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牧野 新

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『戦国武田軍記ー信玄と二十四将とライバルー』 著者 牧野 新

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牧野 新

2025年08月03日 15:49

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『戦国武田軍記ー信玄と二十四将とライバルー』 著者 牧野 新

もくじ

前書き     4

(大将)

武田信玄    6

(二十四将)

板垣信方   10

甘利虎康   14

飯富虎昌   18

両角虎光   22

馬場信春   26

山県昌景   30

内藤昌豊   34

高坂昌信   38

原虎胤    42

山本勘助   46

駒井高白斎  50

真田幸隆   54

真田信綱   58

真田昌幸   62

武田信繁   66

武田信廉    70

穴山梅雪    74

小山田信茂   78

小幡虎盛    82

小幡昌盛    86

原昌胤     90

武田義信    94

武田勝頼    98

武田信豊   102

(番外の信玄の親族)

武田信勝   106

仁科盛信   110

(信玄のルーツ)

武田信虎   114

武田信縄   118

武田信昌   122

(信玄のライバル)

北条氏康   126

今川義元   130

上杉謙信   134

織田信長   138

豊臣秀吉   142

徳川家康   146

北条氏政   150

今川氏真   154

上杉景勝   158

あとがき   162

参考文献   164

前書き

今回出す詩集は毎度ながら歴史(れきし)ものだ。著者は幼少(ようしょう)の頃(ころ)から歴史に親しんできた。故に歴史上の人物が大好きだ。歴史家ぶって歴史上の人物を評価するのも好きだ。歴史上の人物で好む偉人(いじん)は、武田(たけだ)信(しん)玄(げん)、徳川(とくがわ)家康(いえやす)。歴史家で尊敬に値するのは中国の歴史家の司馬遷(しばせん)だ。

 司馬遷は歴史ファンの方ならばご存知(ぞんじ)と見受ける。前漢(ぜんかん)の最盛期(さいせいき)の皇帝(こうてい)だった武(ぶ)帝(てい)に仕えた。武帝の逆鱗(げきりん)に触れて宮刑(きゅうけい)に処せられた。処せられても歴史書の『史記(しき)』を完成させた功績はまさに偉業(いぎょう)と称せよう。

 歴史家の鏡(かがみ)とも言い換えられる。歴史小説家の司馬(しば)遼太郎(りょうたろう)氏は司馬遷から「司馬(しば)」のペンネームを取ったとされる。中国の政治家の周恩来(しゅうおんらい)は「中国を知りたければ『史記』を読むべし」と言葉を述べている。

 司馬遷なくば司馬遼太郎氏も著者も歴史に関心を持たなかったのではあるまいか? 著者は司馬遷には歴史家として遠く及ばない。胸を借りるつもりで今回の詩集を書いた。扱ったのは日本史で有名な戦国武将の武田信玄だ。

 著者は戦国大名の武田(たけだ)氏(し)の歴史的評価をしてみたかった。武田信玄は大いに著者へ影響を与えている。拙著(せっちょ)には度々(たびたび)信玄が登場する。信玄は嘸(さぞ)かし優秀な武将であったに違いない。偉人や英雄と呼べる人物だったと察する。

信玄いや信(しん)玄(げん)公(こう)は英雄(えいゆう)と呼ぶに相応しい。信玄の活躍(かつやく)や業績(ぎょうせき)は「これでもか」と学ばせてもらった。生きていたら是非(ぜひ)にもお目に懸(か)かってみたい。以上の事柄(ことがら)から今回の詩集は武田(たけだ)軍記(ぐんき)だ。

信玄と二十四将(にじゅうよんしょう)がテーマだ。他に信玄の孫の信勝や父の信虎も二十四将以外に入れてある。ライバルと称される他家の戦国大名も盛り込んでいる。できうる限り武田ファンの期待に応(こた)えられるが如(ごと)く書いたつもりだ。

 信玄と二十四将はやや肯定的に書いた積(つ)もりだ。失礼ながら二十四将は著者の好みで選んだ。武田ファン、歴史ファン、歴女(れきじょ)、歴史初心者のかたにも「何(なに)故(ゆえ)にこの武将は入ってはおらぬ?」とのご指摘(してき)を受けると想定(そうてい)する。

 しかし著者が選んだ二十四将でご勘(かん)弁(べん)頂(いただ)きたい。最後に著者としての願いは本詩集から武田氏や戦国時代、歴史に興味を持って頂ければこの上ない喜びだ。どうぞ拙著を戦国時代のガイドにでもお使い下されば光栄である。

   武田(たけだ)信(しん)玄(げん)

武田信玄。

戦国時代における最強の武将。

生年は大永(だいえい)元年(一五二一)で、

没年は元亀(げんき)四年(一五七三)だ。

幼名(ようみょう)は太郎(たろう)とされる。

勝(かつ)千代(ちよ)の幼名は疑問視されている。

官位(かんい)は大膳(だいぜん)大夫(のたいふ)、信濃(しなの)守(のかみ)。

諱(いみな)は晴(はる)信(のぶ)。

信玄とは出家語の名。

父である信(のぶ)虎(とら)を追放後、

甲斐(かい)の国主(こくしゅ)となる。

信濃(しなの)をほぼ手中にして

越後の上杉(うえすぎ)氏(し)と川中島(かわなかじま)で戦う。

勝敗はつかずに終わった。

今川(いまがわ)義元(よしもと)の死後に駿河(するが)を平定。

徳川(とくがわ)家康(いえやす)を三方ヶ原(みかたがはら)で破る。

死亡説はハッキリせず、信濃の駒場(こんまば)で死去。

簡単だが信玄の業績をまとめた。

著者の詩集でではよく信玄が登場する。

信玄がいかに武将として秀でているかは述べた。

優秀さはほぼ述べたので、信玄の親子関係を書きたい。

読者の方々も信虎との確執は感心が高いと踏む。

何故に信玄は信虎を追放に至ったか?

著者は通説通りに仲が悪い説を採る。

信玄とすれば他に手段は幾(いく)らでもあっただろう。

信虎を隠居(いんきょ)に追い込むだとか、

もしくは殺害してしまうとか。

しかし殺害を試(こころ)みた場合には、

駿河の今川氏に介入の口実を与えてしまう。

隠居と考えた場合に信虎は果して禅譲(ぜんじょう)するか?

今川氏が信虎の追放を呑(の)んだ理由は、

信虎と義元に嫁いでいる信玄の姉が手元にあれば、

よもや信玄は攻めてこないと考えたのだろう。

義元と寿(じゅ)桂(けい)尼(に)と雪(せっ)斎(さい)は、

最終決定事項として信虎の追放に応じたと推測する。

信玄は義元と結託(けったく)して、

以下の如く信虎を追放したと考える。

では何故に追放までに至ったか?

信虎との親子関係で信玄は、

信虎から心の傷を受けたと察する。

信玄の父は信虎なのは言うまでもない。

父親代りとされるのは傳役(もりやく)の板垣(いたがき)信方(のぶかた)。

父親と呼べる存在が二人いる。

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