無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり。
ソクラテスの言葉として知られていますね✨
あとは有名なところでは
無知の知 でしょうか。
ご存じの方もいると思いますが
この二つともソクラテスの言葉とされていますが
実際ソクラテスがそう言ったという記述は出てきません。
なのに皆ソクラテスの格言だ!と信じて疑わずそう思っているんです。
私もそうでしたし(;´Д`A
※調べた時それはそれは驚きました
これも分かりやすね
【思い込みと概念】ですね。
無知の知 は
昭和初期の頃、近代哲学者の高橋里美さんがソクラテスに対して解釈したことが広まったんだそうです。
つまり彼の主観だったんですね。
このように誰かの主観をあたかも真実のように思い込んでしまう。
それが概念化されてあなたの【普通】が出来上がってしまうんですね。
このブログもワタシの主観ですので
合わないと感じれば華麗にスルーしてください(*´ω`*)
今の社会を見渡してみると
凄いコレが溢れまくっています。
社会だけじゃなくコレは私たち自身もなんですね。
まず1番最初にどこでそれが行われるのか。
わかりますか?
ピピーンとくる方もいると思いますが
それは家庭です💦
子供は親の主観の元、概念と思い込みを教えられ育ちます。
人の立場に立って考える とは何なのか。
客観的に物事を見るとは言うけれど
考えたり感じたりするのはその人なんですよね。
結局のところ客観的とは主観の一部なんですよね。
だからその主観を育てていく事が大事なんじゃないかな?と思います。
精神の徳。
つまり道徳心ですね。
決して親が悪いんじゃないですよ。
その親だってそう育ってきたんですから。
子供は最初は何の概念も思い込みも持ち合わせていないんですよね。
なので「???」と思う事もたくさんあるでしょう。
ですが叱られたりして「あぁ、そういうものなのか」と思ってしまう。
そこには我慢も伴いますが、叱られる、もしくは否定されたりしてその感情をねじ伏せます。
その環境に適応していくんですね。
やがて幼稚園や学校に通うわけですが
そうすると今度は家庭+学校でそれらを教えられるんですね。
あぁ、更に蓋。蓋。蓋。
となるわけですね。
皆と一緒じゃないと❌
仕事などの面接なのでようやく個性を出すよう言われるけれど
いざ会社に入ったらまた…💦
面接の時の「自分は他の人と違うであります!」アピールはなんのためだったのか…。
これじゃ気付けない人が多いのも仕方ない話で💦
おっふ💦
困りましたね(ノд`i)アイヤ~💦
でも深刻にならないで全然大丈夫です(*´з`人´з`*)
長編なので今回はここまで☆
続きはまた次回(*`・_っ・´)ノ