『関白になり損ねた海賊』
第一章 東国と西国の争乱の始まり
1
承平二年一月四日(西暦九三二年二月十七日)。
今年で四十歳になる藤原純友(すみとも)は、勅使として叡山に向かっていた。純友は大学允(だいがくのじょう)の五位にも該当しない、従七位である。
延暦寺は元老(げんろう)の藤原忠平(ただひら)の扱いが気に食わない。気の小さい忠平は、叡山が不得手で、摂政に任官(にんかん)されても、叡山に挨拶をなにもしない。
純友は元老の藤原忠平へ強訴(ごうそ)を止めさせる役目を押付けられた。
「摂政奴。いや、四郎の大臣(おとど)奴(め)が。運だけ強くて重みは何もなし。軽き摂政とは彼奴(きゃつ)だ。いい気になりおって。太郎大臣(おとど)(藤原時平(ときひら))様が生きておったら摂政に昇れなんだ癖に。右大将(うだいしょう)様(藤原仲(なか)平(ひら))を差し置いて摂政とは、腹立たしい。実に運のいい奴とは四郎の大臣の如き輩(やから)よ。何かと人に物を押付ける。それでも帝の代官か」と悪罵した。
叡山は、摂関家でも恐れる寺社で、朝廷や摂関家にも不満があれば何かと強訴に訴える。
「延暦寺も大人しくすれば良いものを。仮にも僧だぞ。不満があればもう少しマシな方法があるだろう。伝教(でんぎょう)大師(だいし)が存命ならば何と仰ったか。忌々しき事態だ」と喚(わめ)いた。
叡山を宥める使者として、学識が高く、危難に対しても動じない純友が、忠平から買われた。純友は馬上で、叡山の景色を眺めた。
叡山には雪が積もっていて、見るからに美しい。北嶺(ほくれい)と名の付く延暦寺を際立ている。同時に純友は、複雑な気持を抱えていた。
「四郎の大臣は我の失敗を望み、延暦寺も我が身の得ばかり考えておる。四郎の大臣も延暦寺も、どっちも懲らしめてやらねばならぬ。勝手気儘な輩は数多(あまた)おる。世も末だ。実に忌々しい」と悪罵した。
純友は忠平に疎(うと)まれ、反りが合わない。純友は大胆で、忠平は小心なので、何かしら、ぶつかる。
「運だけの摂政の本心は叡山に態(わざ)と挨拶せぬ。儂を潰さんとしておる。儂に秘策があり」と、吐き捨てた。
純友の背丈は六尺。人相は賢く見える顔付きで鳳凰(ほうおう)が翼を開いたような眉をしている。
地(じ)下人(げひと)なので文様(もんよう)は付いていないが、大学允に相応(ふさわ)しい指貫(さしぬき)を纏い、綾を用いた黄の狩(かり)衣(ぎぬ)を纏っている。純友は延暦寺の山門前で馬を降りた。
比叡山の山門に恥じない、立派な門構えだ。真っ赤な門が、これでもか、と目立つ。比叡山の真っ赤な門は水銀(みずかね)が使われている。防腐剤として腐敗防止のために塗られていた。
水銀は古代から多く用いられ、奈良の大仏にも使われている。奈良の大仏に使われるほど貴重で、極めて高価だった。比叡山の裕福さが窺われる。
伝教大師(最澄)の好敵手だった空海は、水銀が取れる高野山を開いた。
馬を手綱で持って、門番の悪僧に「儂は大学允。儂は帝の勅使だ」と声を懸けた。
悪僧の背丈は純友と良い勝負で、六尺ほどか。立派な腹巻きと年季の入った袈裟頭巾を纏っている。純友は上手く事が運ぶ気がせず、敢えて門番の悪僧を煽(あお)ることにした。
「叡山の強訴を中止する役目を帝(朱雀天皇)から仰せつけられた。天台(てんだい)座主(ざす)――いや良源(りょうげん)上人に取り次げ。伝教大師をお引立てになったのは誰か、とくと考えろ」
門番の悪僧は顔付きも険しく、純友をジロジロと見た。純友の身分が低いので、延暦寺は怒り出すに決まっている。敢えて相識のある良源を持ち出した純友の策が図に当たった。
門番悪僧は「何ぞ、迷い事をば、ぬかす」と激しい口調で罵(ののし)った。
純友は「して遣ったり」と胸中で北叟笑(ほくそえ)んだ。
「良源上人は風邪で寝込んでおられる。帝の代官の摂政様の態度は如何に。我らは摂政様に不満がある。摂政様が今の地位に任官なさって早一年。興福寺には右(う)大将(だいしょう)殿を遣わしたと聞く。高野山は亡き寛(かん)平(ぴょう)の法皇(ほうおう)様(宇多(うだ)天皇)の加持祈祷をさせたと聞くが? これほど腹立たしい仕打ちは如何に?」
「良源上人にお取り次ぎしろ。儂は勅使だ。帝の勅に逆らうは逆賊ぞ。わかったか門番悪僧」
「黙れ、たかが地下人風情(ふぜい)が。強訴は決まった。もしも刃向かうのならば、弓矢に懸けて勝負を致すぞ。もっと身分の高き者を連れて参れ。わかったか」
純友は太刀を抜いて構えた。門番の悪僧は、愕(おどろ)いた。純友がまさか格式の高い延暦寺で太刀を抜くとは考えもしなかったろだう。純友は力強く頭上に斬り掛った。
『関白になり損ねた海賊』
第一章 東国と西国の争乱の始まり
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承平二年一月四日(西暦九三二年二月十七日)。
今年で四十歳になる藤原純友(すみとも)は、勅使として叡山に向かっていた。純友は大学允(だいがくのじょう)の五位にも該当しない、従七位である。
延暦寺は元老(げんろう)の藤原忠平(ただひら)の扱いが気に食わない。気の小さい忠平は、叡山が不得手で、摂政に任官(にんかん)されても、叡山に挨拶をなにもしない。
純友は元老の藤原忠平へ強訴(ごうそ)を止めさせる役目を押付けられた。
「摂政奴。いや、四郎の大臣(おとど)奴(め)が。運だけ強くて重みは何もなし。軽き摂政とは彼奴(きゃつ)だ。いい気になりおって。太郎大臣(おとど)(藤原時平(ときひら))様が生きておったら摂政に昇れなんだ癖に。右大将(うだいしょう)様(藤原仲(なか)平(ひら))を差し置いて摂政とは、腹立たしい。実に運のいい奴とは四郎の大臣の如き輩(やから)よ。何かと人に物を押付ける。それでも帝の代官か」と悪罵した。
叡山は、摂関家でも恐れる寺社で、朝廷や摂関家にも不満があれば何かと強訴に訴える。
「延暦寺も大人しくすれば良いものを。仮にも僧だぞ。不満があればもう少しマシな方法があるだろう。伝教(でんぎょう)大師(だいし)が存命ならば何と仰ったか。忌々しき事態だ」と喚(わめ)いた。
叡山を宥める使者として、学識が高く、危難に対しても動じない純友が、忠平から買われた。純友は馬上で、叡山の景色を眺めた。
叡山には雪が積もっていて、見るからに美しい。北嶺(ほくれい)と名の付く延暦寺を際立ている。同時に純友は、複雑な気持を抱えていた。
「四郎の大臣は我の失敗を望み、延暦寺も我が身の得ばかり考えておる。四郎の大臣も延暦寺も、どっちも懲らしめてやらねばならぬ。勝手気儘な輩は数多(あまた)おる。世も末だ。実に忌々しい」と悪罵した。
純友は忠平に疎(うと)まれ、反りが合わない。純友は大胆で、忠平は小心なので、何かしら、ぶつかる。
「運だけの摂政の本心は叡山に態(わざ)と挨拶せぬ。儂を潰さんとしておる。儂に秘策があり」と、吐き捨てた。
純友の背丈は六尺。人相は賢く見える顔付きで鳳凰(ほうおう)が翼を開いたような眉をしている。
地(じ)下人(げひと)なので文様(もんよう)は付いていないが、大学允に相応(ふさわ)しい指貫(さしぬき)を纏い、綾を用いた黄の狩(かり)衣(ぎぬ)を纏っている。純友は延暦寺の山門前で馬を降りた。
比叡山の山門に恥じない、立派な門構えだ。真っ赤な門が、これでもか、と目立つ。比叡山の真っ赤な門は水銀(みずかね)が使われている。防腐剤として腐敗防止のために塗られていた。
水銀は古代から多く用いられ、奈良の大仏にも使われている。奈良の大仏に使われるほど貴重で、極めて高価だった。比叡山の裕福さが窺われる。
伝教大師(最澄)の好敵手だった空海は、水銀が取れる高野山を開いた。
馬を手綱で持って、門番の悪僧に「儂は大学允。儂は帝の勅使だ」と声を懸けた。
悪僧の背丈は純友と良い勝負で、六尺ほどか。立派な腹巻きと年季の入った袈裟頭巾を纏っている。純友は上手く事が運ぶ気がせず、敢えて門番の悪僧を煽(あお)ることにした。
「叡山の強訴を中止する役目を帝(朱雀天皇)から仰せつけられた。天台(てんだい)座主(ざす)――いや良源(りょうげん)上人に取り次げ。伝教大師をお引立てになったのは誰か、とくと考えろ」
門番の悪僧は顔付きも険しく、純友をジロジロと見た。純友の身分が低いので、延暦寺は怒り出すに決まっている。敢えて相識のある良源を持ち出した純友の策が図に当たった。
門番悪僧は「何ぞ、迷い事をば、ぬかす」と激しい口調で罵(ののし)った。
純友は「して遣ったり」と胸中で北叟笑(ほくそえ)んだ。
「良源上人は風邪で寝込んでおられる。帝の代官の摂政様の態度は如何に。我らは摂政様に不満がある。摂政様が今の地位に任官なさって早一年。興福寺には右(う)大将(だいしょう)殿を遣わしたと聞く。高野山は亡き寛(かん)平(ぴょう)の法皇(ほうおう)様(宇多(うだ)天皇)の加持祈祷をさせたと聞くが? これほど腹立たしい仕打ちは如何に?」
「良源上人にお取り次ぎしろ。儂は勅使だ。帝の勅に逆らうは逆賊ぞ。わかったか門番悪僧」
「黙れ、たかが地下人風情(ふぜい)が。強訴は決まった。もしも刃向かうのならば、弓矢に懸けて勝負を致すぞ。もっと身分の高き者を連れて参れ。わかったか」
純友は太刀を抜いて構えた。門番の悪僧は、愕(おどろ)いた。純友がまさか格式の高い延暦寺で太刀を抜くとは考えもしなかったろだう。純友は力強く頭上に斬り掛った。