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(被爆体験記)私小説:ガリガリと氷を噛む音

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seitagawa7

2026年04月29日 13:51

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―長崎・軍医を夢見た兄と、私の七十九年――

プロローグ:二〇二四年の秋、オスロからの報せ

二〇二四年、十月。窓の外には、大分の穏やかな秋の空が広がっていた。高く澄み渡った空に、うろこ雲が静かに流れていく。まるで、何事もなかったかのように。

居間のソファに浅く腰掛け、何気なくつけていたテレビの画面が切り替わった瞬間、私の指先は微かに震えた。湯呑を持つ手が止まり、熱いお茶のしずくがこぼれ落ちそうになる。

「速報です。今年のノーベル平和賞に、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が選ばれました」

アナウンサーの声が、どこか遠くから聞こえてくるようだった。そのニュースは、七十九年という途方もなく長い歳月を一足飛びに超えて、あの夏の長崎の、皮膚が焼けただれるような熱風を、私の肌にまざまざと蘇らせた。

「ようやく、世界が追いついたのかもしれない」

私は独りごちた。声に出すと、目頭が熱くなった。

昨年、そして今年と、核兵器をめぐる世界の情勢は混迷を極めている。ウクライナ、ガザ、そして世界各地で燻る紛争の火種。核の使用をちらつかせる指導者たちの言葉を聞くたび、私の胸は締め付けられるような恐怖と、やり場のない憤りで張り裂けそうだった。

「人間は、また同じ過ちを繰り返すつもりなのか」

そんな絶望に押しつぶされそうになっていた矢先の出来事だった。あの日から生き残った私たちが、枯れ果てた声を振り絞って、涙を流しながら、時には「嘘つき」と罵られながらも語り続けてきた証言が、ようやく一つの形として認められたのだ。

ふと見れば、仏壇に供えたお冷の氷が、カランと涼やかな音を立てて溶けていた。日常の中にある、何気ない音。けれど、その音を聞くたび、私は今でも心臓を鷲掴みにされたように息が止まる。

十八歳で逝った兄の、あの最期の音を思い出すからだ。

「ガリガリ、ガリガリ……」

あれは、氷を噛む音だったのか。それとも、命そのものが削れる音だったのか。

私は震える手でペンを執った。今、この瞬間に語らなければならないことがある。それは、歴史の教科書に載るような「11時02分」という数字や、死傷者数という無機質なデータではない。血の通った、痛みを持った、一人の少女が見た「地獄」と「再生」の物語である。

そして、医者になりたいと願い、誰よりも優しかった兄・克(かつ)が、なぜ「介錯」を乞わなければならなかったのか。その真実を、私は書き残さなければならない。

第一章:土井首(どいのくび)の青い空

幸せだった食卓

昭和二十年、八月九日。私の記憶の中にあるその日は、抜けるような、残酷なまでの青空から始まる。

長崎の港の入り口に位置する土井首(どいのくび)。海からの風が吹き抜けるこの場所は、当時、軍港としての緊張感を孕みながらも、どこか穏やかな時間が流れていた。海は凪ぎ、蝉の声が降り注ぐような暑い夏の朝だった。

当時、私は六歳。おかっぱ頭で、いつも母の後ろをついて回る甘えん坊だった。

我が家は大家族だった。父と母、そして七人の兄姉。一番上の兄・克は、長崎医科大学(現在の長崎大学医学部)に通う医学生だった。兄は優秀で、家族の誇りだった。

「稔はすごいねえ。お医者さんになって、たくさんの人を助けるんだね」

母がそう言うと、兄は照れくさそうに笑い、「僕は軍医になって、戦地の兵隊さんの役に立ちたいんだ」と目を輝かせて語っていた。丸眼鏡の奥の瞳はいつも優しく、勉強の合間には、私たち妹によく絵本を読んでくれたり、肩車をしてくれたりした。

食卓はいつも賑やかだった。配給が乏しく、お芋ばかりの食事でも、家族みんなで囲む食卓には笑いがあった。父の厳格な声、母の優しい小言、兄たちの冗談、姉たちの笑い声。それが、私の世界の全てだった。

しかし、戦争の影は確実に忍び寄っていた。空襲警報が鳴るたび、私たちは防空壕へと走った。遊び盛りの少女にとって、防空壕は日常の一部であり、同時に母や姉たちと寄り添える、不思議な安らぎの場所でもあった。暗くてじめじめした土の匂いの中で、母の体温を感じている時だけは、空から降ってくる恐怖を忘れることができた。

運命の分かれ道

あの日も、朝から警戒警報が出ていた。

「トヨコ、外は危なかよ。入っときんしゃい」

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母の声が防空壕の中に響く。壕の中は蒸し暑く、息苦しかった。六歳の喉の渇きは、忍び寄る死の気配よりも切実だった。

「お母さん、お水。お水飲んでくっけん」

私は母の手を振り切り、眩しい光の中へと飛び出した。 「こら、待たんね!」 母の静止する声を背に、私は台所へと走った。土間のひんやりとした感触。甕(かめ)の水面がキラキラと光っている。

柄杓で水をすくい、ごくごくと喉を鳴らして飲んだ。冷たい水が体に染み渡る。「おいしかぁ」と呟いた、その時だった。

台所へ向かう、そのわずかな足取り。それが、私の運命を分けた。

閃光、そして静寂

ピカッ――。

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