え?アナタ(あたしデス)子どもから呼び捨てされてん??

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ごきげんようです!
本日のお題は「親。呼び捨て、それでええんかい!っっ」です。

ブログにお立ち寄りくださっている方々には
時々、息子の話題、語ってるときに「ちょっと待って?ママの事、呼び捨て?」って違和感を覚えている方もいらっしゃると思います。
まして出品が「子育て専門職」ではないかい。大丈夫かい??ですよね。

そこで、我が家のルールをご紹介しつつ何故に「呼び捨てOK」か触れますね。

我が家は基本、呼び名について「こだわり」を持っていません。
二男が誕生してからも、長男のこと「おにいちゃん」と呼ぶようにしませんでした。
だってさ「せっかくいい名前つけたのに「【おにいちゃん】ちゃうで!」です。それから長男からすると、たまたま我が家に一番目に生まれただけで「おにいちゃんはないわ~」というところから辞めました。
後に三男が誕生するので「おにいちゃん迷走」なるとこだった~。
三男 「お兄ちゃん~」
長男・二男 「え?何?」
三男 「あ、長男の方!」

「さすが、おにいちゃん!」ではなく「さすが〇〇!!」です。
おにいちゃんだからするのではなく一人の人間としての行動」を
重点において関わりの積み重ねをして来ました。

礼儀正しく「お母さん」とか「ママ」呼ばれていた時代はもちろんありましたよ♡保育園とか小学校なんかですと「周囲は親をお母さんかママで呼ぶ」というステレオタイプな感じで入力されているので。

我が家最も大事にしたことは「呼ぶ相手を心の底からリスペクトすること
です。敬意を込める!! これだけです。
最初は義父母からものすごく注意されました。「上の者を呼び捨てだなんて無礼だ」ハイ、しっかりと注意を受けましたが、頑固そうな?私は「おにいちゃん呼んだら敬っているというのは形だけなので、重きを置いておりません・・・」なんぞと、なんて生意気な嫁だよ( 一一)ですね。

変形してきたのは高学年になり「ママ」という呼び方から「母さん」と呼ぶようになった頃から更なる進化系を辿りまして、
あなた」・「あんた」・「ヲタク(ホントのヲタクなので(笑))」なんていう形になってきました。別に特に注意もしませんでした。
ではそんな呼び方していて、よそ様で「失礼しないのか?」ですよね?

社会的なマナールール日頃から話し合うコトをしてきました。
いわゆる「TPO」ですね。例えば「保育園や学校ではお母さん」だけど
家では特に縛りはない」という我が家独自のルールとの他との相違の理解個々の理解がきちんとあるからです。

あ、ある時に、中学校の友達が「〇〇(息子ね)がお母さんの事あの人】(ハリポタかい!)って言ってましたよ~」と報告がありました(笑)
よそ様からしたら「どうなっているんだ?この家」しかないですよね?

この方針を貫いているのは
主人格」という「個々の個性それぞれが主人公」を大切に重んじてきたからです。
そして親である私との関係性は「対等」という価値観子育てしてきました。
原点にあるのは「学童保育の現場」です。学童保育って子ども達にとっては「第2の居場所(家庭)」です。「おうちで先生はなくない?」と思い辞めてもらいました。限りなく家庭という環境に徹したい思いでした。子ども達からは「aiko」と呼び捨てか「愛ちゃん」で過ごしてました。
根底にあるのは「人と人との対等」。ここでのスタイルが子育てにも移行してきたのです。「信頼関係が必要」なんです。
余談ですが、
数年前に当時の学童っ子(立派な大人に変身してた(≧▽≦))に久しぶりに会った時
aikoルール残っているよ~」って話を聞いた時はとても嬉しかったです!!
若かりし日の事・・・何十年の月日ですよ~~☆彡

今って「あだ名禁止」とかいろんな話題ってありますよね?
うちなんてアウトじゃん!
論外と言うより場外レベルの指導対象ですね(;_;)/~~~

息子保育園時代でも「保育士の子ども呼び捨て問題」は議論ありました。もうね、25年も前だよ!!
いまだに「論争」なんですね?「苗字で統一します」とか。

私は想いを込めて付けた名前なので、たくさん呼んでほしいし、仮にね、本人が納得しているあだ名であれば「自分に愛着を育む経験」が出来ます。
主人格」としての「アイデンティティを形成していく大事な要素」だと理解しているんです。同じお名前のお友達がいても「僕はかけがえのない僕」を育む一つとして呼び名にこだわらないスタンスを選択しました。

但し、昨今も昔と変わらず問題なのは「相手が嫌がるニックネーム
個人を否定するような「呼び方
ここまで来ると「イジメ」です。

大事なのは「愛情込めてリスペクトしていて敬意を込めて」呼んでいる??

呼び名は「相手と自分の共有・共通認識の構築」と「コミュニケーションツールの構築」だと思っています。
人と人の関係って、お互いを呼びあうことから始まります(^^)v
そしてこうした「お互いの合意」が「友好関係の足掛かり」となり「人間関係を育成する土台(入口)」に繋がるというのが私の個人的見解です。

さて、こんな場面がありました。我が家は息子が中学生の頃は
家庭開放」していて中学校の学童版みたいな環境をしていました。お金。取ってないよ!友達が気兼ねなく集まれる場所の提供です。

末娘がですね、10歳も年上の息子の友達名前の呼び捨てで呼びまくってました・・・
「あのですね~mちゃんよりもね、ずっと年上のお兄ちゃんだよ。ココでは許すけどお外ではねダメだよ~」なんて優しく社会性を諭しておりました。

(∀`*ゞ)エヘヘ~分かったヨ~」と照れ笑いしながら「〇〇~」と
「呼び捨て」していましたが、外ではむやみに呼び捨てすることはありませんでした。
ここでの大切なポイントは
家に遊びに来ていたお友達が「我が家のルールではよい事」「社会ではおススメしない事」をしっかりと分別して教えていたことがとても意義のあったエピソードです。こんな細やかなやり取りを丁寧に関わっていくことで子ども達はきちんと受け止めていくものです。日頃から話し合うとは改めてすることありますが、基本的には日常のエピソードで瞬間を捉えること特に大事に取り組んできました。

子どもの目線に立って見つめ直してみる事から導入します。

さっきの〇〇のことなんだけど~」は高学年以降の対応にしていました。思春期の入り口でありし、おそらく本人が「しまった!やってもうた(>_<)」と感じている事も多くなります。
1,人前で注意しない事
2,落ち着いた頃話ししてみる事
3,子どもの内面どのように揺れ動きどんな気持ちでいるのかな?

思春期移行から子ども達より繊細な内面の移行期なので特に「個人的人権の尊重」を忘れてはいけません。もちろんこれは生まれてからずっと大切にすべき視点ですね。
自尊心って「自分を大切(尊い)と思える心」ですよね?
じゃ、自分を大切にするってどんな事?
私は「人から大切にされる事」から学んでいくと思っています。愛情です。
思いやりを持ちましょう」ってあるけどね、
自分を大切にできなかったら人を大切にする意味とか行為や行動ってわからないと思います。
あ、もう一つ。
思春期アルアルなんですが、なにか大人側から発信しているのに、もしもスルーなんてされても追及しなくていいですよ。
意見を言わないのも「意見表明」だし、考え中でも「意見表明」です。
子ども達自身の考える余白」これを保障していくのも関わる上では大人が一呼吸置くコトも重要な事かと思います!!
忍耐、いるで~
そう、子育ては忍耐の連続

あ、もう一個、イイです??
私、他のお友達に「おばちゃん」と呼ばせたことありません。
自分の事「おばちゃんはね」と話す事も絶対にしませんでした。
「〇〇の母さん」とか。お願いしてました。(おばちゃん、言うな~
中学生以降の方々は私の事、「そちらは~」って呼んでました( ´艸`)
親友同士は「aikoちゃん」で徹底しています。
お母さん業しとる前に「一人の人格」を成立するためのこだわりでございます。
そんな訳でございまして、確たる信念と「呼び名」についての見解が確立されているというお話でございました!(^^)!
うちの息子達は「私のような曲者」ではございません(*'▽')
あ~めんどくさい、親やな~」なんて言われちゃっても、ね。

そこに 愛はあるんだで~」です(/ω\)

ここまでお付き合いくださりありがとうございます!
最近。濃ゆいブログだったので、「味変」です( *´艸`)

では次回、また♡

















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