被害者のポジションは、居心地のいい安全地帯であること
「今の場所が嫌だ」「周りが分かってくれない」――そう言いながら、なぜかそこから動けない。変わりたいと思っているのに、何年経っても同じ場所で同じことをこぼしている自分に、ふと気づくことはありませんか?
「環境さえ違えば」「あの人さえいなければ」と毎日のようにこぼしているけれど、心のどこかで、その嫌な場所に留まって欠点を探すことに、不思議な安心感を覚えていたりする。
実はこういったパターンには心の中に小さなカラクリがあって、そのカラクリが働いている限り、人はなかなか動けないようにできているのです。
私自身、昔そういう時期があったのでよく分かります。
会社員だった頃、私は職場の人たちのことをよく嘆いていました。「なんであの人はあんな言い方をするのか」「あの人の下で働いても何も得られない」などなど…。仕事が思うようにいかないのも、評価されないのも、全部そういう環境のせいだと思っていた時期があります。自分が会社を経営しながら、好きなことを仕事にする立場に変わってからは随分見方が変わったのですが。
今振り返ると、あの頃の私は嘆いている時間がいちばん安全だったのです。
嘆いている間は、自分が変わらなくていい。自分の内側にある空虚さや、本当にやりたいことから逃げている事実を見なくていい。「周りが悪いからできないんだ」と言い続けていれば、やりたいことができないことにも理由がつく。
被害者のポジションは、居心地のいい安全地帯であること
「今の場所が嫌だ」「周りが分かってくれない」――そう言いながら、なぜかそこから動けない。変わりたいと思っているのに、何年経っても同じ場所で同じことをこぼしている自分に、ふと気づくことはありませんか?
「環境さえ違えば」「あの人さえいなければ」と毎日のようにこぼしているけれど、心のどこかで、その嫌な場所に留まって欠点を探すことに、不思議な安心感を覚えていたりする。
実はこういったパターンには心の中に小さなカラクリがあって、そのカラクリが働いている限り、人はなかなか動けないようにできているのです。
私自身、昔そういう時期があったのでよく分かります。
会社員だった頃、私は職場の人たちのことをよく嘆いていました。「なんであの人はあんな言い方をするのか」「あの人の下で働いても何も得られない」などなど…。仕事が思うようにいかないのも、評価されないのも、全部そういう環境のせいだと思っていた時期があります。自分が会社を経営しながら、好きなことを仕事にする立場に変わってからは随分見方が変わったのですが。
今振り返ると、あの頃の私は嘆いている時間がいちばん安全だったのです。
嘆いている間は、自分が変わらなくていい。自分の内側にある空虚さや、本当にやりたいことから逃げている事実を見なくていい。「周りが悪いからできないんだ」と言い続けていれば、やりたいことができないことにも理由がつく。