つきこの部屋♯5~執着と恋愛

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恋愛していて、会えなかったり連絡が途絶えると辛くなる。
辛くなって占い師に相談すると「執着だからだよ」と言われる。
これを何度繰り返しただろう。

本当にそうなの?
とずっと思ってきたし、だから何?とも思ってきた。

今、私の目の前に私がいたら、どう言ってあげるだろうと
ふとそんなことが浮かんだ。

「執着するほどの恋ってなかなかできないよ。きっと後からそれが幸せだったと思うかもしれないね」

私には離れて暮らす子供がいる。子どもといってももう二十歳を過ぎた大人だけれど。
子どもに対して「会えなくて寂しい」と思ったことはないし「会えないから落ち込む」こともない。
だけど愛していないということではない。
会えばうれしいし、近況を伝え合うのも楽しいし、何より子どもはどこにいても子どもなのだし。
元気で生きていてくれたらそれでいい。

彼氏はそうはいかない。
会いたいし声も聞きたい。しゃべりたい。
これを執着と呼ばれて、まるで「手放さなきゃいけないかのように」言われるのはもっと癪に障る。
恋愛の醍醐味はここにあるというのに!

そもそも、そのくらい好きになれる対象がスクリーンや二次元以外で現れるということが奇跡だ。
友達は「もうよっぽどの男でないと好きになれない」と言ってるし、それもわからなくはない。
たくさんの男性と関われば関わるほど、好みのタイプに出会えて、知り合えて、付き合えることがどれだけ珍しいことかわかってくる。
結婚育児を経て、遊びもして、男の表も裏も知ってしまった上に
妥協しないでいるとなおさらである。

だから。
執着するほどの男に出会えたことは奇跡なのである。

そこをまず、認めよう。

寂しいことも悩むこともこれ、恋愛の醍醐味である。
好きになれる人が現れなければできないことなのだ。
「いいなあ、好きになれる人がいて」と呟いた友達の言葉を思い出す。

昔から、私の「好き」はすごかった。スターウォーズのルークが好きになってエピソード4を10回は観に行った。
市村正親さんのファンになって、出演されていた四季のミュージカルは観れる限り観た。
この熱量を現実の男にぶつけたらそりゃ執着と言われるのはわかる。
そして、ぶつけられたら困るとも思う。
だから、できるだけ抑えようとしてバグったり、その熱を自分にぶつけて自分を傷つけてしまったりする。
ってか、そこまで必死になれる男もあまりいないのだが、パワーを持て余したあげく自滅するパターンが続いた。

このような感覚は一般的ではないのだし、占い師だからって理解できるはずもなく、ありきたりの「執着だからね」と言われてもやもやすることが多かったように思う。

人を好きになることは素晴らしいことだ。
何かを「好きになる」って、私には普通だが、そうそう普通でもないらしい。
嫌われたらいやだ~って思うことも、自分を卑下してしまって相手に合わせてしまうことも、かわいいと思う。
だってそれが恋だからだ。

悟ったらぴったりの人が現れますよとかしたり顔で言う人って、そういうぐちゃぐちゃの恋愛したことあるのかしら。それが本当に嫌だったのかしら。

人は、つらいことから逃れられない。
だから、誰かが必要で、会話が必要で、安心できる場所が必要だ。
辛くない自分になろうと努力しよう、などと教え諭す前に、ただひたすらその人の辛さに付き合ってあげればいいじゃないのだろうか。
それが嫌だから「辛い人を減らそうとする」のではないだろうか。

大切なことは、本気で誰かを好きになって愛して執着もして辛くなって凹んだ経験をしたということのほうであって、トラウマがなんちゃらとか言われて恋愛から遠ざかることではないと思う。

「ひとりでいても辛くない境地」も素敵かもしれないが
「一人は寂しいなあ」「辛いなあ」という気持ちを理解できる人でいたい。
毛布をかけるようにそっと寄り添える人でありたい。

そして、恋をしながら、世界中に好きな人が増えていったらどんなに素敵だろうと思う。「夫が嫌いだ」「パートナー好きじゃない」とか言ってるくらいなら、執着できるほど好きな人を見つけてみなよ。ってね。

会えなくて凹む人はみんなかわいい(^^)/

辛いときは話に来ていいよ~。

では、明日も素敵な一日を。





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