こんにちは。「なゆ」です。
昔の私は、いつもこんな思いに支配されていました。
「1gでも体重が増えたら、私の人生は終わり」
「太ってしまったら、私にはなんの価値もなくなってしまう」
朝、目が覚めて真っ先に頭に浮かぶのは「昨日より増えていないかな…」という強い不安。
学校に行けば、友達の体型や食べているお弁当の量が気になって仕方がない。
家に帰ったら、逃げるように運動をする。
そんな、心が休まる暇もない毎日を、何年も何年も送っていました。
でもね、どん底から抜け出した今の私なら、はっきりと言えるんです。
私にとっての拒食症は、決して「体重や食事」だけの問題ではありませんでした。
それは「心と思考の病気」だったんです。
体重の数字が増えたから治ったわけではありません。
ごはんが食べられるようになったから安心できたわけでもないんです。
私が本当の意味で変われたのは「自分が自分の価値をどこに置くか」に気づけたときでした。
※最初にお伝えしたいこと
この記事は、私「なゆ@拒食症から生還しました」が、自分の体験を素直につづった個人の記録です。
・医師のような専門的なアドバイスや診断を行うものではありません。
・症状の良くなり方や心の感じ方には、一人ひとり個人差があります。
・もし不安なことがあったり、専門的なサポートが必要だと感じたときは、どうか医療機関や専門家の方を頼ってくださいね。
また、この文章は「誰かを責める」ために書いたものではありません。
当時の私がどんなに暗い洞察の中にいたのか、そしてそこからどうやって光のある場所へ抜け出したのかを、隠さずにお話ししたものです。
もし今、同じように苦しんでいるあなたや、大切なご家族の立場にいる方が読んでくださっているなら
「こんな風に感じることもあるんだな」
「うちの子も、言えないだけでこんなことを考えているのかな」
と、心をふっと緩めるヒントとして受け取っていただけたら、とても嬉しいです。
1. どうして痩せることでしか、自分を守れなかったのだろう?
「痩せてさえいれば大丈夫」と信じ込んでいた、私の鎧(よろい)
当時の私にとって「痩せていること」はお守りであり、自分を守るための鎧(よろい)のようなものでした。
「痩せていれば、誰からも嫌われない」
「痩せていれば、見捨てられずにすむ」
「痩せていれば、ここにいてもいいんだ」
そうやって、痩せている自分を盾にしながら、なんとか世界と向き合っていたんです。
私は三姉妹の長女として育ちました。
特に目立つこともなく、大きな問題も起こさず、静かに過ごす子どもでした。
親から見れば、きっと「手が手がかからない、いい子」だったと思います。
あまり怒られることもなく、成績もそこそこ。
でも、だからこそ心の奥で「私って、いてもいなくても変わらない特別な存在じゃないのかも」という寂しさを抱えていました。
体重の数字が減ると、不思議と心がスッと落ち着くんです。
逆に、ほんの少しでも増えると、逃げ出したくなるような不安に襲われました。
いつの間にか「痩せていること」が私の全てになっていました。
「痩せている私」だけが、唯一の自慢だったんです。
今振り返れば、それは本当の安心なんかじゃなくて、ただ痛みを麻痺させていただけでした。
でも当時の私は「痩せていれば大丈夫」という魔法のような思い込みに、必死にしがみつくしかありませんでした。
自分の価値を「体型」に預けてしまった日
気づいた時には「自分の価値=体重や体型」という計算式が、私の中で出来上がっていました。
・友達よりも細いこと
・家族よりも食べていないこと
・高カロリーなものを我慢できていること
そんなひとつひとつが「私はちゃんとしている」「私は優れているんだ」という、かりそめの安心感につながっていたんです。
友達がピザやハンバーガーを楽しそうに食べているのを見たとき、私の心の中ではこんな声がしていました。
「私はあんなもの食べていない。だから私の方が偉い」
「我慢できている私は、強い人間なんだ」
今こうして言葉にすると、とても悲しくて切ない考え方ですよね。
でも、当時の私はそうやってしか、自分をほめてあげることができなかったんです。
痩せていることしか、自分のいいところがない。
太ってしまったら、私は何の価値もない透明人間になってしまう。
そんな悲しい思い込みが、少しずつ、でも確実に私の中に根を張っていきました。
痩せれば痩せるほど安心してしまう、悲しい矛盾
拒食症の本当にこわいところは「痩せれば痩せるほど、心がホッとしてしまう」ことだと思っています。
体は悲鳴を上げて限界に向かっているのに、頭の中は「これで大丈夫」と錯覚してしまう。
でもその一方で「もっと痩せなきゃ、いつか捨てられる」という恐怖も大きくなっていきます。
安心したい気持ちと、恐ろしい気持ちが、ずっと同時に存在している状態。
これが、拒食症の心の中です。
だから、周りの人が心配して「体重を増やそう」としてくれると、自分を守ってくれている大切な「安心」を奪われるように感じてしまうんです。
体に栄養をあげるという「生きるための行動」が、自分を「壊す恐ろしい行為」に思えてしまう。
この心がからまった状態のままでは、どれだけ「食べなきゃ」と頭で分かっていても、一歩も前に進めなくて当たり前だったのです。
2. 拒食症の子が、誰にも言えず心の奥で信じ込んでいること
「太った私には、誰も寄り添ってくれない」という思い込み
苦しかった頃、私の中には絶対に揺るがない「ひとつの思い込み」がありました。
それは「太った私なんて、誰からも必要とされなくなる」という決定的な確信です。
誰にも言ったことはありません。
けれど、心の底にずっと深く根を張っていました。
「痩せていない私には、何の魅力もない」
「痩せていない私は、誰にも褒めてもらえない」
「痩せていない私は、ここにいてはいけない」
太るということは、ただ見た目が変わるということではありませんでした。
私にとっては「生きていく意味そのものを失う」くらいの恐ろしいことだったんです。
もちろん、家族や周りの人がそんなひどいことを言ったわけではありません。
でも、傷つきやすかった私の中では、いつの間にかそんなルールが完成してしまっていたのです。
痩せている自分しか許されない、厳しい世界
私は、自分がこの世界にいてもいい理由として、自分自身にとても厳しい条件を出していました。
「〇kg以下でいられたら、いてもいい」
「お昼を食べても、夜を抜けば許してあげる」
「〇〇ちゃんより細くいられたら、合格」
そうやって、常に条件付きの自分しか認められなかったんです。
本当は、何の努力をしなくても、どんな体型であっても、あなたはただそこにいるだけで価値がある存在なんです。
でも当時の私には、それがどうしても信じられませんでした。
誰かに何気なく褒められた言葉や、SNSで見かける細くて綺麗な女の子たちの投稿。
いろんなものが少しずつ重なって「痩せている=正しいこと」という絶対のルールができあがっていました。
そのルールを守れているときだけ、なんとか自分を好きでいられる。
でも、そこから少しでも外れた瞬間、自分がたまらなく嫌いになってしまう。
そんなグラグラ揺れる心で、私は毎日、慎重に慎重を生きていました。
「食べないこと」でしか、自分の居場所を作れなかった
当時の私にとって「食べないで耐えている私」こそが「頑張っている素敵な私」でした。
みんなが美味しそうに食べているのをぐっと我慢する。
食べ物の裏にある数字を、穴があくほど見つめる。
お弁当のお米を残す。
そうやって「我慢して努力している自分」を作ることで「これなら、ここにいても許してもらえるよね?」と、周りに許しを請うていたのだと思います。
本当はおかしいですよね。
食べないなんて体を壊してしまうことなのに、悲しいことに「食べていない私」を見て、母が心配そうにしてくれると、心がどこかホッとしたんです。
「あぁ、私を見てもらえているんだ」って。
そうやってしか、自分の居場所を感じられなかった。
それくらい、私の心は不安でいっぱいだったんです。
3. 体重を増やそうとすればするほど、心が苦しくなってしまう本当の理由
体重が増えることが、どうしてあんなに怖かったのか
拒食症の回復でよく言われるのが「まずは体重を増やしましょう」という言葉です。
でも私にとって、それは何よりも恐ろしいことでした。
数字が100g増えるだけで「自分の価値が落ちた」「ダメな人間になった」「もう誰からも愛されない」と感じてしまったからです。
体重が増えることは「健康になること」ではありませんでした。
私にとっては「自分を守ってくれていた鎧(よろい)が剥がされて、丸裸で外に放り出されるような感覚」だったのです。
痩せていることでしか自分を保てなかった私にとって、それを取り上げられるのは、自分という人間そのものが崩れて消えてしまうような恐怖でした。
体重という数字よりも先に、悲鳴を上げていた心
拒食症になると、目に見える「体重」という数字ばかりに心が奪われてしまいます。
でも、本当は数字が増える減るの前に「心のリズム」が壊れてしまっていたんです。
体がクタクタなのに、無理をして頑張る。
不安で泣き出しそうなのに、平気な顔をして笑う。
「助けて」と言いたいのに、迷惑をかけたくなくて黙ってしまう。
私はずっと、そんな生き方が当たり前だと思っていました。
でも今なら分かります。
それはただ、傷つかないように自分の心を麻痺させていただけだったんです。
本当の問題は、心が休まる場所がなくて、ずっとピンと糸が張ったように緊張していたこと。
体重の増減は、その心が悲鳴を上げた結果に過ぎなかったのです。
思考が変わらないまま無理に治そうとしても、うまくいかなかった訳
昔、無理やり体重を増やそうとしたことがありました。
「早く治さなきゃ」「これ以上、お母さんたちを心配させちゃダメだ」という焦りからでした。
でも、心の中の準備ができていなかった私は、体重が少し増えた瞬間に、耐えきれなくなってしまいました。
「太っちゃった、もう私は誰からも必要とされない」
「こんな自分、許せない」
その恐怖に飲み込まれて、結局すぐまた食事を拒む生活に逆戻りしてしまったんです。
この痛い失敗から、私は大切なことを学びました。
「体重」だけを元に戻そうとしても、心は置き去りのままだから、絶対にうまくいかないんだって。
本当に必要だったのは「どうして私は、こんなにも痩せることにしがみついてしまうんだろう?」という心の中の根っこに優しく気づいてあげて、その考え方を少しずつ解きほぐしていくことだったのです。
4. 私がずっと、お母さんに言えなかった本当の気持ち
こんにちは。「なゆ」です。
昔の私は、いつもこんな思いに支配されていました。
「1gでも体重が増えたら、私の人生は終わり」
「太ってしまったら、私にはなんの価値もなくなってしまう」
朝、目が覚めて真っ先に頭に浮かぶのは「昨日より増えていないかな…」という強い不安。
学校に行けば、友達の体型や食べているお弁当の量が気になって仕方がない。
家に帰ったら、逃げるように運動をする。
そんな、心が休まる暇もない毎日を、何年も何年も送っていました。
でもね、どん底から抜け出した今の私なら、はっきりと言えるんです。
私にとっての拒食症は、決して「体重や食事」だけの問題ではありませんでした。
それは「心と思考の病気」だったんです。
体重の数字が増えたから治ったわけではありません。
ごはんが食べられるようになったから安心できたわけでもないんです。
私が本当の意味で変われたのは「自分が自分の価値をどこに置くか」に気づけたときでした。
※最初にお伝えしたいこと
この記事は、私「なゆ@拒食症から生還しました」が、自分の体験を素直につづった個人の記録です。
・医師のような専門的なアドバイスや診断を行うものではありません。
・症状の良くなり方や心の感じ方には、一人ひとり個人差があります。
・もし不安なことがあったり、専門的なサポートが必要だと感じたときは、どうか医療機関や専門家の方を頼ってくださいね。
また、この文章は「誰かを責める」ために書いたものではありません。
当時の私がどんなに暗い洞察の中にいたのか、そしてそこからどうやって光のある場所へ抜け出したのかを、隠さずにお話ししたものです。
もし今、同じように苦しんでいるあなたや、大切なご家族の立場にいる方が読んでくださっているなら
「こんな風に感じることもあるんだな」
「うちの子も、言えないだけでこんなことを考えているのかな」
と、心をふっと緩めるヒントとして受け取っていただけたら、とても嬉しいです。
1. どうして痩せることでしか、自分を守れなかったのだろう?
「痩せてさえいれば大丈夫」と信じ込んでいた、私の鎧(よろい)
当時の私にとって「痩せていること」はお守りであり、自分を守るための鎧(よろい)のようなものでした。
「痩せていれば、誰からも嫌われない」
「痩せていれば、見捨てられずにすむ」
「痩せていれば、ここにいてもいいんだ」
そうやって、痩せている自分を盾にしながら、なんとか世界と向き合っていたんです。
私は三姉妹の長女として育ちました。
特に目立つこともなく、大きな問題も起こさず、静かに過ごす子どもでした。
親から見れば、きっと「手が手がかからない、いい子」だったと思います。
あまり怒られることもなく、成績もそこそこ。
でも、だからこそ心の奥で「私って、いてもいなくても変わらない特別な存在じゃないのかも」という寂しさを抱えていました。
体重の数字が減ると、不思議と心がスッと落ち着くんです。
逆に、ほんの少しでも増えると、逃げ出したくなるような不安に襲われました。
いつの間にか「痩せていること」が私の全てになっていました。
「痩せている私」だけが、唯一の自慢だったんです。
今振り返れば、それは本当の安心なんかじゃなくて、ただ痛みを麻痺させていただけでした。
でも当時の私は「痩せていれば大丈夫」という魔法のような思い込みに、必死にしがみつくしかありませんでした。
自分の価値を「体型」に預けてしまった日
気づいた時には「自分の価値=体重や体型」という計算式が、私の中で出来上がっていました。
・友達よりも細いこと
・家族よりも食べていないこと
・高カロリーなものを我慢できていること
そんなひとつひとつが「私はちゃんとしている」「私は優れているんだ」という、かりそめの安心感につながっていたんです。
友達がピザやハンバーガーを楽しそうに食べているのを見たとき、私の心の中ではこんな声がしていました。
「私はあんなもの食べていない。だから私の方が偉い」
「我慢できている私は、強い人間なんだ」
今こうして言葉にすると、とても悲しくて切ない考え方ですよね。
でも、当時の私はそうやってしか、自分をほめてあげることができなかったんです。
痩せていることしか、自分のいいところがない。
太ってしまったら、私は何の価値もない透明人間になってしまう。
そんな悲しい思い込みが、少しずつ、でも確実に私の中に根を張っていきました。
痩せれば痩せるほど安心してしまう、悲しい矛盾
拒食症の本当にこわいところは「痩せれば痩せるほど、心がホッとしてしまう」ことだと思っています。
体は悲鳴を上げて限界に向かっているのに、頭の中は「これで大丈夫」と錯覚してしまう。
でもその一方で「もっと痩せなきゃ、いつか捨てられる」という恐怖も大きくなっていきます。
安心したい気持ちと、恐ろしい気持ちが、ずっと同時に存在している状態。
これが、拒食症の心の中です。
だから、周りの人が心配して「体重を増やそう」としてくれると、自分を守ってくれている大切な「安心」を奪われるように感じてしまうんです。
体に栄養をあげるという「生きるための行動」が、自分を「壊す恐ろしい行為」に思えてしまう。
この心がからまった状態のままでは、どれだけ「食べなきゃ」と頭で分かっていても、一歩も前に進めなくて当たり前だったのです。
2. 拒食症の子が、誰にも言えず心の奥で信じ込んでいること
「太った私には、誰も寄り添ってくれない」という思い込み
苦しかった頃、私の中には絶対に揺るがない「ひとつの思い込み」がありました。
それは「太った私なんて、誰からも必要とされなくなる」という決定的な確信です。
誰にも言ったことはありません。
けれど、心の底にずっと深く根を張っていました。
「痩せていない私には、何の魅力もない」
「痩せていない私は、誰にも褒めてもらえない」
「痩せていない私は、ここにいてはいけない」
太るということは、ただ見た目が変わるということではありませんでした。
私にとっては「生きていく意味そのものを失う」くらいの恐ろしいことだったんです。
もちろん、家族や周りの人がそんなひどいことを言ったわけではありません。
でも、傷つきやすかった私の中では、いつの間にかそんなルールが完成してしまっていたのです。
痩せている自分しか許されない、厳しい世界
私は、自分がこの世界にいてもいい理由として、自分自身にとても厳しい条件を出していました。
「〇kg以下でいられたら、いてもいい」
「お昼を食べても、夜を抜けば許してあげる」
「〇〇ちゃんより細くいられたら、合格」
そうやって、常に条件付きの自分しか認められなかったんです。
本当は、何の努力をしなくても、どんな体型であっても、あなたはただそこにいるだけで価値がある存在なんです。
でも当時の私には、それがどうしても信じられませんでした。
誰かに何気なく褒められた言葉や、SNSで見かける細くて綺麗な女の子たちの投稿。
いろんなものが少しずつ重なって「痩せている=正しいこと」という絶対のルールができあがっていました。
そのルールを守れているときだけ、なんとか自分を好きでいられる。
でも、そこから少しでも外れた瞬間、自分がたまらなく嫌いになってしまう。
そんなグラグラ揺れる心で、私は毎日、慎重に慎重を生きていました。
「食べないこと」でしか、自分の居場所を作れなかった
当時の私にとって「食べないで耐えている私」こそが「頑張っている素敵な私」でした。
みんなが美味しそうに食べているのをぐっと我慢する。
食べ物の裏にある数字を、穴があくほど見つめる。
お弁当のお米を残す。
そうやって「我慢して努力している自分」を作ることで「これなら、ここにいても許してもらえるよね?」と、周りに許しを請うていたのだと思います。
本当はおかしいですよね。
食べないなんて体を壊してしまうことなのに、悲しいことに「食べていない私」を見て、母が心配そうにしてくれると、心がどこかホッとしたんです。
「あぁ、私を見てもらえているんだ」って。
そうやってしか、自分の居場所を感じられなかった。
それくらい、私の心は不安でいっぱいだったんです。
3. 体重を増やそうとすればするほど、心が苦しくなってしまう本当の理由
体重が増えることが、どうしてあんなに怖かったのか
拒食症の回復でよく言われるのが「まずは体重を増やしましょう」という言葉です。
でも私にとって、それは何よりも恐ろしいことでした。
数字が100g増えるだけで「自分の価値が落ちた」「ダメな人間になった」「もう誰からも愛されない」と感じてしまったからです。
体重が増えることは「健康になること」ではありませんでした。
私にとっては「自分を守ってくれていた鎧(よろい)が剥がされて、丸裸で外に放り出されるような感覚」だったのです。
痩せていることでしか自分を保てなかった私にとって、それを取り上げられるのは、自分という人間そのものが崩れて消えてしまうような恐怖でした。
体重という数字よりも先に、悲鳴を上げていた心
拒食症になると、目に見える「体重」という数字ばかりに心が奪われてしまいます。
でも、本当は数字が増える減るの前に「心のリズム」が壊れてしまっていたんです。
体がクタクタなのに、無理をして頑張る。
不安で泣き出しそうなのに、平気な顔をして笑う。
「助けて」と言いたいのに、迷惑をかけたくなくて黙ってしまう。
私はずっと、そんな生き方が当たり前だと思っていました。
でも今なら分かります。
それはただ、傷つかないように自分の心を麻痺させていただけだったんです。
本当の問題は、心が休まる場所がなくて、ずっとピンと糸が張ったように緊張していたこと。
体重の増減は、その心が悲鳴を上げた結果に過ぎなかったのです。
思考が変わらないまま無理に治そうとしても、うまくいかなかった訳
昔、無理やり体重を増やそうとしたことがありました。
「早く治さなきゃ」「これ以上、お母さんたちを心配させちゃダメだ」という焦りからでした。
でも、心の中の準備ができていなかった私は、体重が少し増えた瞬間に、耐えきれなくなってしまいました。
「太っちゃった、もう私は誰からも必要とされない」
「こんな自分、許せない」
その恐怖に飲み込まれて、結局すぐまた食事を拒む生活に逆戻りしてしまったんです。
この痛い失敗から、私は大切なことを学びました。
「体重」だけを元に戻そうとしても、心は置き去りのままだから、絶対にうまくいかないんだって。
本当に必要だったのは「どうして私は、こんなにも痩せることにしがみついてしまうんだろう?」という心の中の根っこに優しく気づいてあげて、その考え方を少しずつ解きほぐしていくことだったのです。
4. 私がずっと、お母さんに言えなかった本当の気持ち