その人の外側と内側のギャップ・1

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内外の不一致

幸せとは
現象面のことではなく
瞬間瞬間に
「感じていること」の中にある
・・・ということについて
もう少し見てみましょうか。

ある人が夢を叶えて、成功しました。
現象面=外側では、幸せになりました。
ひとまず、良かったですよね。

その瞬間、その人がどんなふうに
「感じているか、思っているか」
ひとつの例を挙げてみます。

「自分は成功したんだ!」と思って
まだそこに至っていない人を
馬鹿にしたり
威張ったり
見下したり。
この人はそういう人でした。

ここで質問です!
・・・この人が、この瞬間に
「感じていること」の中に
「幸せ」はありますか?



・・・この人が、この瞬間に
「感じていること」は
「※修羅(しゅら)」と言います。
(※醜い争いや果てしのない闘い
また激しい感情のあらわれ
などのたとえ。デジタル大辞泉より)

修羅とは仏教で言うと
人間の「平常心」よりも
「低い心の状態」
「地獄に近い心の状態」のことです。
または地獄界の一部として
「修羅界地獄」と言われています。
(こんな言い方、仏教って
ちょっと怖いですね(*^_^*)!)

常に他人と自分を比べ
上か下かで
争って生きてきた人です。
成功しても
その争いの心は
続いていくのです。

一時的に勝ったように思っても
人間は常に勝ち続けることは
できないので
負けた時や夢破れた時は
劣等感に苛まされます。

なので
また勝つために戦っていくのです。

なぜそんなに
威張るのでしょう?
なぜそんなに
他人を見下すのでしょう?
(それにはいろいろな背景が
ありますが
それについては
また別の機会にします。)

このような人は
何かで成功しても
本当の満足感はありません。

だから、もっと上に
もっと頑張って
もっと、もっと・・・
となっていきます。

この人の生きている世界自体に
満足という状態が
存在しないのです。
ですので
満足を求めても
得られないのです。

そして
本当の満足感が得られないので
他人を見下して
満足感の代わりにする
ということを
してしまいます。

このように
現象面=外側が幸せでも
内面=内側では
修羅(地獄)を感じていることがあり
内外が
必ず一致しているわけでは
ないことがあります。

 ☆つづく☆



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