母の事…その1 今回ちょっと長文です

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コラム
プロフにも記載していますが、ただいま母親の介護真っ只中
同居しているわけではないので、ほぼほぼ毎日実家へ行くことは仕事しながらだとなかなか大変だったりもしますが、プライスレスな大切な時間とも思っています

母は5年前に脳梗塞と狭心症を発症、右半身不全麻痺が残っています
現役介護職の頃から、身内のもしもの時は私が!と決めていたため、必要な介護保険サービスを活用させてもらいつつ、私も母と関わる時間がとてもありがたいしいろいろな気付きを得られる貴重な時間…

まぁ、この母が良くも悪くも私の人間(性格?思考?)形成に深く深く関わっており…と、私なりの自己分析があったり、なぜ母が介護が必要となったか…等々はまたの機会に(^^)

そして、チョイチョイ苛つかせられその度にプイっとするわけにもいかず、『私は今何にイライラしてる?どうしてイラついた?』と瞬時に心を探るトレーニング?もさせてくれています(^^;
母に対してのイライラの原因、詳しくはまた別に書きたいと思いますが、私の場合は概ね『親の衰え・老いが、寂しい・悲しい』なんですね

母が出かける時は左手に杖、右側に私が立って必要に応じ体を支えています
長時間の外出は車いすを使うことも

大きくてやわらかくて温かく私の手を包み引いてくれていた母の手は
小さく細くなって筋が目立ってきたり、冷えていたり少しむくんでいたりして

入浴もお手伝いさせてもらうのですが、昔は力を入れて一生懸命背中を擦っても『もっとしっかり力入れて擦って』と言われて必死になっていたのに
しっかりとした背中だったのが今はやっぱり小さくなって、力入れすぎると壊れそうで(でもたまに『力入れて擦って』のリクエスト、すぐに皮膚が赤くなるのでマジビビる…)

そんな日々のちょっとした気づきが
なんとなく寂しい気持ちになったり
当たり前だけどお互いに年を重ねてきたんだなとか
ちいさかった私の手を引いていた母は、どんな気持ちで何を思っていたんだろうと想いを馳せたりします

ひと昔前、祖母が突然ぽつりとつぶやいた言葉
「親が老いる姿を見せるのは、子供にできる最後の教育」
聞いたときも結構グッと来るものがありましたが
今は日々、この言葉を噛み締めています

祖母がちょっと認知症が出始めた頃、母は『母さんしっかりして!私の母さんはそんなじゃない!』と怒っていて
その頃私は『そんな怒んなくていいじゃない』と母をなだめたり、祖母をフォローしたりしていましたが
今は母が怒っていた気持ち、ちょっとわかるかも
母もきっと、祖母が衰えていくことがつらくて寂しかったんだなと
母はちゃんと祖母の教育を受け終わり旅立ちをしっかりと見送りました
今、私は母から最期の教育を受けていると
身をもって、病むこと・老いること、自分の気持ちや感情と向き合うことを教えてくれていると感じています
出来の悪い子なので、まだまだもうしばらくは教育期間が続くことも心のどこかで願っていますが

心や体がつらくなることもあるけど、この教育期間は今まで親と過ごした時間に比べれば、とても短い時間だと思うから
気持ちがうまくついていかない時も(><。)あるけれど
しっかり受け止めていきたいな🍀




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