心痛むニュースを見てて思うこと

記事
コラム
生活困窮に陥ってしまった方々の支援業務に携わってから
悲しいニュースや心痛むニュースの見方・感じ方がちょっと変わった

うまく文章にできないかもしれないし
とらえられ方によっては炎上ものかもしれないけど…

最初に大前提としてどんな理由があってもどんな特性があったとしても
人を傷つけたり悲しませたり苦しませたりすることは絶対に許されない

そしてそうしてしまったのであれば、法に則って犯した罪は償う必要があると思っている
『精神薄弱』や『精神耗弱』をこれ見よがしに減刑の理由に挙げるのもちょっと違和感を感じることもある
それでも…人を傷つけちゃダメなんです

そのうえで思うこと…
人に凶器を向ける前に
他人を傷つける前に
誰かに『苦しい』『悔しい』『腹が立っている』『シンドイよ』『つらいよ』『悲しいよ』って言えなかったのかな 
言っても耳を傾けてくれる人がいなかったのかな

誰かが『しんどそうだね』『つらそうだね』『悲しそうだね』と気付くことができなかったのかな
『そっか、しんどかったんだね』『つらかったんだね』『悲しかったんだね』と寄り添えなかったのかな

人に凶器を向けてしまうまで追いつめられてしまう前に
そんな心の叫びに耳を傾けられるような、窓口や制度がもっと整備されたり周知されればいいのに、と心の底から思う
ひと昔前に比べれば相談窓口は沢山できてるんだけど…幅広い年齢層に対応できているかなとか、自分から発信できない人はどうしたらいいのかなとか思うことも多々


みんながみんなそうだというつもりもないけど
SOSを出しても気が付いてもらえない・相手にしてもらえないとSOSを出すことをあきらめる人がいる
自分で何とかしよう・人を頼るものかと意固地になり孤独になる
思考がネガティブなものになり堂々巡り…
いつしか人を寄せ付けないオーラを出し地域や社会と孤立する…
心はどんどん闇にのみこまれ
体の中で腐敗して発行して膨れ上がる

人が近寄るとまた自分が傷つくから
人には近寄ってほしくない もう自分が傷つくのは嫌だから 
一生懸命自分の心を守ってて 
度が過ぎると自分が傷つけられる前に人を傷つける

どんな状態の人でも独りでもしくは家族だけで抱え込まずに
安心して負の感情を吐き出せる、涙を流せる
『人は誰でも弱いし弱みを見せていい』と言える、思える場所や環境

もっと言うなら『一人じゃないんだ』と感じることが出来る居場所やつながり

文章にしてしまうとなんだか偽善的になってしまうけど 偽善なのかな…

私に何ができるか
世界とか社会とか世の中レベルは無理だけど
目の前の小さな一つ一つのことから取り組んでいきながら
漠然と考えていることを少しずつ形作っていきたいと
心痛むニュースを目にすると本当に心がザワザワしてしまう





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