナムの実家は、私もよく知っている場所だった。

不思議な縁だった。日本の大阪で、ベトナム語で話をする。ベトナムの話をする。しかも、私が暮らしている場所と彼女の故郷は隣り合わせで、一度バスに乗って行ったことがあった。

ハーちゃんは日本で働き続け、日本で暮らし続け、この先も日本に居続けたいと言った。その一方で、私は同じ三拍子で、ベトナムに居続けたいと思っている。

ベトナム人で、彼女は日本へ向かい、私は日本人で、ベトナムへ向かった。

人によってそこに求めるものは違うということ

ハーちゃんは少し傷心気味だった。少し前に、日本人の恋人と別れたという。話を聞きながら、私はふと思った。

もし自分が、彼女の気持ちを変えられるような人間だったら。もし、彼女が「ベトナムに戻ってみよう」と思うような何かを、自分が伝えられたなら。そんなことを、ほんの少しだけ考えた。もしくは、もし自分が自分自身の気持ちをガラッと変えて、旅は忘れて今日から大阪に再定住できて、それなりの真摯な姿を見せられたなら。いずれにせよ無茶というものがあるけれど、即効で何か惹きを感じたのは認める。ハーちゃんも、自分がベトナムに居続けることを理解した瞬間に、ふっと何か諦めたような視線を感じた。

当然ながら、そのあとは何も進展はなかった。
けれど、それ以上に面白かったのは、あの日「日本に残りたい人」と「日本から出た人」が、同じ焼き鳥屋でビールを飲みながら穏便に楽しく話している光景だった。

人生は、どちらが正しいというものではない。日本に住むこともできる。海外に出ることもできる。戻ることもできる。出ていくこともできる。大切なのは、自分がどこにいるかではなく、そこで自分と他人をどのように尊重して生きるか。それなのかもしれない。

そんなことはさておき、新世界のジャンジャン横丁に行く話になり、そんな「即席二次会」の誘いを勢いで言ってみた。

「新世界探検隊の一員になる?」

すでに日が暮れていた。

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新世界の「今」

焼き鳥を食べ終えて店を出る。新世界は早いけれど、特別この日は静まる気配がなかった。むしろ、これからが本番で賑やかになるのではないかと思うほど、人の声があふれている。

通天閣が夜のとばりを突き破るかのようにそびえいる。

昼の新世界に行くことが多かった。

新世界の敷地には、串カツ屋、寿司屋、たこ焼き屋、土産物店。「大阪」と書かれた看板。派手な色の看板。店先から流れてくる音楽。呼び込みの声。笑い声。シャッターを切る音。

観光客が通天閣を背景に写真を撮っている。誰かがポーズを決める。その横で、別の人がスマートフォンを掲げる。少し歩けば、射的の店がある。台の上に並んだ景品を狙って、子どもも大人も真剣な顔をしている。

パーン。
乾いた音が響く。

「惜しい!」
そんな声が聞こえる。

少し北に上がれば、スーパーボールすくい。水の中を転がる色とりどりのボールを、紙のすくい網で狙っている。大人になった私から見れば、どう考えても簡単にはすくえない。それでも、人は夢中になる。そして、向かいの片隅には、昔ながらの理髪店。店先には、あの赤と白の理髪店のポールが回っている。それを見た瞬間、妙な懐かしさが込み上げた。

通天閣。串カツ。射的。スーパーボール。理髪店。

どれも、海外で暮らしている今の私には、少し遠い日本の記憶になっていた。しかし、この場所では、それらが全部現役だった。

そんな昔の記憶を振り返りながら、私は思った。

これも日本なのだ。
私が苦しんだ日本だけが、日本ではない。
会社で苦しんだ記憶も日本。
満員電車に押しつぶされた朝も日本。
昇級も昇進もなかった時代も日本。

けれど、

通天閣を見上げながら笑う観光客も日本。
串カツを頬張っている人も日本。
射的で景品を狙っている人も日本。
理髪店の赤と青のリボンがくるくる回るポールも日本。
同じ国の中に、いくつもの日本がある。
私はそのことを、海外に出て初めて強く意識するようになった。

ただ、そのときの私はまだ知らなかった。

この「いくつもの日本」の中に、自分がこれまで見ようとしなかったものが、まだ残っていることを。

西成のカラオケ居酒屋

新世界を離れ、西成のほうへ歩いていく。さっきまでの観光地らしい賑わいとは、少し空気が違う。けれど、ここにも人がいる。

酒を飲む人。話す人。歌う人。笑う人。

私は、あるカラオケ居酒屋に入った。そこには、テレビ局の取材も来ていた。カメラが回っている。マイクが向けられている。店の中では、そんなことを気にする様子もなく、酒を飲んでいる人たちがいる。

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誰かが歌う。誰かが笑う。また誰かが話す。
私は、こういう西成が好きだった。

ここには、よそ者を受け入れるようなところがある。

もちろん、誰もが誰にでも心を開くわけではない。それでも、
「お前は何者なんだ?」
「過去に何があったんだ?」
「どこで働いているんだ?」
そんなことを、いちいち説明しなくてもいい。

その場にいて、一緒に飲んで、歌って、笑えばいい。それが、私にはいくぶんとは言わず大いに心地がよかったのだ。

それは今でもそうだ。日本を離れてから三年。私は、自分の過去を何度も振り返ってきた。なぜ日本を出たのか。なぜあの頃、あんなに苦しかったのか。なぜ自分は、もっと早く日本を出なかったのか。そんなことを何度考えたか分からない。

けれど、西成にいると、
「別に、そんなことを説明しなくてもいいじゃないか」
と思えてくる。

一緒に飲んでカラオケで歌っている。
それでいい。
それで十分だ。

そして同時に、私は少しだけ考えた。それは、私が海外で暮らしてから初めて分かった、日本の良さの一つだった。

ただ、その雰囲気の「真意(こころ)」は、まだ分からなかった。

西成の朝

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翌朝、新世界の賑やかさから少し離れた萩ノ茶屋にある宿を出ると、西成には静かな時間が流れていた。派手な看板。観光客。串カツ。焼き鳥。人の声。そんな新世界の表情とは違い、少し歩けば、昭和の面影を残した食堂がある。

私はそこで和定食を食べた。

白いご飯。おかず。味噌汁。日本で暮らしていた頃なら、どこにでもある普通の食事だった。けれど、海外で暮らしてから食べると、その「普通」が妙にありがたかった。

美味しい。
そう思いながら、会計へ向かった。

店主はにっこり笑って言った。

「920円です」

その瞬間、私は少しだけ固まった。

「920円。高い」

いや、本当に高いのかどうかは分からない。今の日本の物価からすれば、普通なのかもしれない。けれど、私の記憶の中では、このくらいの和定食なら700円もしない。値札を確認したわけでもない。ただ、私の頭の中に残っている「日本の定食」の値段が、それくらいだったのだ。三年間、ベトナムで暮らした。その間に、私の中の「普通」の基準は変わらず、日本の状況が大きく変化していたのだ。

日本を離れるということは、単に住所を変えることではない。
物価の感覚も変わる。
人との距離感も変わる。
時間の流れ方も変わる。
仕事に対する考え方も変わる。

しかし、日本の状況については、そのままの記憶が残る。自分が以前当たり前だと思っていたものが、そのまま当たり前として化石のように潜在意識として眠り続ける。

920円の定食。たったそれだけのことだった。でも私は、その金額の向こう側に、ある日本語教員の話を思い出した。

動く歩道

今から10年ほど前。まだ日本に住んでいた頃、私はある日本人からこんな話を聞いた。その人は日本語科の専任講師だった。

日本で生きる人生は、「動く歩道を進むようなものだ」という。歩いている。前に進んでいる。けれど、進んでも進んでも、上には行けない。横を見れば、自分より速い速度で歩いている人がいる。だから自分も歩かなければならない。立ち止まれば、後ろへ流されるような気がする。

だから、一生懸命もっと働く。
だから、資格を取る。
だから、昇進する。人より先手を打ちに行く。

けれど、どんなに頑張っても、生活が劇的に楽になるわけではない。
それどころか、少しでも遅れれば、もっと苦しくなる。そんな社会を、その人は「動く歩道」にたとえていた。

私は、その話を長い間覚えていた。そして今、海外で暮らしてから日本に来て、その言葉をもう一度思い出した。大阪の街を歩く人々。駅へ急ぐ人。仕事へ向かう人。スマートフォンを見ながら歩く人。電車に乗る人。また降りる人。誰もが、どこかへ向かっている。止まっている人は少ない。

あと5メートル。あと10メートル。もう少し頑張れば、何かが変わる。
そう思いながら、人々は歩き続ける。

けれど、動く歩道そのものが動いているなら、歩き続けることだけでは、必ずしも遠くへ行けるとは限らない。私はかつて、その歩道の上にいた。そして今は、そこから降りている。だから、見える景色が違う。日本が嫌いだからではない。むしろ、離れたからこそ、日本のことを考えるようになった。このときの私はまだ、その「考える」ということが、これから自分の中にある日本への見方を大きく変えていくとは知らなかった。

あと5メートルの先、歩道は突然終わる。

生魂神社

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翌日、私は上本町へ向かった。そして、生魂神社を訪れた。街の中にある神社だった。大阪の街は、相変わらず騒がしい。車が走る。人が歩く。建物が並ぶ。看板がある。音がある。情報がある。そんな街の中に、一歩、神社の境内へ入る。

すると、不思議なほど静かだった。音がなくなったわけではない。街の音は、遠くに聞こえている。それなのに、ここには別の時間が流れているように感じた。

私は境内を歩いた。木々がある。風が通る。鳥の声が聞こえる。そして本殿を見ると、結婚式が行われていた。白無垢姿の花嫁。隣に立つ新郎。家族。神職。静かに進んでいく儀式。

私は、しばらくその様子を眺めていた。

派手ではない。
大きな音もない。
誰かが自分をアピールする場所でもない。
ただ、静かに人生の節目を迎える人たちがいる。

その光景を見ていると、ふと、「これも日本なんだ」と思った。
私は神社の境内をぼーっと見ていた。

すると、これまで自分の中で鳴り続けていたものが、少しずつ小さくなっていくのを感じた。

怒り。
悔しさ。
過去への執着。
「あのとき、こうすればよかった」という後悔。
「なぜ、あんなことになったのか」という疑問。

日本を離れてからも、頭の中で繰り返されていた言葉。それらは、私の中でずっとノイズになっていた。海外へ移住すれば、すべてが消えると思っていた。場所を変えれば、過去も消えると思っていた。
でも、違った。身体はベトナムにあっても、心の一部は日本に置き去りになっていた。そのことに、この旅で気づき始めていた。そして今。神社の静寂の中にいると、そのノイズが少しずつ消えていく。

何か特別なことが起きたわけではない。

ただ、静かな場所にいる。

それだけだった。

それなのに、心の中が少し軽くなった。

「日本人は、昔からこういう場所を必要としていたのかもしれない」

海や山に囲まれ、自然の猛威にさらされながら生きてきた人々。自分たちの力ではどうにもならないものを前にして、頭を下げる。祈る。感謝する。そして、自分の心を整える。

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神社とは、神様に願いを伝えるだけの場所ではないのかもしれない。自分自身を静かにするための場所でもあるのではないか。

「日本を精算する」

そう思って始めた旅だった。

けれど、もしかすると私は、何かを捨てるために日本へ来たのではない。自分の中に残っているものを、整理するために来たのだ。良いものは、良いものとして残す。悪かったものは、悪かったものとして認める。そして、もう自分を傷つけ続ける必要のないものは、手放す。それだけでいい。

道頓堀

神社を出て難波方面へ向かう。再び大阪ミナミの活気ある街の音が、出口の階段を上がると聞こえてきた。

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車のエンジン音。
人の声。
宣伝用BGM。
パフォーマーを取り巻く観客のざわめき。

でも、さっきまでとは少し違って聞こえた。

世界が変わったわけではない。変わったのは、私のほうだった。

道頓堀。グリコの看板。戎橋。パフォーマー。観光客。堀を行く船。あとは観光客の人、店の人、とにかく人だらけ。ここは、まるで街そのものが一つの舞台になっているようだった。写真を撮る人。動画を撮る人。食べ歩きをする人。誰かと笑う人。大きな看板が並ぶ下で、世界中から来た人々が交差している。

私はその人波の中を歩いた。

三年前まで、この国に住んでいた。そして今、私は外国からやって来た旅行者のように、この街を歩いている。

不思議な感覚だった。

以前なら、こんな光景を見ても「大阪の日常」としか思わなかったかもしれない。

でも今は違う。日本の外側を知ったからこそ、日本の内側にあるものが見えてくる。大阪の人たちの笑い声。店員の「いらっしゃいませ」。食べ物の匂い。看板の派手さ。人の多さ。そして、街の向こうに生駒山地が見えるはずだ。その山地に登れば、視界には大阪湾の海が入る。

海と山。
自然と人間。
静けさと喧騒。
過去と現在。

日本を嫌った自分と、日本を懐かしむ自分。その全部が、大阪という街の中に同時に存在していた。私は道頓堀の人波の中で、ふと立ち止まった。

日本を好きにならなければいけないわけではない。
日本を嫌い続けなければいけないわけでもない。

日本人だから、日本に戻らなければならないわけでもない。
海外で生きるからといって、日本を否定する必要もない。

大切なのは、自分が何を受け取り、何を手放し、これから何を大切にして生きるか。それなのだと思う。

けれど、まだ答えは出ていなかった。

むしろ、大阪を歩けば歩くほど、私の中には新しい問いが生まれていた。なぜ私は、日本をこれほどまでに嫌い、そして同時に、これほどまでに懐かしく感じるのか。

なぜ、海外へ出た今になって、日本の良さが見えてくるのか。

そして、なぜ日本で受けた苦しみは、三年経っても消えないのか。
この旅で、それらの答えを見つけられるのだろうか。

大阪の夜は、まだ明るかった。大阪の夜は、まだ終わらない。私はもう一度、頭上の空を見上げた。そこには、かつての私が見ていた日本とは少し違う日本があった。

ただし、それはまだ「好きになった日本」ではなかった。私の中にある日本への感情は、もっと深いところにあった。その場所へ向かうには、まだ先へ進まなければならない。

そこで私は、これまで避け続けてきた日本の記憶と、さらに深く向き合うことになる。大阪は、その入口に過ぎない。

これから京都へ向かう。

                       *筆者の記録より

京都。

私が日本で一番長く暮らした街。

そして、一番戻りたくなかった街でもある。

そう、私は、その京都へ向かう。

その、京都へ。

第2章 京都

大阪を離れ、京都へ向かう。電車の窓から見える景色が少しずつ変わっていくのを眺めながら、私はこれから向かう場所について考えていた。

「京都 Kyoto」

この名前を聞くだけで、私の中にはいくつもの感情が入り混じる。懐かしいと思う気持ちももちろんあるけれど、それと同じくらい、できれば思い出したくないという感情もあり、その二つが長い間、私の中で互いに譲らず残り続けていた。

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