共依存型の愛着関係

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今日は、私が2010年9月29日に書いたブログ記事を読み返し、いま読んでも大丈夫なように少し手直ししてお伝えしたい。
なぜなら、この「共依存」の問題は、日本社会で無視できないものだから。

人は生存の恐れを、注目化と近接化を得る愛着行動でコントロールする本能を持っている。しかしケア提供者であるべき養育者が情緒不安定なとき、本来ケア受給者であるべき子どもが愛着を得るために養育者の情緒的ケア提供者になることを余儀なくされる
その結果、成人してからも新たな家族や職場の情緒不安定な人を見出し、「依存させる、依存する」というかつての親子関係を置き換えた共依存型愛着関係を無自覚に得ようとする
これは、私の恩師・宗像恒次の言葉である。

私が「ゆう星☆心と身体の談話室」をインターネット上に開設したのは2001年2月3日。いまから10年ほど(2023年9月からは22年半)前のことだ。
その頃の私は、ITを使った予防医療や保健指導支援事業がやりたくてたまらず、なのに自分の思いを十分に実現できていないというフラストレーションの中にいた。

自分がかつて酷い自律神経症状に悩み、それが心の問題と密接に関係しているんだということも伝えたい。夜な夜なネットを彷徨う中で、多くの悩める人の相談に乗っている熱心な人と出会い、「私のような者が、同じようにネットで振る舞うことは傲慢か?」と訊ね、「なぜそのように思う?やりたいならやればいい。」と言われたことがきっかけだったと記憶する。

人助けをするのに傲慢?
…私の中に、違和感があったのだ。でもそれが何なのかが解らないまま、私はウェブサイトを開設し、私専用の掲示板を設置、寝る間も惜しんで悩める人の相談に乗った(掲示板の過去ログを拝見いただければご理解いただけると思う)。
訪問者の訴えの背後の気持ちを言い当て、こうしたらいいとアドバイスする。「(私と)話してよかった、元気になれた、ありがとう!」そんな言葉に、私は自身の生きがいを見出していた。

いまもその掲示板を残してあるので、ご覧になっていただければ分かるが、私はほとんど見ることがないため返信をすることがなくなった。私がいなくて寂しいと訴えられる方もいる。しかし私は、その言葉にほとんど反応しなくなった。
それはなぜか…


答えは、冒頭の宗像の言葉にある。
ようやく私は、自分自身の共依存型愛着行動に気づいた。私は、ほんの数年前まで、私の掲示板に訪れるみなさんとの共依存関係にあったのだ。
また私は幼い頃、病弱で大変だと親からよく言われた記憶がある。それは病気になることで親の注目化を図るという私の無自覚の行動だったのか、あるいは、親自身が私を病気にすることで、こんなにも手をかけているんだよと、自身の存在意義を見出したかったのかはまだよく解らないが、いずれにせよ迂回した愛着獲得行動だったことは確かだ。

人はいくつになっても親の愛情を十分に感じられる(愛されていると満足する)まで、相手を変えてでもそれを得ようとする生き物であり、それが無自覚に行われ続けるんだなぁと実感する。
そして、それが問題なのだ!

宗像は言う。その行動は、
「不安と不信と搾取」を伴う悪性ストレスの渦をつくりだす。
自分に関心を向けてもらえるのか、
嫌われたらどうしよう…
いつも不安の渦中に投げ出され、少しでも相手の反応が自分の思いと異なれば、そこに不信が生まれる。職場においては地位を利用し、搾取も行われることが後を絶たない。

ストレスはうつを生み、がんを育てる。いまの社会問題、医療問題の核心は、このストレスにあるといっても過言ではないだろう。
うつもがんも「不安と不信と搾取」の中で、自分独りがんばってがんばって、頑張り抜いた挙句に、どうしようもなくて発症すると聞く。しかし、それを契機に生き方を変え、本来の自分がやりたかったことを、我慢せずにする。できない言い訳をするのではなく、やれることを思うようにやっていく。自分でできることに満足し、感動し、共に生きてくれる人に感謝し、尊い、安心の中で生きる。

いまの共依存社会から抜け出して自己報酬型で生きる幸せを、今後は届けていきたいと私は思う。


最後までお読みになって、いかがでしたか?
これは、とても深い内容だと、いまでも私は思います。

私は両親からとても愛されていたと、いまは心の底から思っています。
けれども、あれしちゃダメ、これしちゃダメと親の意に反することをするとすぐに止められました。
母親はいつも感情的に反対しました。父親はとても心配性な人で、いつも転ばぬ先の杖を打ってきました。両親の子供に対するそのような態度は、その生い立ちを理解したら十分にわかります。けれども、私はそんな両親が嫌でした。窮屈でした。私が成長するにつれ会話もなくなり、こちらの様子を伺われるのも、とっても嫌でした。

父親は、私が46歳の時に脳内出血で倒れ、数カ月間一度も意識を戻すことなく、アメリカ出張の折に逝き、母親もその翌年、長く骨髄腫を患いながらも元気で、いつもの治療入院で病院に行った時に院内で転び、脊椎を折って寝たきりとなり、病院で逝ってしまいました。
あまりにあっけなかった。母には言葉をかける時間が十分にあった。けれども、私は、仕事帰りに病院には寄るものの、最後まで本音を伝えることができませんでした。
そんな両親に私は思いを残したままだったのですが、SATイメージセラピーで回想した二人は、とても優しく慈悲深い仏様のような優しい表情で、私のことを赦し、見守ってくれていたのです。
そしてその後、資格更新のための研修ペアワークで、同様のイメージ下で出てきた私自身は、ひ弱な少年ではなく、いたずらっ子のような顔をしたわんぱく少年。これが私の本質なんだと、その時に悟りました。
そのイメージを脳裏に強く焼き付けたことで、常に私は無償の愛を受け取れる(感じられる)ようになったのです。

父親は突然倒れてしまったため、母親のように会話をする時間がありませんでした。私が大きくなってからの父親は、私の顔色を探ることが増え、まとめなコミュニケーションがとれなくなっていました。その分、気がかりは大きかったのですが、ペアワークで幼い頃によくキャッチボールをしてもらった優しい父を思い出したりして、気持ちはラクになっていたのです。それでも拭えなかった気がかりがありました。死に目に会えなかったということ。しかも、亡くなった時、私はナッシュビルという田舎町にいたため、葬式にも間に合わないということで、そのまま仕事を優先し、帰宅が1週間後になったこと。
これを解決してくれた出来事もありました。以前ブログで書いた覚えもありますが、長くなったので、また改めてお伝えしたいと思います。

世の中には、この「共依存」で成り立っているビジネスもたくさんあります。それをビジネスにしてはダメだと私は思いますが、医療だって心理カウンセラーだって、それで食べている人はとても多いと感じます。
現代医療は対症療法、病気を根本から治そうと思っている医師がどれくらいいるのでしょう(これは医療保険制度の問題も大きいのかもしれませんが…)。カウンセラーも話を聴いて癒すだけ。悩みの根源を共に探り、対処しようなどという人は稀ではないでしょうか。言い過ぎていたらごめんなさい。けれども、そんな経験を、私はたくさんしましたし、だからヘルスカウンセリングを選んだんです。
セルフケアできる人を創ることこそ必要ですよね。でも、そうなると、手っ取り早く食えるメシの種がなくなってしまうんです。だから、その場しのぎのことだけやって依存させてしまう。あるいは、そのことにさえ気づかず、過去の私のように、人の役に立つことに自分の存在価値を見出している(救世主症候群)だけかもしれません。

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