花を美しいと感じる心と才能の関係

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コラム
私は華道をしているが、「花がとても好きなので、華道をしています♡」というタイプではない。どちらかというと、花を美しいと感じる心は人並み以下、いや世間一般の花に関心のない男性並みだと思っている。それゆえに、このままでは女性としてどうなんだろうと少し思うところあり、結婚してから華道を始めた。

小さい頃にお花屋さんに憧れたことは一度もない。
テレビチャンピオンに出ていた大食い女王の赤坂さんには憧れたことはあるけれど。
まさに、花より団子の人生だ。

華道を始めて少しだけお花には詳しくなった。ほんの少しだけ。
でもやっぱり、「お花が好きで」という人にはかなわない。

長男か次男を妊娠した時に、友人に、「胎教に♡」と1本のチューリップをもらった。
私はチューリップと胎教が結びつかず、頭の中は「?」となったが、なるほど、
チューリップをみると少し心が和んだ。なにより、その友人の「チューリップをプレゼントしたい」という気持ちがとても嬉しかったし、「花」と「胎教」を結びつける友人の感性に敬服する。

保育園のママ友にも、花好きの方がいる。月にいくらか払うと、毎日花を1本受け取れる花屋のサービスがあるらしいのだが、仕事帰りにその1本を受け取ってそのまま保育園に迎えにくる姿をたまに見る。聞くと、「花、好きなんだよね~」と、さらりと言う。またもや、私は、そのママ友のそういう姿に感動する。

その昔、失恋した時に、水菜を育てて、心の傷を癒しにしていた時期がある。その時は、種からまき、水菜の成長を毎日見るのが楽しかった。でも、そもそもなぜ花ではなく水菜を育てていたかというと、育てて鍋にして食べたかったから。最終的に食に結びつかない花を育てることには、どうしても意欲がわかなかった。失恋しても、食欲だけは消えず。最後に食べるという目標があったから、育てている過程も楽しかったのだろう。

保育園の帰り道にお花屋さんがある。ひょんなことがきっかけで、毎日寄るように。別に花は買わないのだが、子どもたちとおしゃべりするのをお花屋さんの方たちがとても楽しみにしてくださっているので、お言葉に甘えていつもちょっと寄らせてもらっている。そこで、たまに、売れ残りのお花を頂く。それを家に帰って飾るのだが、たまに(結構?)飾り忘れて翌朝しなびていることも。その度に、「あぁ、またやってしまった」と後悔する。

そんな私も、花に接する時間が増えたせいか、ごくたまにとても花を美しいと感じる時がでてきた。でもそれは、少し心が弱っている時とかが多いかな。そんな時は、少し世界が違って見える。なんというか、日常の解像度が上がって見える感じ。でも、またすぐに元に戻る。花を美しいと感じる人は、きっとこの状態が継続している状態なんだと思うのだがどうだろう。と、いうことは私には見えない世界を日ごろから感じているということ。

いつか私にも心から花が美しいと感じる日が来るのだろうか。
死ぬまでには、そんな境地に達してみたいと思う。

でも、まだまだしばらくは、花好きな人のフィルターを通して、花の魅力を感じる日々が継続するだろう。

花を見て、美しいと感じるあなた。
それはとても貴重な才能です。

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