日 本 酒
正月には、日本酒がよく合うと思う。
私が日本酒に目覚めたのは、20代の後半頃であったかと思う。
それまでは特別に好きなジャンルというものはなく、周りに勧められたりその場の空気に合わせて、アルコールを飲んでいたに過ぎなかった。
当時地酒ブームといったことが起こり、3・40代のそれまで日本酒には否定的だった世代が、地方の日本酒に目を向けるようになった。
大都市中心から地方が見直され始めた頃で、ライフスタイル的にもUターンとかJターンといった、都会から地方への回帰というような事が、しきりに喧伝されるようになった頃だったかと思う。
そういった時代の風潮に乗る形で地酒ブームが起きたのであった。
マスメディアでのCMで需要を喚起し、地方の酒蔵から余剰酒を搔き集め、ブレンドして売っていた、灘や伏見の日本酒メーカーの製品に満足しなかった、味覚に敏感な酒呑み達が注目しだしたのであった。
その先鞭を切ったのは確か「越乃寒梅」であったかと思う。
その酒は、今では多くの酒造メーカーが作ることになった、”純米大吟醸”といわれる種類の酒だったと思う。
当時は珍しかったこの種の酒がうまくないわけがなく、フルーティであっさりしたその酒は一躍人気ブランドと成った。
もちろん純米大吟醸ということであれば、手間暇もかかり大量生産が不可能であったことから入手は困難であり、価格も高かったことは言うまでもない。
ブランド品を好まない傾向のある私は、試し 呑みはしたが深入りはしなかったのであるが、それをきっかけに地方の地酒に目が向かったのは確かであった。

そんな私が地酒にはまったのは冬のスキーがきっかけであった。
ウインタースポーツとしてスキーに明け暮れていた20代後半から30代は、千葉の自宅から関越自動車道を使って、群馬や新潟によく出かけたのだった。
金曜の夜出て日曜日の夜帰って来るのであるが、夜はすることがないからスキー場近くの温泉旅館などに泊まっては、近くの飲み屋を開拓したたものである。
そんなとき出遭ったのが地酒であった。
私の口には新潟の酒が一番合ったようで、越後湯沢の「白瀧」や下越村上の「〆張鶴」などを好んで呑んだ。その端麗辛口のさっぱり系の味覚が私の口に合ったのだった。
それらの酒の味を覚えて以来、スキーの帰りに私は必ず地元の酒屋に立ち寄り、それらの銘柄の一升瓶を買い求めた。
当時住んでいた千葉に戻っても、それらの酒が食卓に並んだ。
それから30年近く経って、「〆張鶴」などは今では全国どこでも手に入るようになったが、当時新潟で地元の人達を相手に作っていた頃に比べ、味が変わったように感じている。
大きな違いがあるわけではないが、やはり従来に比べより大量に生産するように成って、ビジネスモデルを変えてきたためであろう、と私は理解している。
仕方ないことではあるが残念なことではある。
ネバーフッドブランドからナショナルブランドへの飛躍(?)のプロセスでは、よくあることだからである。
企業経営とはそういうものであろう。
多少の変質はあっても、今なお私のストライクゾーンに入っているので、今年も正月の酒にそのブランドを購入して、味わったのである。
私は去年から新潟を訪れる回数が増えている。
『・・越後之国』の物語を書いているからである。機会があれば村上市にあるその酒造メーカー/蔵元を訪れたい、と思っている。
ちなみに日本酒の味そのものを味わいたい方には、常温のひや酒を味わうことをお勧めする。決して熱燗などをしてはいけない。
日本酒の旨さは、常温でこそ味わうことが出来るのであるからだ・・。

日 本 酒
正月には、日本酒がよく合うと思う。
私が日本酒に目覚めたのは、20代の後半頃であったかと思う。
それまでは特別に好きなジャンルというものはなく、周りに勧められたりその場の空気に合わせて、アルコールを飲んでいたに過ぎなかった。
当時地酒ブームといったことが起こり、3・40代のそれまで日本酒には否定的だった世代が、地方の日本酒に目を向けるようになった。
大都市中心から地方が見直され始めた頃で、ライフスタイル的にもUターンとかJターンといった、都会から地方への回帰というような事が、しきりに喧伝されるようになった頃だったかと思う。
そういった時代の風潮に乗る形で地酒ブームが起きたのであった。
マスメディアでのCMで需要を喚起し、地方の酒蔵から余剰酒を搔き集め、ブレンドして売っていた、灘や伏見の日本酒メーカーの製品に満足しなかった、味覚に敏感な酒呑み達が注目しだしたのであった。
その先鞭を切ったのは確か「越乃寒梅」であったかと思う。
その酒は、今では多くの酒造メーカーが作ることになった、”純米大吟醸”といわれる種類の酒だったと思う。
当時は珍しかったこの種の酒がうまくないわけがなく、フルーティであっさりしたその酒は一躍人気ブランドと成った。
もちろん純米大吟醸ということであれば、手間暇もかかり大量生産が不可能であったことから入手は困難であり、価格も高かったことは言うまでもない。
ブランド品を好まない傾向のある私は、試し 呑みはしたが深入りはしなかったのであるが、それをきっかけに地方の地酒に目が向かったのは確かであった。
そんな私が地酒にはまったのは冬のスキーがきっかけであった。
ウインタースポーツとしてスキーに明け暮れていた20代後半から30代は、千葉の自宅から関越自動車道を使って、群馬や新潟によく出かけたのだった。
金曜の夜出て日曜日の夜帰って来るのであるが、夜はすることがないからスキー場近くの温泉旅館などに泊まっては、近くの飲み屋を開拓したたものである。
そんなとき出遭ったのが地酒であった。
私の口には新潟の酒が一番合ったようで、越後湯沢の「白瀧」や下越村上の「〆張鶴」などを好んで呑んだ。その端麗辛口のさっぱり系の味覚が私の口に合ったのだった。
それらの酒の味を覚えて以来、スキーの帰りに私は必ず地元の酒屋に立ち寄り、それらの銘柄の一升瓶を買い求めた。
当時住んでいた千葉に戻っても、それらの酒が食卓に並んだ。
それから30年近く経って、「〆張鶴」などは今では全国どこでも手に入るようになったが、当時新潟で地元の人達を相手に作っていた頃に比べ、味が変わったように感じている。
大きな違いがあるわけではないが、やはり従来に比べより大量に生産するように成って、ビジネスモデルを変えてきたためであろう、と私は理解している。
仕方ないことではあるが残念なことではある。
ネバーフッドブランドからナショナルブランドへの飛躍(?)のプロセスでは、よくあることだからである。
企業経営とはそういうものであろう。
多少の変質はあっても、今なお私のストライクゾーンに入っているので、今年も正月の酒にそのブランドを購入して、味わったのである。
私は去年から新潟を訪れる回数が増えている。
『・・越後之国』の物語を書いているからである。機会があれば村上市にあるその酒造メーカー/蔵元を訪れたい、と思っている。
ちなみに日本酒の味そのものを味わいたい方には、常温のひや酒を味わうことをお勧めする。決して熱燗などをしてはいけない。
日本酒の旨さは、常温でこそ味わうことが出来るのであるからだ・・。