「はい?伊藤さん?梅子さん?」ってダレ?
あのね~「日本最初の総理大臣=伊藤博文」
の奥さんじゃ。まあ「正確?」に言うと~
「二番目の奥さん」じゃけど、実質的には、
「一番目?の奥さん」じゃ。しかも「美人」
で「アタマがイイ」のじゃ。それと「度胸」
もアルぜよ~♪すんごいじゃろ~!ねぇ~♪
まあ、「伊藤博文」は説明するまでもナイ
よね~♪「日本最初の総理大臣」じゃ。でも
彼は「ホウキ」と呼ばれる位に「女好き」で
あったとゆわれるぞよ。そう「はいて捨てる
ほどオンナがいる」という意味じゃ。まあ、
そんなに「見た目?」はね~「男前?」とは
言えないかもしれんけど~「人間力」は~、
飛びぬけた「超大物」じゃ!あの「松下村塾」
で学んでいるぞよ。出身は「山口県の長州藩」
じゃ。しかも「海外留学」で「英語ペラペラ」
じゃ~♪でも彼は、「超ど貧乏?」の家じゃ
った。そこでたしか「パパさん?」がね~、
「伊藤家」に「養子」として入ったのじゃ。
それで「博文」も「足軽?」という身分に
なって、一応「貧乏」から脱出したのじゃ。
そういう「身分」でも「最終的に総理」に
なったのじゃから、やっぱ「松下村塾」の
塾長とかが「博文」は「将来大物」にナル
との「お墨付き?」をいただいていたのじゃ
から、人物はホンモノじゃね。そう、それと
「最初」ではナイけど「実質的な最初?」の
奥さんである「梅子」さんじゃけど~、彼女
も実家は「ど貧乏?」じゃった。それで、
彼女のパパさんがね~、「置家=おきや」と
よばれる「女郎宿?」みたいな「お店?」に
「身売り」したのじゃ。まあ、ヒドイけど、
当時は「一般的な金銭獲得法?」じゃった。
だって彼女の「ご両親」もね~「お金」が
欲しかったのじゃ。だから・・・「娘」を
売る・・・「ひどい!何て、ヒドイ!;;」
・・・と言ってもねぇ~、しゃ~ナイもん。
当時の日本は、おそらく「太平洋戦争の終戦
あたりまで」は、「娘、売ります!」って、
「堂々と?」やってたもん。知ってるもん。
たしか~、そうじゃったと思うぜよ。うん?
まあ、そういう「お互いが(ど貧乏の家)」
じゃった「博文と梅子」じゃ。もう、運命?
かもね。ある日、たしか「博文=24才?」
で~「梅子=17才?」くらいじゃったと
記憶しているけど、「博文」が「梅子」の
働いていた「茶屋=ホテルみたいなモノ?」
に逃げ込んできた!「何ですか?」という
「問いかけ?」も無く、「梅子」は「博文」
を「かくまった」のじゃ。そう「保護」した
のじゃ。そう「まだ、ダレかもわからない男」
を「隠した」のじゃ。「探し回る敵たち?」
の「追跡」をかわして・・・なぜ?おそらく
「梅子」は「博文」に「恋をした?」のでは
ないじゃろ~か?!ま、将来「総理」になる
ほどの男じゃ。しかも「明治天皇」とは、
「超仲良し?」じゃ。そんな魅力的な男を
「梅子」は「見初めた」のじゃ。その目に狂
いは「ナイ」ぜよ。それで「博文」も「梅子」
に「夢中~♪」になった!!だって「美形」、
じゃもん。ボクはそんなに「趣味?」でナイ
けど、普通に「美人」じゃ。それとね、一緒
に「松下村塾」で学んだ「高杉晋作」も言っ
ているぞよ。「伊藤君は、梅の花に夢中だ」
ってね。ホホホ^^うん?何で「博文」は、
「逃げ回っていた?」のかって?そりゃ~
当時は「海外勢と長州藩」で「下関戦争」
なんてやってる時代じゃもん。「博文」の
よ~な「外国かぶれ?」で「幕府の敵?」
みたいなヤツは、「幕府側?」からしたら
「抹殺」の対象じゃったかもね。ボクも
当時の実情は、うろ覚え?なのでゴミン。
ま、そんな感じじゃ。そういう激動の時代
に生きた「博文と梅子」じゃね。色んな
「障害?」があったけど、やっと「結婚」
し、「女の子」もできた。でも、「博文」
の「浮気」は数えられない位にいっぱい
あったのじゃ。報道関係も「博文の女好き
はダメじゃ~」と言い、時の明治天皇も
「博文!ナンデそんなに女好きなの?」と
きいたら「え?何でって、ボクは女大好き
だし~、隠す必要ないもん!」と天皇に言
ったという。ホンマかいな?すんごいねぇ~
その「博文」も「梅子」には「アタマが上
がらない」ぜよ。なにせ「家」に「愛人」
とか呼んでもね~「梅子」は「愛人」たち
に「手土産(てみやげ)」まで渡していた
という。すごい女性だけど、ただ一度だけ
「博文」が「本気?」になった女性がいた
のじゃ。その時だけは「超~怒り狂った?」
と言われるぞよ。やっぱ「浮気」と「本気」
って「違う?」のね~ん。(^^;こわ~。
そこでね~、「博文」の友達の「井上馨」
に「梅子」が頼んで、その「本気」の愛人
には「警察官の男性」を結婚相手にさせた
のじゃ。それで「博文」の恋は終わった。
でもね~その「梅子」さんって、すんごい
「勉強家」じゃった。「実家」が貧乏じゃっ
たので「文字」がわからない。そこで文字を
理解し、書けるようになるために「猛勉強」
じゃ。それは、なぜ?「それはね~、博文に
(お手紙=ラブレター?)」を書くためじゃ。
それで「博文」もだんだんと「ひらがな」か
ら「漢字混じり」の文章になったという。^^
それに、すごいのが、あの「津田塾大学」の
創始者の「津田梅子」に「英語」を教えて
もらい「博文」同様に「ペラペラ?」にな
ったというぜよ。だけど、ちょい「目」を
痛めたのが、つらかったよ~じゃ。ニガテ
じゃった「ダンス」も習い、「洋裁」は
得意じゃったので、「鹿鳴館」あたりの
「洋装」もね~「皇室」の人たちに勧め、
自分も「洋装」で「見本」を見せたのじゃ。
ね~、すんごいでしょ~♪(でも、ナンボ
ほど超有名人が出るのじゃ~!^^)でも
やっぱり「博文」は、相変わらず「女遊び」
ばっかしていたのじゃ。「岩倉具視」の娘
で「鹿鳴館の華」といわれた「戸田極子」
とか~、「実践女子学園」の創始者の歌人
「下田歌子」とかじゃ。まあ、ホンマに
どんだけ「超有名人」ばっかしじゃ!!
「モテモテ男」の「博文」じゃね~♪^^
ま、あんまり「女遊び」するもんじゃから
国家の方も「これはイカン!」ということ
で「首相官邸」を作ったといわれているの
じゃ。「何じゃ?この男は?!」でも魅力
的じゃ。「借金してでも、女が好き?!」
じゃもん。う~ん。「大日本帝国憲法」の
「パパ」なのに・・・ま、いっか。(^^;
どうですか~?この「男女」は??^^
「日本」の「黎明期(れいめいき)」の
「豪快な日本男児と聡明なナデシコ」の
物語じゃ。感動するぜよ。(^^;ね~。
「初代総理大臣」として「博文」は、活躍
したけど、その間に「日清戦争」があって
、「総理」を辞めて「別の政権」になって
「日露戦争」があったのじゃ。どちらも
日本の勝利じゃったけど「日清」での勝利
の象徴である「領土」を「海外勢の批判」
で「返還」したもんじゃから、も~、日本
国民の「スンゴイ非難」を浴びたのじゃ。
そう、ずっと前の「梅子」と出会った頃の
雰囲気に似てるよね。だけど、もしその時
「海外勢=連合国?」と戦ったら・・・多分
負けていたのじゃ。ま、「中国」と戦争した
ばっかじゃし。そりゃ~そうじゃ。でも、
その後の「ロシア」とは「なんとか勝利」を
したのじゃから、ご立派じゃ。もし「ロシア」
に負けていたら・・・もうわかるよね~♪、
・・・そう「北方領土」どころではなく、
「日本全土」を支配されていた可能性は高い
と思うね。今の「ウクライナ」に近いかも。
「ウクライナ」って「ほぼ完敗?」じゃない
かな~?!今残っているのは「傭兵=雇われ
兵士」と「女子供にご老人?」ばっかじゃ。
もう、いいかげんに「和平協定?」を結んで
欲しいぜよ。「戦後復興」にパワーを使って
欲しいのじゃ。ボクはね。(;;うん。。。
そうそう、「博文」じゃ。たしか彼は、総理
を退いたあとは、「朝鮮半島=韓国?」の
ことを心配して、「朝鮮総督?」になった
と記憶しておるぞよ。でもね、「中国の
ハルピン」に出張中に「韓国人のアン・
ジュングン」に射殺されたのじゃ。今は
「韓国の英雄=アンジョングン」となって
いるけど、「博文」の思いは「日韓王朝」
の「平和外交」を求めていたというのじゃ。
その思いは「ジョングン」には伝わらなか
ったとゆ~ことじゃね。(ま、真相はわか
らないけど・・・)今の、「日韓関係」は
かなりの「困難?」をはらんでいるけど、
もしや「日本=韓国=北朝鮮」って、同胞
ではないのかい?!そう「同じルーツ」を
もっているのかも知れないとゆ~ことじゃ。
かなり「国民性?」は違うように感じるけ
どね。だから「博文」も「日朝王国」の
「連帯」を図っていたのでは、ナイじゃろ
~か?!それと「朝鮮半島」の繁栄は、
日本の「投資と技術提供」が元になって
いるとボクは理解しているぞよ。ホホホ
今「博文」と「梅子」は一緒のお墓に入
って「同士?」としてもお互いを「尊敬」
していると思う。(イイね~♪^^)
じゃね。バイ。。。
PS: 伊藤博文の「暗殺」って、たぶん
「高嶋易断」で「予言?」されて
いたので、有名になったのじゃ~
なかろうか?ま、余談じゃけどね。
((( umeko ito's first lady story )))
umeko ito is a wife of hirobumi ito of the
first prime minister and is the first japanese
first lady.
but hirobumi ito was lady-killer and had many
lovers.
however, umeko endured such situation and
made many studies in the meantime.
as the first lady, she completely learned english
and learned a dance and polished a dressmaking
technology.
all two of them were from the poor house, but
build social status and the property.
hirobumi was assassinated in harbin of china,
but umeko accomplished a natural life span.
umeko and hirobumi were entering the same
grave peacefully together now.
hehehe
tks.