自分も周りも信じること

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私の従兄で長年、行方がわからなくなっていた従兄がいた。年はもう60歳を過ぎているかなり年の離れた従兄だ。その従兄が最近見つかったと最近母が教えてくれた。

どうやら、精神的な病気を患い、病院に入院することになったそうだが、身寄りがなく役所から父の所に連絡が入ったとのこと。どうやら生きる気力を失っているらしい。生きる意味を感じられなくなっているらしい。

父は5人兄弟の末っ子。上の4人は素敵なお姉さまで、最後の最後に待望の男の子として父は生まれた。先ほどから登場している従兄というのは、父の一番上の姉の2人の子どものうちの長男のことだ。

父の一番上の姉は、とても若いうちになくなった。36歳くらいだったと聞いている。その旦那さんも、その半年前に亡くなっているため、その姉の2人の子どもは物心つかないうちから両親がいなくなってしまった。おそらく、今の私の子どもたちの年齢くらい(6歳とか4歳)で両親を亡くしてしまったのだ。
その後は、父の家で育てられ、特に年の近かった父とは兄弟のように育ったそうだ。

父の姉たちは私の知る限り、とても思いやりのある心優しい方々ばかり。父の両親、つまり私の祖父母(私が生まれる前に他界しているため会ったことはないのだが)も変な噂は聞かないし、叔母や父たちを見る限り、きっと思いやりにあふれた心優しい人だったと想像している。だから、幼い頃に両親を亡くしてしまった従兄だが、その後も愛情には包まれて育っていったと想像はできる。

しかし、彼は今、生きる気力を失っている。なぜなのか。

エリクソンの発達理論の中に、乳児期に育まれるはずの「基本的信頼感」というものがある。その説明が少し興味深いので、紹介したい。

「基本的信頼感」とは、母親的人物との、世話などを通した愛情のやり取りのなかで育まれる感覚で、自分の周囲の人間は自分を愛していて見捨てないと信じられることであり、かつ、自分は愛されるだけの価値があると信じられることを意味する。この基本的信頼感は生涯にわたって自分の中に存在する人格の基礎となり、青年期には時間的展望という形で現れる。基本的信頼感が将来展望にも反映されるので、アイデンティティの可能性を試し選択しようとする際に、基本的信頼感が強いとポジティブで明るい将来展望を持つことができるし、不信感が強いと明るい未来だと思えないことになるそうだ。

エリクソンのいう乳児期は0~2歳のことなので、このケースにあてはまる理論ではないかもしれないが、通じるところはあるような気がする。

毎年、この従兄のお兄ちゃんのお母さん、つまり、私の父の姉、私の叔母さんのお墓参りに行っている。

私が生まれる前に他界されていたから、会ったことはないけれど、毎年墓参りには行っているから、どうしても血のつながりは感じずにはいられない。

そして、3人の母となった今、その叔母さんがこの状況をどう感じているか想像をめぐらすこともできるようになってきた。
きっとこのお兄ちゃんが生まれたときは、初孫だったから、みんながみんな喜んだだろう。
とてもかわいがられたと思う。

きっと、幼い子どもを残して逝くのはつらかっただろう。
でも、もしかしたら、自分がいなくても、他の家族が立派に育ててくれると、最後は安心して逝ったかもしれない。

でも、今、自分の子どもが、自分は生きる価値がないなんて思っていると知ったら、、、母としてはとてもつらい。母としては、元気に生きてくれているだけで嬉しいはずだから。

もし、今、突然私が死んでしまっても、子どもたちには元気に育ってもらいたい。
生きる価値がないなんて思わずに、どうどうと自分らしく生きていってもらいたい。

でも、もし、生きる気力を失ってしまったとしても、そんな時に最終的に頼れる場所は作ってあげたい。私がいなくなっても、心の内まで安心して見せられる人間関係。そこに行くと、自分は愛されていると感じてポジティブで明るい未来を描ける人間関係。そんな人間関係を、これから作っていってあげたいと思う。

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