【小さき者の特権~自分を愛せるか?~】

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コラム
私は、父に似て身長が非常に低い。
これは家系とはいえ、迷惑以外の何者でもない。

だが、そのおかげで、特に関西の方にはお馴染みの吉本新喜劇の池乃めだか師匠(一度CM撮影の現場でご一緒させていただいたことがある)のギャグ「俺がネクタイを外したら、長さが一緒や!」ができることについては、正直「おいしい」と思っている。

また、寿退社した職場の先輩の結婚式の二次会に出席した際、事前のアンケートで「自分が似ていると思う芸能人は?」という質問に「池乃めだか」と答えておいたところ、会場の招待客が確かにそうだと認めた者が出場できるというルールに則って、余興の「フィーリングカップル5対5」に出場を果たし、最終的に一番人気で三人の女性からのアプローチを得た。

言わば遊びに過ぎないこれらのことを私は「小さき者の特権」として肯定的に捉えている。

小さいからこそでき得ることで、故に、こんな自分があっていい、ということ。

これが自分を愛するということ。「自己愛」。

正常な「自己愛」とは、「あるがままの自分を受け入れ、適切な高さで自己評価する」ことで、これがなければ、人はまともには生きられない。

考えても御覧じろ。

私など、「自分が自分を認めないで誰が認めるか」ぐらいに思っているというのに、どんな人でも、「こんな自分はダメだ」と自己嫌悪感や自己否定に苛まれ続ける人生を送り続けるとしたら、心身ともに健康でいられる筈などないのでR。

だから、自分自身を理解し、愛することは大切だ。

しかし、ただ自分を愛するだけでは、他者を思いやれず、傷つけてしまうことすら考えられるし、他者を愛することは、結局、自分が他者から愛され、大切にされる、つまり、自分を愛することにもつながる。

小さくたっていいじゃないか。おかげで、池乃めだか師匠のギャグはできるし、見た目の可愛さで余興とはいえ素敵な女性たちに注目もしてもらえる(リアルで愛されたことももちろんあったが)。それに応えて、自分が他者に情を向けていれば、それは自分にも返ってくる。他者を愛すれば自分も愛される。これでなくては。

但し、過剰な自己愛は、自分には絶対に間違いはないという歪んだ信念や、他者への無関心、他者を軽蔑する、他者に厳しく自分に甘い、といった問題にもつながり、人間関係や社会生活に影響を及ぼすことになるのでご注意あそばせ。

駄文の御閲覧、心より感謝申し上げます。
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