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縁のはじまり

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「学校に行きたくない」と言われたとき。―親子で少しずつ自分らしさを取り戻していくための、ひとつの視点

「学校に行きたくない」と言われたとき。―親子で少しずつ自分らしさを取り戻していくための、ひとつの視点

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縁のはじまり

2026年06月06日 13:20

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子どもが「学校に行きたくない」と本音を漏らしたあの日。
それは人生の終わりでも、逃げだした言葉でもなく、新しい人生の“はじまり”でした。

ここに綴った言葉は、「こうすれば学校に戻る」という正解を教える教科書ではありません。
なぜみんなが苦しくなるのかという「構造」を一緒に見つめ直し、親御さんも、子どもたちも、それぞれが少しずつ肩の力を抜いて自分らしさを取り戻していくための、ひとつの「ものの見方」です。

完璧な親にならなくていい。
焦らず、答えを急がず、ここから始まる新しい物語を、一緒に歩んでいきませんか。

ーーー

目次

第1章:学校との関係(外の世界)
① 最初の朝、どうするか
② 学校には、どこまで説明すればいいのか。
③ 毎日連絡しないとダメ?
④ 「少しだけでも来ませんか?」が苦しくなるとき。
⑤ 学校に戻すことだけを、ゴールにしなくていい。

第2章:家の中で起きること(家庭の空気)
① 家でどう過ごせばいいのか。
② 家の空気は、子どもが一番見ている。
③ 自分の気持ちを、閉じ込めてしまう子どもたち
④ 家が「安心できない場所」になると、子どもはどこへ向かうのか。
⑤ 「安心できる家」を、どう作るか。

第3章:親自身の苦しさ(内側の葛藤)
① 親も、少しずつ余裕を失っていく
② 父親と母親で、見えている景色が違う
③ 「ちゃんと育てなきゃ」に苦しむ親たち
④ イライラしてしまう自分が嫌になる
⑤ 親も、休んでいい

第4章:その後の人生(学校のその先)
① 点は、あとから線になる
② 学校の外にも、居場所はあった
③ 「戻る」だけが回復じゃない
④ 自分の人生を選ぶということ
⑤ 支えられて、人は生きている
⑥ 「学校に行きたくない」と言えたこと


第1章:学校との関係(外の世界)

① 最初の朝、どうするか

朝、

子どもから突然、
「学校に行きたくない」と言われた。


頭が真っ白になるかもしれません。

仕事はどうしよう。
学校には何て連絡しよう。
このまま休ませて大丈夫なんだろうか。
甘やかしてしまわないだろうか。

色んな考えが一気に頭をよぎると思います。

そんなお父さん、お母さんへ。

まずは、大きく深呼吸してください。

そして、

最初に伝えたいことがあります。

無理やり学校へ行かせようとしなくて大丈夫です。

もちろん、
「ずっと休ませましょう」という話ではありません。

でも、

少なくともその朝だけは、答えを急がなくていい。

「学校に行きたくない」

私はこの言葉を、かなり大きなSOSだと思っています。

もちろん、

その日の気分や、単なる疲れということもあります。

でも、

子どもが自分から
「学校に行きたくない」と言葉にする時は、
それまでにたくさん

我慢して、
頑張って、
悩んで、

考えた末に出てくることが少なくありません。

だから、

軽く考えない。

でも、

慌てない。

まずは、

子どもの状態を見る。

子どもたちは、

私たちが思っている以上に頑張っています。

進級や進学。
クラス替え。
友人関係。
勉強。
部活動。

理由は一つじゃありません。

だからこそ、

朝の段階では、
理由を追いかけなくて大丈夫です。

「何があったの?」
「誰かに何か言われた?」
「いじめ?」

親としては知りたい。

でも、

本人も分かっていないことがあります。

うまく言葉にできないこともあります。

だから、

理由より状態を見てください。

眠れているか。
ご飯は食べられているか。
表情はどうか。
涙は出ていないか。

まず見るべきなのは、

理由ではなく状態です。

そして、

朝に無理に話をしなくていい。

学校へ行く時間が迫る中で、
落ち着いて話せる子は多くありません。

本音で話すのは、

夜でもいい。
翌日でもいい。
数日後でもいい。

焦らなくて大丈夫です。

もし、

頼れる人がいるなら、
一人で抱え込まないでください。

学校の先生。
スクールカウンセラー。
家族。
友人。

誰でも構いません。

「休ませてあげたいけれど、仕事が休めない」
という人もいると思います。

そんな時は、

自分を責めないでください。

一緒にいられなくても、
子どもの心を守ることはできます。

お昼ご飯を用意しておく。
好きなおやつを置いておく。
「お昼に電話するね」と伝えておく。

それだけでも、

子どもにとっては安心になります。

そして、

最後に。

「学校に行きたくない」

と言われたその朝だけで、
人生が決まるわけではありません。

まずは、

今日一日。
子どもの安全を守ること。

それが最優先です。


② 学校には、どこまで説明すればいいのか。

子どもが学校に行けなくなると、

「学校に、なんて説明しよう」

そこから頭がいっぱいになることがあります。

理由をちゃんと伝えなきゃ。
先生に理解してもらわなきゃ。

そうやって考え始めると、

気づかないうちに、

“子どもの状態”より、
“説明できる理由”を探し始めることがあります。

でも、その時点では、

本人も整理できていないことが多いです。

親も、何が起きているのか分からない。

そんな状態の中で、

「ちゃんと説明しなきゃ」と思えば思うほど、
苦しくなっていく。

学校に行けなくなると、

理由が必要な気がしてしまいます。

いじめなのか。
勉強なのか。
人間関係なのか。

何か“説明できる原因”を探し始める。

でも、実際には、

本人もよく分かっていないことがあります。

うまく言葉にできない。
自分でも整理できていない。

だから、

聞かれれば聞かれるほど、
余計に分からなくなっていくこともある。

それなのに、

周りは理由を求めてくる。

学校も、家庭も、

「何があったの?」と聞く。

もちろん、
心配しているからこそだと思います。

ただ、学校には、

学習を進めたり、
クラス全体を見たり、
安全を守ったり、

“集団”を支える役割があります。

だから、

子ども一人ひとりの気持ちを大切にしたいと思っていても、
学校という仕組みの中では、
「出席」や「学習」を意識した関わりになりやすいことがあります。

「少しだけでも来られませんか?」
「別室からでもどうですか?」

そういう言葉が返ってくるのも、

“戻したい”というより、
学校として考えた関わり方であることも多い。

そして、日本は特に、

「みんなと同じ」であることに安心しやすい社会だと思っています。

同じように学校へ行く。
同じように授業を受ける。
同じように進んでいく。

それが自然な前提になっている。

だから、

そこから外れると、
本人も不安になるし、
周りも「どう関わればいいか分からない」状態になりやすい。

親も、
「このままで大丈夫なんだろうか」
そうやって不安になる。

学校も、
できるだけ学習や集団から離れないように、と考える。

誰かが悪い、というより、

そういう構造の中で、
みんな苦しくなっている部分もあるんだと思います。

だからこそ、

最初から全部を説明しようとしなくていい。

「今日は休みます」
それだけで終わる日があってもいい。

「まだ整理できていません」
そう伝えるだけでも、十分なことがあります。

学校に理解してもらうことより、

まず大事なのは、

子どもが今、どんな状態なのか。

そこを見失わないこと。

そして、

それを見るために、

まずは大人が
「理由探し」の手を止めてみること。

理由を説明することに必死になると、

子どもの“今”より、
周りが納得する理由探しが始まってしまうことがあります。

でも、本当に必要なのは、

“説明”より先に、
安心して止まれることなのかもしれません。

学校には、どこまで説明すればいいのか。

その答えを急ぐより、

まずは、

子ども本人が置いていかれていないか。

そこを見ることの方が、
大事なんじゃないかと思っています。


③ 毎日連絡しないとダメ?


子どもが学校を休み始めると、

「毎日、学校に連絡した方がいいんだろうか」

そこで悩むことがあります。

今日は休みます。
明日も休みます。

その連絡をするたびに、
少しずつ気持ちが削られていくこともある。

先生に悪く思われないだろうか。
サボっていると思われないだろうか。
ちゃんと説明しなきゃ。

そうやって、

“ちゃんと対応している親”でいようとして、
苦しくなっていくことがあります。

でも、

毎日連絡をしていても、
状況が毎日変わるわけではありません。

本人も整理できていない。
親も、先が見えていない。

そんな中で、

毎日理由を説明し続けるのは、
想像以上にしんどいことがあります。

そして、

毎日説明しているうちに、

“子どもを見る時間”より、
“学校に説明する時間”の方が増えていくことがあります。

もちろん、

学校側にも役割があります。

出席確認。
安全確認。
状況把握。

だから、

連絡を取りたいと思うのも自然なことです。

でも、

学校に合わせ続けることが優先になりすぎると、
親の余裕がなくなっていく。

親に余裕がなくなると、
家の空気も変わっていく。

子どもは、
そういう変化を、とても敏感に見ています。

だからこそ、

毎日きっちり説明し続けることより、
親子が疲弊しすぎないことの方が、
大事な時期もあります。

学校との関係は、

一日で決まるものではありません。
長く関わっていくものです。

だから、

最初から完璧に対応しようとしなくていい。

前回も書きましたが、

「今日は休みます」

それだけの日があってもいい。

必要であれば、

「しばらく家庭で様子を見たいと思っています」

そうやって、

少し距離感を調整していくこともできます。

毎日連絡しないとダメ?

その答えを急ぐより、

まずは、

親子が少しでも安心して過ごせる状態を作ること。

その土台があってこそ、

学校との関係も、
少しずつ整っていくんだと思っています。


④ 「少しだけでも来ませんか?」が苦しくなるとき。

学校を休み始めると、

「少しだけでも来ませんか?」

そう声をかけられることがあります。

別室でもいい。
午前中だけでもいい。
放課後だけでもいい。

学校としては、

少しでもつながりを切らないように。
完全に孤立しないように。

そう考えての関わりであることが多いと思います。

実際に、

別室登校や保健室登校が安心につながる子もいます。

少しずつ外に出るきっかけになることもある。

だから、
その関わり自体が悪いわけではありません。

ただ、

その言葉が苦しくなるタイミングもあります。

「少しだけなら」

そう言われるたびに、
行けない自分を突きつけられてしまう子もいる。

行きたい気持ちはある。

でも、

底なしのプレッシャーに感じていることもある。

学校に行けなくなる理由は、
本当にいろいろあります。

でも、

休み始めてから、
また学校に行こうとするとき、

一番大きな心理的ハードルになるのは、
「同級生にどう思われているんだろう」
そこだったりします。

だから、

学校には行けても、教室には入れない。
生徒に会いたくなくて、登校時間をずらす。
そういうことも起きる。

僕自身も、

中学から高校にかけて、別室登校を選んでいました。

ただ、

最初から完全に教室へ行けなかった訳ではありません。

好きな授業には出ていましたし、
文化祭などのイベントにも参加していました。

中学3年の文化祭では、演劇で舞台にも立っています。

そんな中で、

中学2年の冬から、
中学3年に上がる頃だったと思います。

自分の根も葉もない噂のチェーンメールが、
同級生の間で出回っていることを知りました。

学校へ行けば、

みんな普通に喋るし、
バカなことも一緒にやる。

表面上は、
普通に過ごしているように見える。

でも、

頭のどこかで、
「この人もメールを回しているのかな」
そう考えるようになっていきました。

変に騒ぐと、もっと面倒なことになる気がして、

気づいていないフリをして過ごしていました。

でも、

一度気になり始めた同級生の視線は、
ものすごく怖かった。

だから僕は、

高校からは、
教室に行かないことを選びました。

幸い、

学校の外に、
自分の学びや居場所が見つかったからよかったけれど、

もしあのとき、

周りから

「少しだけでも教室に行きなさい」

そう迫られていたら、
きっと壊れていたと思います。

今、

そんな「大人の正論」と
「心の限界」の狭間で、

動けなくなっている子がたくさんいます。

頭では、

「少しだけなら行った方がいい」

そう分かっている。

外に出たい気持ちはある。

でも、

体が動かない。
気持ちが追いつかない。

そして、

頑張って行こうとして、行けなかった。
途中で動けなくなった。
玄関で止まった。

そういう経験が積み重なると、

「また行けなかった」

その感覚だけが残ってしまうことがあります。

僕の時代は、
チェーンメールでした。

でも今は、

SNSが当たり前になり、
スマホも一人一台の時代です。

面白半分が広がるスピードも、

人の視線を気にしてしまう苦しさも、

昔よりずっと、
見えづらく、深刻になっているのかもしれません。

だからこそ、

大人から見ると、
“少しだけ”かもしれないけれど、

本人にとっては、
ものすごく大きな一歩なこともある。

だから、

「行きたくない」のか、

「行けない」のか。

そこは、分けて見た方がいいと思っています。

そして、

その一歩は、

最終的には、
子ども自身が乗り越えていくしかない部分もあります。

でも、

その一歩を踏み出すためには、

まず、

安心して止まれる場所が必要なんだと思っています。

学校として、
登校につなげたいと思うのは自然なことです。

家庭として、
少しでも戻れた方がいいんじゃないかと思うのも自然なことです。

でも、

その“自然な思い”が重なった結果、
子どもが追い込まれてしまうこともある。

だからこそ、
「行かせるか、休ませるか」
だけで考えない。

今、

その子がどんな状態なのか。
どこまでなら安心を保てるのか。

そこを見ながら、
少しずつ関わっていく。

それが結果的に、

長い目で見たときの安心につながっていくんだと思っています。


⑤ 学校に戻すことだけを、ゴールにしなくていい。

学校って、

とても特殊な場所だと思っています。

小学校や中学校は、

同じ地域、
同じ年代の子どもたちが集まり、

長い時間を、
ほぼ同じメンバーで過ごす場所です。

もちろん、

その中で、
大切な出会いや経験をすることもある。

でも、

もしその狭い世界の中で、
人間関係につまずいたとき、

子どもは、

「ここが全て」だと感じやすい。

学校の外の世界を知らなければ、

今の苦しさが、
“人生そのもの”に感じてしまうこともあります。

だからこそ、

大人が、

“学校以外にも世界はある”

ということを、
伝えていくことも大事なんだと思っています。

例えば、

学校以外の居場所。
地域活動。
アルバイト。
習い事。
オンラインのコミュニティ。
自然体験。
ボランティア。
趣味の集まり。

学校の勉強とは違う場所で、
「これ好きかもしれない」を見つける子もいます。

ゲームが好きだった子が、
動画編集や配信に興味を持つこともある。

動物が好きで、
保護活動に関わる子もいる。

学校では見えなかった表情が、
別の場所で見えてくることもあります。

そういう経験は、

一見すると、
遠回りに見えるかもしれません。

でも、

その“点”が、
後から線でつながっていくことがある。

ただ現実には、

「学校には行くべき」
「みんなと同じように」

そういう空気は、まだ強くあります。

そして、

それに苦しくなっているのは、
子どもだけじゃない。

親もまた、

周りの大人や、
“普通”とされる価値観の中で、

苦しくなっていることがあります。

「ちゃんと学校に行かせなきゃ」
「早く戻さなきゃ」

そう思ってしまうのも、
自然なことなんだと思います。

でも、

大人が、

“学校だけが全て”

という見方になってしまうと、

子どももまた、

その小さな世界の中で、
苦しくなっていく。

だから、

大人も子どもも、
「人からどう見られるか」だけではなく、

“自分たちはどう生きたいのか”

を見失わないことが、
大切なんだと思っています。

幸せの形は、

本来、人それぞれです。

いい学校。
いい会社。
安定した収入。

もちろん、
それを目指すことが悪いわけではない。

でも、

それだけが幸せの形ではない。

お金は、
人生を支えてくれる大切な道具です。

でも、

それだけで、
人生の全部が決まるわけじゃない。

お金が少なくても、
幸せに生きている人もいる。

反対に、

お金があっても、
孤独の中で苦しんでいる人もいる。

だからこそ、

“人と比べること”だけを基準にしすぎない。

上を見れば羨ましくなるし、

下を見れば安心したり、
優越感を持ったりしてしまう。

でも、

その比較の中にいる間は、

“自分にとっての幸せ”

が見えなくなってしまうこともある。

何をしたいのか。
どう生きたいのか。

それは、

本来、
本人が決めていくものなんだと思っています。

もちろん、

親として、

「こう生きてほしい」

と思う気持ちは自然なことです。

大人の方が、人生経験もある。

失敗も、
苦しい思いも、
たくさんしてきている。

だからこそ、
「こうした方が苦しまない」
そう思う。

でも、

子どもは、
親とは別の一人の人間です。

親にとっての苦い経験が、
子どもにとっては、
幸せにつながる“点”になることもある。

失敗や遠回りも、

あとから線でつながることがある。

僕自身も、不登校だった経験の裏にあった葛藤や悩みは、
長い間、ただ苦しかった記憶のままでした。

でも、

前職で、

子どもの居場所づくりや、
通信制高校の立ち上げ、
サマーキャンプのサポートに関わる中で、

過去の経験があったからこそ、

寄り添えたり、
見守ることに徹したりできた。

自分の経験を話すことで、
救われる人がいることも知りました。

そのとき、

バラバラだった点が、
線でつながった気がしました。

だから今、

ホテル業界を離れ、

スクールカウンセラーや、
オンライン相談、
教育イベントに関わっています。

あの頃は、

意味なんて分からなかった。

でも、

無駄だと思っていた経験も、
ちゃんと今につながっていた。

僕自身は、

学校だけが全てだとは思っていません。

それよりも、

もっと広い世界の中で、

色んな経験をしていくことの方が、
大事だと思っています。

でも、

それは、

僕自身が、
そうやって生きてきたからにすぎません。

だから、

誰かにとっての正解が、
別の誰かにとっても正解とは限らない。

たぶん、

何が正解だったのかなんて、
死ぬまで分からないんだと思います。

自分で決めて、
自分の意志で生きているつもりでも、

その裏には、

応援してくれる人や、
支えてくれる人がいる。

一人だけで生きている人なんて、
本当はいないのかもしれません。

だからこそ、

どんな選択をしたとしても、

関わってくれる人への感謝を、
忘れないでいてほしい。

周りに感謝し、
「支えられている」という安心感があるからこそ、
人は、自分の足で一歩を踏み出せるのだと思います。

だから、

子どもたちにも、

「こう生きなさい」ではなく、

“自分で選びながら生きていける感覚”

を育てていけたらいいんだと思っています。


第2章:家の中で起きること(家庭の空気)

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