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ローレン|オックスフォード卒@迷走中

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空洞の熱帯とダウンタイム 第2回

空洞の熱帯とダウンタイム 第2回

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ローレン|オックスフォード卒@迷走中

2026年10月07日 01:30

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500

円

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第2回 第一章〜第二章

有料・500円(冒頭は無料)

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■ 第一章 サボテンスクールの冬と剪定された自我

 

洗面台の鏡に映る男は、まだダウンタイムの最中にあった。目の下の脂肪を抜き取った皮膚は、内出血で赤紫に鬱血し、まるで誰かに殴られた後のようだ。深く刻まれていたほうれい線は消失したが、代わりに頬全体が異物を詰め込まれたように強張り、蝋細工のような不自然な光沢を放っている。

 

無意識に下腹部をさすると、ボディースーツ(圧迫着)越しに、脂肪をこそげ取られた肉が鈍く疼いた。空洞になった皮下組織が、新たな位置で癒着しようと悲鳴を上げている。顔も、腹も、これだけ痛めつければ、私はまた少し、あの男から遠ざかることができるはずだった。

 

私は苛立ちを紛らわせるように、処方された軟膏を指に取り、鬱血した目の下に厚く塗りたくった。べとりとした油分が視界を滲ませ、鏡の中の男を溶解させていく。いっそ、このまま溶けてしまえばいい。皮膚も、肉も、忌々しい血の記憶も。その白濁した視界の奥から、古い記憶の色が浮かび上がってくる。まだ私が、血と浸出液で固まった「象の皮膚」を全身に纏(まと)っていた、あの頃の記憶だ。

 

一九八八年、札幌の郊外。それが私の原風景だ。小学校に上がる前、まだ幼稚園生だった私は、その圧倒的な白さの中に一人で立っていた。気温はマイナス五度。だが、アトピー性皮膚炎で爛(ただ)れた肌は、寒さで感覚を失うどころか、衣服の摩擦と乾燥によって狂ったような信号を脳に送り続けている。痒い。骨の髄まで痒い。

 

「雪合戦だ!」

 

誰かが叫んだ。無邪気な号令と共に、無数の雪玉が空を切り裂いて飛んでくる。標的は私一人だ。固く握られ、表面が氷のように硬化した雪の塊が、爛れた顔に、腹に、足に叩きつけられる。

 

湿った衝撃音。雪玉が肌に当たって砕け、氷の粒が傷口に入り込む。私は泣かなかった。泣けば体温が上がり、痒みが増すことを知っていたからだ。ただ、雪の中にうずくまり、両手で頭を抱えながら、遠くアメリカで父が言っていた言葉を、壊れたレコードのように反芻していた。

 

「アングロサクソンが一番上だ。その下にプエルトリカン、黒人……日本人はもっと下だ」

 

一九八六年、私たち家族はアメリカ東海岸の小さな町に住んでいた。大学から派遣された父は、現地の市立病院で研究と臨床をしながら、日々、露骨な人種的序列に晒されていた。

 

当時四歳だった私は、ローカルのエレメンタリースクールへの初登校の日、異国への恐怖で泣きじゃくり、どうしても家のドアノブから手を離すことができなかった。

 

数分後、自宅の前に一台の車が滑り込んできた。

 

「青空が眩しいわ」

 

母は他人事のように呟いた。鮮やかな黄色のオープンカー、フォルクスワーゲン・タイプⅠ。ビートルだ。降りてきたのは、入学したスクールの女性校長だった。

 

彼女は有無を言わさず私の腕を掴んだ。太い指が食い込む。私は泣き叫んだが、彼女は私を荷物のように担ぎ上げ、その小さな黄色い車の後部座席に放り込んだ。彼女は車内から立ち上がり、母に向かって笑顔で手を振った後、アクセルを踏み込んだ。

 

エンジン音が唸り、景色が後ろへ飛び去っていく。私は黄色いワーゲンに拉致された。

 

帰国後、札幌の小学校に上がると、私は学習した。「下」にならない方法はただ一つ。「上」の人間が望む通りのピエロを演じることだ。幼稚園時代のいじめは鳴りを潜め、代わりに私は「優秀な生徒」という仮面を手に入れた。成績は常に上位。アトピーの痒みは相変わらず私を苛み続けたが、私はそれを隠し、明るく振る舞う術を覚えた。

 

クラスの中心には常に私がいた。友人は多く、放課後の校庭は私の独壇場だった。だが、家に帰れば完全な静寂が待っていた。父は札幌の大きな病院の外科医で、その世界では名の知れた男だった。だが、私にとっては「不在の神」でしかなかった。帰宅は常に深夜。たまの休日は書斎に籠もり、英語の論文を読み耽る。父とキャッチボールをした記憶など一度もない。

 

ある日、私は父の働く病院の医局を訪ねたことがある。紫煙が立ち込める薄暗い部屋。アルコールと消毒液とタバコの臭いが混ざり合った、大人の男の臭い。その奥から白衣を着た父が現れた。逆光で表情が見えない。その背中はあまりにも大きく、遠かった。私はただ、その白衣の裾を見つめることしかできなかった。

 

父は私の皮膚病になど関心を持たなかった。

 

「人の生死に関係のない病気なぞくだらない」

 

父はそう吐き捨てた。外科医にとって、死なない病気はノイズでしかない。

 

私は父の書斎から勝手に薬を持ち出した。炎症鎮痛剤、抗ヒスタミン剤。ラムネ菓子のように飲み下した。化学物質だけが、私の痛みと孤独を一時的に麻痺させてくれた。

 

小学校高学年の冬、事件が起きた。担任は理科教師のツゲ先生だった。眼鏡の奥に感情の読めない目を光らせ、理科準備室の奥の小さな温室で、サボテンを育てることを生き甲斐にしていた人物だ。私たちのクラスは「サボテンスクール」という、ポップで、どこか不気味な愛称で呼ばれていた。

 

ある日のホームルーム。ツゲは、いつもの淡々とした口調で言った。

 

「クラスで誰が一番友達が多いか、ランキングを発表する」

 

教室がざわめく。残酷な遊びだと思った。だが、私はどこかで高を括っていた。今の私には友人がいる。幼稚園時代とは違う。黒板に名前が書き出されていく。チョークの粉が舞う。三十八位から順に。私の名前は呼ばれない。三十位、二十位、十位……まだ呼ばれない。そして最後に残ったのは私の名前だった。

 

一位。

 

クラスメイトたちが私を見る。称賛、嫉妬、そして困惑。私は誇らしさと同時に、背筋が寒くなるような違和感を覚えた。ツゲは笑っていなかった。眼鏡の奥の瞳が、標本を観察するように私を射抜いていた。

 

「シノハラ、放課後残れ」

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