つきこの部屋♯3~不登校のことを書いてみようか

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こんばんは。
つきこです。お話聞きますよ~というサービスを提供しております。
不登校の親御さんのためのメニューを作ったところ、すぐにお気に入りされましたよ~という連絡が来てびっくり。
わたしの中ではいまさらという感じではありますが
それなら久しぶりに不登校のことでも書いてみようかと。

というのも息子たちが不登校の時に、ブログを毎日3年続けて書いておりまして、息子たちももう成人しておりますし、私自身の課題ではなくなってしまったということがあります。

もともと、教師になりたかったことと、心理学に興味があったので、「学校とは」ということを普通の人よりは考える時間が多かった人生です。
その上、息子たちが学校に行かない現実に直面したものですから、そりゃね、思うところはたくさんありました。

不登校の親御さん向けメニューに目を止めた若い人が多いということは、それだけご自分が不登校だったとか、そういう友達がいたとか、今不登校の子どもと暮らしているとか、そういう人たちがココナラにもいらっしゃる気がしました。

さて。

不登校で悩むことってなんでしょう。
困ることってなんでしょう。
不登校の子どもと暮らしたことがない人たちは、すぐに「友達が~」「勉強が~」「心の闇が~」みたいなことを言い出すのですが
全部はずれです。

わたしにとって一番大きかったのは「昼ごはん毎日いるんか」

そうです、給食です。あれは親にとってどれだけ助かるものであるか。

それから「親も不登校になる」「地域との断絶」です

教師が不登校の子どもを見るまなざしの冷たいこと・そして、親への圧力な!
親だって人間ですよ、子供の精神を健やかに保つだけでも大変なのに
教師の心まで面倒見れるかよ。

地域の皆様も、まあまあきついっすよね。
日本は「はみ出た親子」への関わり方が下手すぎる
「はみ出なきゃいいんだよ」てなもんです。
わたしから見れば、たまたま学校に適応できてるだけ、もしくは、超我慢して合わせてるだけで、それをあたかも「私の育て方が間違ってなかったから子供が学校に通えてるのよ」的なオーラを出してこっちに向かってくる。
うざい。

で、相談してくださいっていうから相談しても
「不登校が問題」と言われるだけ
あなたの心がどうとか、引き寄せやってる人なら「あなたの潜在意識がどうたら」とか言われるわけです。
「学校に通えることがそんなに偉いわけ?」とこっちは思いますけど。マイノリティだもの、そんなこと言えないじゃん。

はっきり言って、不登校は学校制度の疲弊なんです。
だって、学校に通えなくても勉強できるような制度があればいいだけだし
「どこかに通えないことが問題行動」という考え方そのものがおかしいのでね。

病気であろうが健康であろうが、学校が本当にいいところだったら学校に行きたくなるでしょうし。

そのような根本的なことを全く無視して、個人の心の闇だのなんだのって・・・カウンセリングが必要なのは、子供を押さえつけてる教師のほうだったりしません?なぜいけなくなった子供がカウンセリング受けなきゃなんないの?ですよ。

学校に行けてても行けてなくてもしんどい子どもはいるでしょうし
学校でいじめをしているお子様のほうがカウンセラー必要なはず。
あえて「不登校だから」というくくりは必要ないのです。

それでも、「不登校の親のためのメニュー」を作ったのは
そういうことがわからずにやみくもに悩んでいる親御さんや
なんでもかんでも不登校に問題があると思わせようとする空気でしんどくなってる親御さんが少しでも楽になればと思ったから。

給食食べてくれないから、毎日が夏休みだし
一日家にいたりする(学校がある時に外に出てるとうるさい大人がいるので)ので、親もずっと気が休まらないし
毎月個人懇談ある感じで教師と付き合わなきゃいけないし
「学校に通っている子供の親」とは生活が全然違うところ、そういう肉体的精神的負担について理解のある人は少ないです。

今のところ、学校以外に選択肢がない地域が多いので(東京ならいろいろあるのかなあ)どうしても親に負担がかかってしまっている。介護と同じです。どうしようもない。
それはカウンセリングで解決なんてされないんだけど
少なくとも「子どもとの関係」が悪くならなければ、ひとつ負担が減りますよね。

子どものせいだ~子どもが学校に行けば解決するのに~みたいになって子どもと敵対しちゃってる親とか、自分が楽になりたいからって子どもをコントロールしようとする親とか、それ誰のため?ダレトク?みたいなね。

とにかく、自分の気持ちがわからなくなってて、何が大変なのか、自分は何を望んでいるのか、どうしたいのかがこんがらがってしまうのが、子どもの不登校という状態であってそれは、やっぱり自分の言葉でしゃべってみることからしか見えてこないんじゃないかと私は思っております。

誰かに聞いてもらって整理する。でも、子どもを変えようとするのではなくて、みたいな。そういう時間が必要です。
子どもが特別な子どもだと言われて安心しちゃいたい人もいるみたいだけど、それではただの自己満足にすぎなくて、子育てってそういうもんじゃない。
子どもが学校に行くことが「幸せ」と言われる状態なのか、それを「幸せ」と定義しちゃっていいのか、まずはそこからだと。

悩みのもつれをほどいて、シンプルにしていくのが私の話の聞き方になります。

肩に力を抜いて不登校の子どもと過ごせるようになるのが一番だと私は思っていますので、(それが生活だし、子どももそのほうが楽だし)
日々のお疲れを癒すおしゃべりができたらいいなあ。

子どもが不登校だと、ママ友とも疎遠になるしね。
何の評価も挟まずに話を聞いてくれる人の存在が必要だと私はずっと思ってきたので、当時は親の会を三つやってたかな。それでずいぶん救われました。

不登校を「解決すべき問題」とは思わないこと
生活の大変さを乗り切らなきゃいけないのは、不登校に限ったことではないので、そこは工夫したり、電話で愚痴ったりして。

子どもも親も学校に振り回されるけど、ね。
少しでも安らぎの時間が得られますように。

では。







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