「日本語は、美学⁈💜」🎾🚴‍♀️⚔️🏓🤿⛳😎😍

記事
コラム
💎「おはよう」で始めた一日を
「おやすみなさい」で締めくくります。
その間に、いくつの言葉を使うでしょう。
夫婦、親子、友達、いろいろな関係の中で
言葉は行ったり来たり
言葉は生きもの、言葉は力持ちです。
だから新鮮な方がいい
そして、真実が欲しいと思います。
素敵なことばを聞くと心がしあわせになります。
優しい言葉を聞くと元気になります。
暖かい言葉に出会うと笑顔が生まれます。
人を好きになると
言葉は、きれいな花束になるのです。
今、言葉の花束をアナタに.....。


💎言葉は文化!
年を重ねて
豊かになるのは体つきだけではなく心です
その心から糸を引くように出てくるのが言葉
ですから言葉は人の心そのもの
そして人生や生き方を表すものだと思います。
美しい言葉という財産をもった人に出会うと幸せになります。
心地良い話し言葉に会うと心現れるものです。

先日美しい人に出会いました
わー、何て素敵な人なんだろう
しかし、話をしたとたん
「私ね、私ねぇ」という自己主張ばかり....
がっかりして
わぁー何てひとなんだろうと
つぶやき直していました

言葉はおしゃれの総仕上げ
言葉は文化だといつも思います


💎言葉の魔法!
夫から、生ぬるい声で「愛してるよ」とか、
「好きだよ」なんて言われるより
「こんなに愛されて、君は幸せだね」と表現された方が
うんとおしゃれで不思議な味があると、誰かが言ってました。
友達に「おしゃれねぇ、あなた」とか、
「あなたって素敵ね」とほめられるより
「どうして、そんなに素敵なの」と表現されたほうが
なんだかうんと心にしみると誰かが言っていました。
不思議な事に....、言葉は時々魔法使いになることがあるのです。


💎言葉衣替え!
人はいくつになっても変身願望があります。
もっと素敵に、もっと、もっと、と
服装や髪型、化粧に気を配ります。
そして、もっとスマートに、もっと金持ちに、もっと人格形成をと
「もっと、もっと」を重ねて生きています。
しかし、一朝一夕に変化は訪れないものです。
急に美人になったり、急に天才にはなれません。
でも、変えようと思った瞬間変えられるものがたったひとつあります。
それが「言葉」ではないでしょうか!
言葉の色や形はすぐに変化をしてくれます。
心の向きを変えた瞬間、声が変わり、言葉が変わるのです。
心は360度、どちらにも向くものです。
その方向によっていろいろな言葉が生まれ出てくるのです。
中学や高校のころ制服の衣変えをしたように
言葉もちょっと四季の変化に衣変えしてみれば
言葉にちょっとおしゃれをしてみれば、
今の表情がきっと変わるはずです。
電話の受話器を握りしめた瞬間、変身できるのは、女性の特技と思います?
言葉の衣変えは、何歳になっても、どんな季節でもできるものだと思っている次第です。


💎言葉のうらおもて!
言葉にも裏表があります。
ひとつのことを表現するのに、表と裏があるのです。
ねぎらいの言葉でも
「お疲れ様」「お疲れさまでした」というのは
同等、または、目上の人に向かって!
「ご苦労さま」「ご苦労様でした」というのは
目下の人に向かって使う、というふうにー。
先日、ある職場で、新入社員の女性が、先輩の女性社員に向かって
「山田さん、ごくろうさまでした!」といった時
先輩社員曰く「あなたに、ご苦労と言われる筋合いはないわ!」となってしまいます。これ、自然です。
今ではこのように注意してくれる先輩も少なくなり、
言葉が裏も表もないシースルーになりつつあるような気がしてます。


💎言葉は力持ち!
美容院帰りの髪の毛は、つやつやと輝いていています。
このまま家に帰るのはもったいないと思う事さえあります。
特に後姿は良くできていて、だれもいないところで合わせ鏡をして
その形を楽しんだり、研究したり、
立ち止まってガラスに映るその姿に満足する女心に
自分でもおかしくなるくらいです。
なのに、家に帰ってきた夫は、夕刊とテレビに気をとられて
私の髪型には気づきません。
プロ野球中継を見終わって、その後はスポーツニュースの梯子をするのです。
そして、眠ってしまうのです。
「せっかく12800円も出してパーマかけたのに、あーあ、もったいない」と
ひとり言。ここで願わくは、
「おっ、いいじゃないか。パーマかけたの。へぇーなかなかいいよ。ちょっとうしろ向いてみて」
何て言ってくれたら....どうでしょう。
「12800円の価値あり、惜しくはなかったわ」とかわいい女は思うものなのです。
その一言を口にできない人が増えているような気がします。
言葉は、力持ちなのに....!


💎言葉にあたる!
懐かしい友人から電話で食事に誘われました。
「久しぶりにおいしいビールとお寿司よ」
「やぁやぁ、久しぶり、乾杯!」
ところがしばらくしてその友人が私の顔を覗き込みながら
「ねぇ、偉く忙しそうだけどあなた大丈夫?
私、心配しているのよ、すごく」
「大丈夫よ。私、忙しい方が調子が出るし、リズムがあって
このくらいの忙しさはなかなか快適なのよ。
私、仕事大好きだもん」
私は、力いっぱい答えました。
しかし、また、
「そうかしら、そんなに働いて疲れてるんじゃない。少しやつれたみたいよ。
太ってるからって安心しちゃだめよ⁈」
「わたし、この頃やつれて見えるかしら」
「う~ん、ちょっとね。病気しないかしらってすごく心配で。
わたし、このごろ、あなたのことが気になって仕方がないのよ」
「まぁ、そんな心配しないでこんなに疲れもせずに頑張っているんだからさ」
「だといいけど、とにかくすごく気になるのよ」
だんだん、わたしの心は、かたむきかけてきたのです。

(おいおい、あなたは私に病気しろとでもいうの。いい加減にしてよ。
まったく、もう!)と、
口には出さないものの心の中で叫びながら
口に運ぶビールの泡が、やけに苦みをましてゆくのでした。
「とにかく、気をつけてね」の声に送られて私の靴音はスタスタ....。
「あーあ。食事にでかけなきゃよかった。いったい何なの!」
疲れたひとり言をつぶやきながら帰宅したのです。

お風呂から上がった瞬間、右目の横に一点、チリリンと強いかゆみ
その次に目の周りからほっぺたに、あごに、ものすごいかゆみが一気に走りました。
顔も頭も首も...
かくたびに、プチプチと皮膚がはじけるようにデコボコになって、
そのうちに顔と首が真っ赤にザラザラに膨れ上がってしまいました。
首から上だけのすごい”ジンマシン”です。
「お寿司、何か光り物でも食べたんじゃない」などと、家族はいいました。
知り合いのお医者さんの診断では、ストレスが原因ということでしたから
私は、すぐに”真犯人”がわかりました。
「言葉にあたったのよ」
言葉の力の恐ろしさを、激しいかゆみとともに実感したのでした。


💎言葉、その量と質!
人と人との関係には、距離があります。
どんな間柄でも、距離というものがあるはずです。
その距離に合わせて、言葉の質と量を選ぶことができるかどうかです。
それは、とても大切なことだと思います。
距離を考えずに、言葉の量を増やし過ぎて、失敗したという例はたくさんあります。
例えば、職場の飲み会で「無礼講。無礼講。楽しくやろうや」という上司の言葉に甘えてしまい、「部長そのネクタイはまた、えらく若者風。どう見ても髪型と合いません。彼女からのプレゼントですか」
なんて口走って以来どうも上司の怒りをかったようだと反省中の男性がいます。しかし、これは上司の方も大人げないという感もあるのでは?
また、夫との会話の中で、つい
「あなたの弟さんもっとしっかりしてくれなくちゃね。
あれじゃ商売は無理じゃないの。心配でみてられないわ」と、
夫の家族のことに口出し過ぎて、機嫌を損ねてしまったという近所の奥さん。
親友だから、本人の為にもなんでも思った通りに忠告すべきだと信じて、
「おやめなさいよ。あの人、決して、あなたにはふさわしくないわ。
私から見ていても少し物足りなく感じるのよ。
それで本当にアナタいいの?」と言ったとたん
友人は涙を流して怒り、その彼と結婚してからは連絡もなく寂しそうな人。
まあ、とにかくあの一言が、という言葉はいくつもあると思っています。
言葉を選ぶときに、相手との距離を忘れてしまっているからなのです。
それぞれの場合に知恵を働かせねばなりません。
その知恵というのは、毎日の暮らしの中から生まれるものです。
聞いて心地良かったこと、言われて辛かったこと、
受けたそのときの気持ちがとても大切です。
人の心を推し量る思いやりとはそんなことではないでしょうか?

先日、ある会社の新入女性社員の研修を頼まれました。
いちばん苦労したのは敬語です。
敬語というのは、まさに思いやりと尊敬の念を重ね合わせた
素晴らしい日本語の文化だと思います。
ところが、この敬語が今、危機に瀕しているような気がしています。
高校、短大、大学を卒業したばかりの女性たち、新入社員として今、
職場で一番若く、そして、一番先輩の数が多いわけです。
当然、敬語が必要になるはずです。
そこでこう言ってみました。
「皆さん、今、昼休みだとします。
職場が忙しく、順番に昼食をとることになりました。
課長さんに、先にどうぞと進めて、あなた方は後で食べるという事にします。
さぁ、課長さんにどういうふうに言いますか?」
ほとんどの人達が、ちょっとめんどうそうな顔をしていました。
なかには、指をさされないように下を向いたり、視線を逸らす人もいました。
名簿から名前を拾って指名しました。
「鈴木さん、どういいますか?」
「はい。あのう『課長さん、先に食べて下さい』というと思います」
「食べるという言葉に、尊敬の気持ちをこめるとどうなりますか?」
「わかりません。だって、ずっと『食べる』しかいいませんでしたから」
約十分ほど、いろいろ人間関係の話をして、その職場の上下関係まで紙に絵にして説明しました。
「課長、お昼(お食事)どうぞ先に召し上がって下さい。
私は、仕事を片付けて後でいただきますから」という言葉が
みんなの口から自然に出てくるまで三十分くらいかかりました。
「どうぞ食べて」と言われて口にする弁当と
「どうぞ召し上がれ」と言われて口にする弁当は少し味が違うような気がします。それは、きっと食べる時の心の色が少し違うからだと思うのです。
それがわかるとたくさんの言葉の動きをどんどん知りたくなるはずです。
敬語の修行は、一生続くような気がしています。
悩みがついて回りますが、使いこなせた時の快感はなかなか良いものです。
敬語は、言葉のフォーマルウェアと言われます。
つけ過ぎても変ですし、足りなくてもおかしいです。
ほどよくまとめられた美しい敬語は、素敵な女性のおしゃれによく似ていま
す。


💎言葉は武器・凶器!
私たちは、人の言葉にとても敏感です。
特に私なども、人の言葉を受けてすごく落ち込んだり、
またちょっとうれしいことを聞くとすぐにまた起き上がったり。
それはそれは浮き沈みの激しい性格です。
しかし、どんな人でも、ひとつの言葉に喜び
ひとつの言葉に傷つき迷うものだと思います。
言葉は身を守る武器になるけれど、それは凶器にもなることがあるのです。
「私は思ったことをそのままいう人間だ。
決して悪気はないから気にしないでほしい。」と言いながら
心に突き刺さるようなことを平気で口にする人もいます。
でも、どんなにいい人だとわかっていても、イヤな言葉に会うと確実に
イヤな気分になるのです。
百年の恋、いえ十年の付き合いを、ジュンと音をたてて消してしまうのも
言葉かもしれません。


💎言葉というスパイス!
高速道路を走る特急バスに乗り込むとき、
運転手さんが、私の前の七十代くらいのご夫婦に向かって
「そこの一番前の席には座らないでください。
そこは若い人に座ってもらいますから。
年寄りの人は、もう少し後ろの方にお願いします」と声をかけているのです。
乗降口に近い席に着こうとしたそのご夫婦は、何だか寂しげに納得いかぬ表情で「ここは若い人ですか、私たちはもっと後ろにですか!
年寄りは後ろの方だそうな....」とつぶやきながら移動を始めました。
運転手さんの説明を聞いていると
「一番前の席は、急ブレーキをかけた時に一番危ないから
ずっとシートベルトを締めっぱなしにしていないといけないのです。
それだと疲れるでしょう、だから後ろの方にと思って....」
本音をじっと聞いていると、優しい心遣いのはずなのに
その言葉遣いのなんと下手な事と思いました。
「一番前は、急ブレーキをかけた時危険ですから
少し後ろの方にかけませんか、その方が安全ですよ。どうぞ」と
表現されれば、それは親切というものに早変わりするのです。
人のよさそうな運転手さんの後ろ姿を見ながら思ったことでした。


💎言葉が歌う人!(フォークソング&歌謡曲)
書いてみると普通の言葉なのに、どこかが違う
それは、”間”(ま)!
言葉の中に、不思議な空間が漂っていて、その間が心のつぶやきのように
聞こえたりするのです。
言葉が、五線譜の上を踊って、歌になる
そんな素敵な事を目の前に感じながら....。


💎言葉のキズ!
アメリカのルーズベルト大統領夫人が、
「言葉の傷は、一生治らない」と言ったのだそうです。
例えば、私たちが料理中に、突然誤って包丁で指を切ったとします。
痛みはもちろん血も出てきます。
しかし、時が経つと、その痛みは、癒(い)えて傷はカサブタになり、
またしばらくするとそのカサブタも取れてしまい、傷跡もいつしか消えてしまいます。
私の心に深く、今だに突き刺さっている言葉があります。
小学校六年生の時、醤油の醸造をしていた私の家は、
いくつもの出来事が重なって倒産しました。
全ての財産を失い、私は使っていた勉強机まで失う事になったのです。
家の中にいろいろな人が入ったり出たり、とにかく生まれて初めて経験する
大変な出来事でした。
私は、どこでどうしていたらいいか分からずにウロウロしていました。
昨日まで優しかった近所のおばちゃんの表情が、なんとなく硬く冷たく感じられたのは、気のせいかもしれません。
でも、周りの人が急によそよそしく行動し始めたようでした。
そんな中で、あるおばちゃんが
「まぁあなたもかわいそうにねぇ。
あんなに人のまねできないような贅沢をしていたけど
やっぱり人間は、一生贅沢に暮らすことは無理なんだね。かわいそうに...」と
目をそらしながら私に話しかけてきました。
また、もう一人のおばちゃんに
「これだけの財産を、なにもかもすべて無くして大変だね。
だけど、あなた、小学校の預金通帳くらい持っているでしょう」と
同情の顔で問いかけられました。
返事はできませんでした。
ただ、しっかり奥歯をかみしめたことだけは覚えています。
「悔しい、悲しい、寂しい、つらい....」
全てを混ぜ合わせたような、言葉にならないほどの重い気持ちが体中を
覆ったようでした。
でも、そんな中で、涙を流しながら
「かわいそうにねぇ。あなたは何も悪くないのに....
どうしてこんなことになったんでしょうね」と肩を抱いてくれた人もありました。そして、
「頑張るのよ。あなたもこれから、しっかり生きて行ってね。
あなたが幸せになるように、祈っているから....ずっと、祈っているから...」と言いながら髪をなでられたとき、なぜか体が熱くなって、急に涙がこぼれました。
心という風船に針を突き刺すような言葉もあれば、
その心にふんわり空気を吹き込まれるような言葉もあります。
その二つの事を、私は六年生の夏に同時に体験しました。
あの悔しさは、負けん気とやる気の源になりました。
そして、涙は、優しさの泉となって、私の心に住むようになりました。


💎本という安定剤!
時として、心が擦り切れそうになることがあります。
そんな時に、
「あなたは、まじめすぎるのよ!」
「そんなにがんばってどうするの。もっと気楽にやればいいのに!」
そんな友達の言葉と一緒に、私には、一冊の安定剤があるのです。
普段は、本棚の隅にじっとしているのですが
私の心の状態によっては、時々その出番となるのです。
志望大学の受験失敗!
その大きな波に、私の心は、もうバラバラになってうちひしがれてしまっていました。
そんなある日、通学の列車の中で、高校時代の友人がこの本をくれたのです。
「がんばって!」
そういいながら、笑顔で手渡してくれた本なのです。
「道は開ける」という本でした。
「本当に、私の人生の道は開けるのかしら!」とつぶやきながら
すがるように読みました。
不足しているものを数えるな。恵まれているものを数えてみよう。
時々、曲がり角にたつと、この本を手にします。
ー避けられない運命には従えー
先日、階段に腰かけてパラパラとページをめくっていたら
ー自分に平和をもたらすのは、ほかならぬ自分自身なのだー
妙に心に沁み込んだ言葉でした。


💎日本語の種類
 ・敬語
 ・かな文字
 ・漢字
 ・ことわざ
 ・慣用句
 ・四字熟語
 ・俳句(季語)

・敬語とは?(丁寧語・謙譲語・尊敬語)
ズバリ言ってしまえば、「日本語=敬語」なのです。
私たちは、大人になり社会の仲間入りをすると特別な言葉だと思い
「敬語をつかわなくちゃ」と緊張しますが
実は、どんな人も幼いころから
「いただきます」とか「ありがとうございます」などと
ちゃんと敬語は使ってきているのです。
ですから、突然外国語の勉強を始めなければならないわけではありません。
言葉の種類をお覚えることだけではなく
言葉を支える態度に自分というものがくっきり表れるという点で
一人の大人として、自分らしく責任を持ちながら生きていくことと
深い関係があると思うのです。

例えば、何かを修理したくて店に持って行ったときに
丁寧に「当店では致しかねます」といわれたら、”カチン”ときませんか?
この「致しかねる」という敬語はじつにきちんとした謙譲語で文法的には
ミスはないのです。
でもなぜ不愉快にさせられるのかというと
店員が客に対する”思いやり”が全くないままに
「できない」という言葉を「致しかねる」という敬語で伝えたから
それで完璧だと思っていたからです。
そういう気持ちだと、表情は硬く、声も硬く、無礼なおじぎだけなので
「なによっ!」と思ってしまうのです。
もし、客の立場に立って
「何とかしてあげたい。でもうちでは修理できない」という人なら
申し訳なさそうな声と表情で、言葉も多く
「誠に申し訳ございません。うちでは致しかねますが、もしかしたら
この角を曲がって....」と
他店の案内ぐらいはしていたかもしれません。
そこなのです。ポイントは!!!
つまり正しい敬語を使えば、人間関係の全てがうまくいくわけではないという事です。

敬語は、お互いの間を取り持つ大切な言葉ですが
文法的な型だけにとらわれてしまうと本来の目的を逸脱してしまいます。
日本人は、自己主張や攻撃的なコミュニケーションよりは、
まず第一に相手への気遣いや配慮をとても大切にしてきた民族です。
その気遣いや思いやりの文化をそのまま映しているのが
「敬語」という日本語なのです。
誰もが自分らしく生きたいと思っています。
そうなんです。
お互いの誤解を少しでも減らし、
より的確に話をして聞き取ることができるためにも、あるいは、
自分の心の中のやさしさを上手に伝えるためにも、
一人前の大人としての敬語を身に着けた方が結局、自分の為という事に繋がるのです。

いろんな場面での敬語の使い方が存在します。
あなたが敬語で言いたい一言、伝えたい気持ちにぴったりの一言が
あるのです。
身に着いたら爽やかな気持ちになれるのです!!

💎敬語は、目的ではなく円滑なコミュニケーションの手段!
それにしても、なぜ、社会人になると「敬語を必ず使いなさい」と
言われるのか?
今までだって日本語は十分に通じていたのに、と疑問を持つことがあるはずです。
普段は、Tシャツや短パンのようなカジュアルな服装をしていても
出勤時にスーツに着替えるように
「元気?」「うん!」という仲間言葉も「お元気ですか?」
「はい。おかげさまで」とレベルアップしなければみっともないからなのでしょうか?
それもあるに違いありません。
型を整えることは、誤解を招かないための大切な方法ですから!
さらにもう一つ重要な事は、人間関係がより多岐にわたり複雑になるからなのです。
今までのように家族や友人など自分を理解してくれている人ばかりでなくなるので、相手を立てて(尊敬語)、自らを謙虚に構え(謙譲語)
相手に敬意を伝えながら話さないとギスギスしてしまいます。
円滑コミュニケーションの為にも敬語は絶対必需品という訳です。

💎目上を敬(うやま)い譲るってどんな事⁈
ついこの間まで大家族の中では、年上を頂点にピラミッド構成で
「おじい様、何を召し上がりますか(尊敬語)などと
きちんとした敬語が当たり前に使われていて
その中で子供たちも自然にその使い分けを学ぶことができました。
それが今は、核家族が中心になると
「ね、何食べる」と上下関係のない友達家族のような間柄と言葉使いに
なってしまい、敬語も立場をわきまえる感覚も育ちづらくなっているのが現状です。
ですから、敬意とか謙譲と言われても実感が伴わないのもわかるのです。
しかし、社会というところは、上下関係なくしては語れません。
年齢、経験、肩書、立場などすべてに上下の関係が発生します。
その中で大切な事は、自分の意思をしっかりもつと同時に
それを直球で相手に投げつけるのではなく「これでよろしいでしょうか?」
と一歩控えて、謙虚に出していくこと、つまり謙虚することです。
「一日の長あり」という諺は、一日でも先に生まれた人は、
それだけで経験なども優れている、といった意味ですが
そんな敬意で、目上、先輩、上位者をたて、学ぶ気持ちが尊敬すること。
謙譲語と尊敬語は、そうした気持ちを表現する言葉という訳です。

💎クレームには「わざわざありがとう」の精神で!
「クレーム」を受けるのは、誰もが緊張して、声も表情も硬くなります。
あまりいい気分はしません。
しかし、クレームをいう立場になってみると、これも勇気がいるものです。
ほとんどの人が言わなくてもすむものなら電話をかけたくないと考えている
はずです。
そう、そこなのです。
ちょっとした疑問、質問、確認したいこと
言っておきたい意見、助言などもたくさんあるはずで、
頭ごなしに理不尽な自分勝手な怒りを爆発させる人ばかりではありません。
そのことをわきまえ、相手の気持ちにそった聞き取りが大切で
必ず最後に
「(いろいろご迷惑、ご心配をおかけしてしまいましたが、こうして)
わざわざお電話をありがとうございました」と心をこめて言えるように
なりたいものです。
言葉の約9割は、態度や声の表情によって支えられています。
その「ありがとう」が本心かどうかは「態度と声」を
キャッチして相手は判断するわけです。
「わざわざありがとう」の精神を育(はぐく)んで口に出して言ってみましょう!

💎相手との距離感で敬語の割引率を変える!
敬語遣いが最も試されるのは、プライベートタイムかもしれません。
仕事上は自分より上位者が誰かは判断しやすいものです。
その点、親戚、身内、友人、知人、ご近所さん
あらゆるサービス、販売職、スポーツジム、趣味サークル
公的機関の窓口、病院などなど
生活範囲の分だけ出会う人も多種多様だからです。
これらの人たちに対して、どの程度の言葉使いにすべきかは勉強をするという事で、ここでは「使いすぎは相手を遠ざける」という点をおさえておきましょう。
久々に同窓会に出席したとき、かつては「それやめとけば!」などと
友達言葉だった人に「まあお元気でいらっしゃいました?」と声をかけられ
急に距離を感じ、その人の存在がよそよそしく遠くなったと感じたことが
あります。
「ともこ、元気?」だったら、元通りの感覚でいられたと思うのです。
例えば親戚の集まりでも身近に感じている目上の人には思い切って
敬語は「8割引き」で、「うん。ありがとね」「叔母さんも元気でね」
の方が気持ちが通じます。
一方、例えば買い物の場面では、販売職の人に対しては、
必ず「です」「ます」までにし、
それ以上なれなれしい言葉は不要で、せいぜい「1割引き」まで。
つまり、相手との距離感によって加減するという事です。














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