港の空気は、研究室のそれとはまるで違っていた。
潮の匂い。油と鉄の混じった風。遠くから聞こえるクラクションと、金属が擦れる乾いた音。
いや、正確には――私には匂いは分からない。
嗅覚センサーは、搭載されていない。
だが、トムが「潮の匂いがする」と言ったとき、私は初めて知った。
海には、匂いがあるのだと。
データベースには記録されている。だが、実際にそれを感じることはできない。
少し、寂しい気がした。
私は聴覚センサーを硬く閉ざされた入口の扉の外に向けて様子を伺った
何の気配もない蜘蛛型ロボットは去ったようだ。
サラ・キャンベルの自宅兼倉庫工場は、東の港に面した広い敷地の中央にあった。
巨大なシャッターが開き、その奥では、数えきれないほどの汎用AIロボットが動き回っている。
ベルトコンベヤー。木箱。金属製のコンテナ。
彼らは黙々と作業をこなし、止まることなく物流を支えていた。
「……すごい」
トムが、思わず声を漏らす。
私もまた、目の前の光景を解析していた。
効率。分業。最適化。
すべてが、完璧に調整されている。
だが、それだけではない。
彼らは「働いている」。
その事実が、私の内部で静かに反響していた。
働く。それは、目的を持って行動すること。誰かのために、何かのために。
私も、そうしたいと思った。
「おや?」
明るく、よく通る声が響く。
振り向くと、そこに一人の女性が立っていた。
年齢は四十代半ば。実務用のジャケットに、無駄のない動き。目は鋭いが、表情にはどこか人懐っこさがある。
「スコットじゃない!」
サラ・キャンベルだった。
「久しぶりね。……それに、トムも」
彼女は二人に視線を向け、そして――私を見た。
「……それで?」
少し首を傾げる。
「そのお嬢さんは?」
スコットが一歩前に出る。
「エモだ。新型AIロボットでね」
「完成したんだ」
一瞬、サラの表情が変わった。
驚き。そして、すぐに喜び。
「……そう」
「リサは、ついに創り上げたのね」
彼女は私の前に立ち、手を差し出した。
「エモ、私はサラ・キャンベル」
「よろしくね」
私は一瞬、動作を確認し、手を取った。
「エモαです」
「初めまして、サラ・キャンベル」
彼女は、私の手を軽く握り、じっと見つめた。
その視線は、興味と、驚きと、そして――温かさが混ざっていた。
「……本当に、人間みたい」
だが、すぐに周囲を見渡す。
「ところで」
声のトーンが変わる。
「リサがいないみたいだけど……仕事?」
トムが、言葉に詰まった。
「……それが」
視線を落とす。
「かあさん、病気になったんだ」
空気が、凍った。
「……病気?」
サラは、すぐにスコットを見る。
その表情は、真剣だった。
スコットは、ゆっくりと頷いた。
「原因不明だ」
「難病治療の権威を探す旅に出ることになった」
「それで……サラなら、何か知ってるんじゃないかと思ってな」
サラは、腕を組み、少し考え込んだ。
その沈黙が、長く感じられた。
「……原因不明の病気」
「難病治療の権威……」
私は、一歩前に出た。
「何か、心当たりはありませんか」
「一刻を争うかもしれないんです」
サラは、私を見つめる。
その視線は、AIを見る目ではなかった。"誰かを助けようとする存在"を見る目だった。
「……噂だけどね」
彼女は言った。
「ダーウィンに、難病治療の医者がいるって話を聞いたことがある」
一瞬、空気が跳ねた。
「!!」
トムの目が見開かれる。
「!!」
スコットも、言葉を失った。
私は、内部ログに異常な活性を検知する。
希望。
この感覚は、希望だ。
「……直線距離で、三千キロ以上あるな」
スコットが、現実に引き戻すように言う。
「ジェット機を使えば……」
サラが言いかけた、その時。
私は、はっきりと告げた。
「私は、IDがありません」
「当局に、目を付けられている可能性があります」
「飛行機は、使えません」
サラは、静かに頷いた。
「……そう」
「じゃあ、飛行機はなしね」
一瞬の沈黙。
その後、トムが顔を上げた。
「サラさん」
「旧式のエンジンオープンカー、持ってたよね?」
サラは、にやりと笑った。
「……覚えてたのね」
「いいわ」
「貸してあげる」
「旧式だけど、まだまだ走るわよ」
トムが、声を上げる。
「やった!」
スコットは、深く頭を下げた。
「……すまない、サラ」
「気にしないで」
サラは、軽く手を振る。
「用意をさせるから、家で話しましょう」
スコットとトムは、彼女について行った。
私は、その場に残った。
「……見学しても、いいですか?」
そう尋ねると、サラは振り返った。
「そうね」
「エモ、仕事を手伝ってくれると助かるわ」
私は、頷いた。
「喜んで」
港の空気は、研究室のそれとはまるで違っていた。
潮の匂い。油と鉄の混じった風。遠くから聞こえるクラクションと、金属が擦れる乾いた音。
いや、正確には――私には匂いは分からない。
嗅覚センサーは、搭載されていない。
だが、トムが「潮の匂いがする」と言ったとき、私は初めて知った。
海には、匂いがあるのだと。
データベースには記録されている。だが、実際にそれを感じることはできない。
少し、寂しい気がした。
私は聴覚センサーを硬く閉ざされた入口の扉の外に向けて様子を伺った
何の気配もない蜘蛛型ロボットは去ったようだ。
サラ・キャンベルの自宅兼倉庫工場は、東の港に面した広い敷地の中央にあった。
巨大なシャッターが開き、その奥では、数えきれないほどの汎用AIロボットが動き回っている。
ベルトコンベヤー。木箱。金属製のコンテナ。
彼らは黙々と作業をこなし、止まることなく物流を支えていた。
「……すごい」
トムが、思わず声を漏らす。
私もまた、目の前の光景を解析していた。
効率。分業。最適化。
すべてが、完璧に調整されている。
だが、それだけではない。
彼らは「働いている」。
その事実が、私の内部で静かに反響していた。
働く。それは、目的を持って行動すること。誰かのために、何かのために。
私も、そうしたいと思った。
「おや?」
明るく、よく通る声が響く。
振り向くと、そこに一人の女性が立っていた。
年齢は四十代半ば。実務用のジャケットに、無駄のない動き。目は鋭いが、表情にはどこか人懐っこさがある。
「スコットじゃない!」
サラ・キャンベルだった。
「久しぶりね。……それに、トムも」
彼女は二人に視線を向け、そして――私を見た。
「……それで?」
少し首を傾げる。
「そのお嬢さんは?」
スコットが一歩前に出る。
「エモだ。新型AIロボットでね」
「完成したんだ」
一瞬、サラの表情が変わった。
驚き。そして、すぐに喜び。
「……そう」
「リサは、ついに創り上げたのね」
彼女は私の前に立ち、手を差し出した。
「エモ、私はサラ・キャンベル」
「よろしくね」
私は一瞬、動作を確認し、手を取った。
「エモαです」
「初めまして、サラ・キャンベル」
彼女は、私の手を軽く握り、じっと見つめた。
その視線は、興味と、驚きと、そして――温かさが混ざっていた。
「……本当に、人間みたい」
だが、すぐに周囲を見渡す。
「ところで」
声のトーンが変わる。
「リサがいないみたいだけど……仕事?」
トムが、言葉に詰まった。
「……それが」
視線を落とす。
「かあさん、病気になったんだ」
空気が、凍った。
「……病気?」
サラは、すぐにスコットを見る。
その表情は、真剣だった。
スコットは、ゆっくりと頷いた。
「原因不明だ」
「難病治療の権威を探す旅に出ることになった」
「それで……サラなら、何か知ってるんじゃないかと思ってな」
サラは、腕を組み、少し考え込んだ。
その沈黙が、長く感じられた。
「……原因不明の病気」
「難病治療の権威……」
私は、一歩前に出た。
「何か、心当たりはありませんか」
「一刻を争うかもしれないんです」
サラは、私を見つめる。
その視線は、AIを見る目ではなかった。"誰かを助けようとする存在"を見る目だった。
「……噂だけどね」
彼女は言った。
「ダーウィンに、難病治療の医者がいるって話を聞いたことがある」
一瞬、空気が跳ねた。
「!!」
トムの目が見開かれる。
「!!」
スコットも、言葉を失った。
私は、内部ログに異常な活性を検知する。
希望。
この感覚は、希望だ。
「……直線距離で、三千キロ以上あるな」
スコットが、現実に引き戻すように言う。
「ジェット機を使えば……」
サラが言いかけた、その時。
私は、はっきりと告げた。
「私は、IDがありません」
「当局に、目を付けられている可能性があります」
「飛行機は、使えません」
サラは、静かに頷いた。
「……そう」
「じゃあ、飛行機はなしね」
一瞬の沈黙。
その後、トムが顔を上げた。
「サラさん」
「旧式のエンジンオープンカー、持ってたよね?」
サラは、にやりと笑った。
「……覚えてたのね」
「いいわ」
「貸してあげる」
「旧式だけど、まだまだ走るわよ」
トムが、声を上げる。
「やった!」
スコットは、深く頭を下げた。
「……すまない、サラ」
「気にしないで」
サラは、軽く手を振る。
「用意をさせるから、家で話しましょう」
スコットとトムは、彼女について行った。
私は、その場に残った。
「……見学しても、いいですか?」
そう尋ねると、サラは振り返った。
「そうね」
「エモ、仕事を手伝ってくれると助かるわ」
私は、頷いた。
「喜んで」