落ちると上がる

記事
コラム
こんな風に書きたいな~が今は湧いてきますが、
自分もそれを表現することで
自身を知ることに繋がっています。

昔は「役にたたなきゃ」と力む自分がいましたが
今はいないのですよね・・・

この可愛いなあと感じる鳥のように
私たちも”頑張らなきゃ”な自分がいなくても
(いや・・・居ない方がいいといっていいかな)
そのままの本来のエネルギーを遮らず出してあげれる
循環できるのです(^_-)-☆

昨日書いた記事を読み返して
ふと湧いてきたのが

落ちると上がるには良い悪いは無いということ。

どうしても私たちは生きてきた”世間”の見方という色眼鏡かけていますので
落ちるは悪いこと、上がるは良いことと
反射的に捉えちゃってることが多いんじゃないかなと思います。

ただ”落ちる” ただ”上がる”
そこになんの解釈もつけず見るということが”あるがまま”ということ。

昨日の落ちるは、世間や物質的な見方の3次元的な領域。

上がるは魂意識、神意識といわれるような純粋な意識の領域へ向かうという感じです。

恋すると、相手を自分の所有物にしたい、自分のものにしたい
私だけを見てほしい、そんな執着やコントロールの制限の中に陥ってしまいますよね。形に縛られる関係性。

それは悪いことではないですよ。
ただの”体験”です。

愛は上げるは、その3次元の領域から解放され
意識が広がり視点も高くなっていくということの中での育みです。

また視点のお話ものちに書こうと思いますが、
視点が変化してくると
人としての視点、分離した視点から
見えるもの全てが私だと広がる視点へと変化していきます。

ですから、愛する人の見えるものも
全て私なんだなと大切に感じるようになるのです。
不思議なんですけど・・・

相手の見えるもの全て相手であり、私の見えるもの全て私
あなたはわたしということは
あなたに含まれた全てはわたし・・・
結局は全てはわたし。
そのような感覚なのです。

相手全て愛するということはそんなことだったのだなと
最近ではその感覚が浸透してきています。

5次元といわれる魂意識は
そのような全てを慈しむような感覚が浸透してくるということだと感じています。

なんだか話がそれてきてしまったけれど
結局視点のお話になっちゃった?
まあそれもそれ('◇')ゞ

落ちる、上がるはそんな感覚からの表現でした。

どちらが良い悪いではなく
あくまでも、それぞれの”今”必要な体験ですから(*^-^*)









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