つきこの部屋♯4~言葉

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コラム
夜空が好きなつきこです。
満月は心が躍ります。
「お話聞きます」サービスをやってます。

さて。

わたしは、私生活であろうがどこであろうが、人の相談に乗る時に言わない言葉があります。
それは「ネガティブ、ポジティブ」「許し」「見返り」です。

まず「ネガティブポジティブ」という言葉。
これはもう、「りんご」と同じぐらい「なんとなく」「共通理解があるだろう」と思われている言葉ですが、私が子どもの頃にはこの言葉はありませんでした。
やたらこの言葉を使いたがる人たちが出現した時は「なんやねん!」と心の中で何度も突っ込んだものです。

で、多くの人を観察していて思うのが、この言葉を多用する人ほど、その奥にある感情を見ない人だなということ。
その言葉を言えば相手はわかってくれるだろう、もうこれ以上聞きたくない発言をしてこないだろう、みたいな防御反応が透けて見えるといいますか。

人の複雑さをひとことでまとめられると思っていることそのものに、信用性が薄くなるのがわかっているのかいないのか、ということは感じます。

深い経験をすればするほど、「あなたの話はすべてネガティブですよね」などとは言えなくなるものです。そこにある背景、感情の複雑さ、みたいなものがわかるからです。
○○座だからこういう性格ですよね、というぶった切りに似たものを私は感じるので、あまり遣わない言葉です。

次に「許し」ですが
これはもう、アレルギーかというくらい(笑)
人を許せてる自分に酔ってる感じの人、たまにいませんか。
悟りに酔ってる人みたいな。
許せないことに悩んでいる人のほうが人間的でいいなと私は思ってるので、これは好みの問題かもしれません。
許せる人のほうが一段階上、みたいな意識が苦手っていうか。
こっちに降りて来いよ!って思っちゃいます。

最後に「見返り」です。
これはね。

わたしは子どもの頃から親のカウンセラー的存在でした。
母親の希望を叶えるために生まれたかのようにふるまっていました。
そこに「見返り」などあるはずはなく、当たり前のようにやってましたが
さすがに「親に求めて当然の気持ち」を子どもの私が求めた時に得られなかったショックというのがあって、それを友達や職場でも味わうことになります。
しかし、それを「見返りを求めてるんじゃないの」などという言葉でまとめられたら「違うくね?」ですよね。

貸したお金が返ってこない悔しさと同じぐらい、必死で親身になって話を聞いた時間や気持ちが戻ってこないのは悔しいものです。特に親とか友達とか。
何年か「親の会」を開いて、不登校や発達障害の子どもを育てて辛い気持ちのお母さんたちと交流しながら話を聞いていた時期があるのですが、話を聞くことは全然平気でした。見返りなど思ったことはありません。ただ、自分の生活を見直したくなってそこに時間を費やすことを決めたのでできなくなったということがあります。そこで「もっとボランティアするべき」だとか「見返りなくて当たり前だろ」みたいなことを言われたらさすがに怒りますでしょ?自分で納得してやっていても、です。

その昔、神様の代表であるイエスキリストの苦難を描いた「ジーザスクライストスーパースター」というミュージカルを観に行ったのはまだ20代のころでしたが、彼だって悩んでいたんだ、神様に対して叫んでいたんだ、というその描き方が心に刺さって、今でも忘れられません。

仏陀もずっと悩んでいますので、人を助けたい人ほど自分の限界に悩んだり、自分の「させられてる感覚」がしんどかったりするんじゃないでしょうか。
自分も苦しみながら悩みながら、だからこそ、人の痛みに寄り添えるっていうか。そのために社会で発言しなきゃいけなかったりもするし(それこそ見返りなしに)ある程度の犠牲に対して、決して「全然平気」な人はいないし、平気なんだったらそこまででもないのかなと私は思います。

「なんでわたしが」と思いながら背負いながら歩いている道で一番幸せなのは、相手が少しずつ育っていることがわかる時です。
もう私の言葉など必要ない、と離れる時だったりします。
上記のような言葉を遣わずとも、人はいい感じに変わっていきますし、自立していきます。女性ならなおさら、見返りを求めるべく戦っていいし、それで強く美しくもなりますしね。

どんなに何が見えようが、その「見えたものを解釈するその人の心と知識次第」でどのようにも解釈できて言えてしまうので、(「りんご」という物体が見えた時にどう表すか、という問題、あるいは昔の予知能力者が「スマホ」という言葉を遣えなかったというような問題です)
わたしにとってセッションは、自分が感じたことを相手にどのように伝えるか、伝えてもらえるか、言葉を遣っての共同作業であって、決して一方通行伝えるだけ、わかっただろう、わからないのは自己責任、みたいな突き放しはしないものです。
治るとか癒されるってそういうことじゃないかな。

やっぱね、どこからか借りてきた言葉は発した瞬間「あちゃー」って思わん?それしか表現なかったんか、みたいな。
Twitter構文とかいうやつも、読むだけで恥ずかしいなこれ!と思うし。
儲ければいいいのか、すごいな、とは思います。

人って単純やないんよ~言葉でぶった切っていい気持ちになってんじゃないよ~

という、言葉にこだわりのあるつきこでした。

復縁した彼氏ともうすぐ一年。
素敵な占い師さんに支えてもらいながら、関係性を育ててきました。
復縁にも結婚にも人生にもマニュアルはないけれど、皆様のそれぞれの道を私は全力で応援しておりますよ。

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