先日、あるカフェに入ったときのこと。
後ろの席に居た女性三人の会話が耳に入ってきた。
おそらくは、同じ学校の保護者同士らしい。
ママ友、と言えばいいだろうか。
話していた内容は、学校の担任の人柄とか、自分の子供の恋愛事情だとか、他の子供の成績だとか、学校の行事の内容について、などだった。
それを聞いて「この人たちは人や周りの話ばかりで『自分』の話をしないのだなぁ」と思った。
彼女らを「自分がない」と冷笑したい訳ではない。
私だって自分の話をせずに彼女らの話をしているのだから。
そうやって我が身を省みたとき、自分の話をするというのは案外難しいものだと感じた。
というか、自分の話とはなんであろう。
一切、自分以外に触れることなく話すことなど可能だろうか。
どうしたって自分の周りの人々や、その周辺情報を出さざるを得ない。
そうしないことには自分のことなど語れない気がする。
そこまで考えると、自分というものを「確固たる個」として捉えるのは無理があるのだろうな、と思い至る。
自分を語るには他人や周囲を語らざるを得ない。とするなら他人や周囲も自分の一部……いや、自分というものはあくまで他人や周囲に内包される一部でしかない気がする。
関係性の中で生きるものが自分、という結論に着地するのは本意ではない。ないのだが、他になんと表現すればよいのだろうか。適切な言葉を探している。
先日、あるカフェに入ったときのこと。
後ろの席に居た女性三人の会話が耳に入ってきた。
おそらくは、同じ学校の保護者同士らしい。
ママ友、と言えばいいだろうか。
話していた内容は、学校の担任の人柄とか、自分の子供の恋愛事情だとか、他の子供の成績だとか、学校の行事の内容について、などだった。
それを聞いて「この人たちは人や周りの話ばかりで『自分』の話をしないのだなぁ」と思った。
彼女らを「自分がない」と冷笑したい訳ではない。
私だって自分の話をせずに彼女らの話をしているのだから。
そうやって我が身を省みたとき、自分の話をするというのは案外難しいものだと感じた。
というか、自分の話とはなんであろう。
一切、自分以外に触れることなく話すことなど可能だろうか。
どうしたって自分の周りの人々や、その周辺情報を出さざるを得ない。
そうしないことには自分のことなど語れない気がする。
そこまで考えると、自分というものを「確固たる個」として捉えるのは無理があるのだろうな、と思い至る。
自分を語るには他人や周囲を語らざるを得ない。とするなら他人や周囲も自分の一部……いや、自分というものはあくまで他人や周囲に内包される一部でしかない気がする。
関係性の中で生きるものが自分、という結論に着地するのは本意ではない。ないのだが、他になんと表現すればよいのだろうか。適切な言葉を探している。