その人の外側と内側のギャップ・2

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コラム

「みじめさ」は人が創造された時にはなかったもの


幸せになったけれど
他人を見下す人を
「修羅界の人」と呼びましょうか。

この人はなぜ
成功しても
本当の満足感がないのでしょうか。

それには
色々な理由が考えられますが
ひとつは
他人軸で生きているからです。

他人から良く思われたい
良く見られたい
そのためにどうするか
という軸で生きています。

「本当に自分がしたいこと」
を軸として
生きているわけではないので
願いが叶っても
満足感などあるはずもありません。

でも、本人も
そのことに
気づいていない場合も多く
満足感があるはずなのに
湧いてこないため
生きている喜びがないのです。

また
常日頃から抱いている劣等感は
今回の成功では
埋められないため
強まるばかりです。

なので
イライラしたり
内的な怒りが増幅したりして
他人を見下してしまいます。

他人を見下すと
その時だけは勝った!
という気がするため
一過性の満足感が得られるのです。
そして相手に
「みじめさ」を入れていきます。

そうすると
満足感とともに
優越感も得られるのです。


この「みじめさ」というのは
修羅界の人特有のものです。
この人が普段から
自分に感じているものです。

ですので
修羅界の人は
相手も当然持っているだろう
と思って
そこを刺激している
つもりなのです。

見下された人は
一瞬、「みじめな気持ち」
になりますが
それは自分の感情というよりも
対面している
修羅界の人の感情を
受け取ってしまっている形になります。


・・・この世で神仏が
天地創造して
人を創られた時
人には
「みじめさ」を
組み込みませんでした。

「おまえはみじめであり、価値がない」
という人を罰する意識は
途中から
何らかの勢力によって
後天的に
植え付けられていったものです。・・・


ですので
もしも「自分ってみじめだな・・・」
と思うことがあったら
あなたの近くに
それを植え付けている人がいる
という可能性があります。

気づいて
祓っていってくださいね。

☆つづく☆


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