本とその他

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小説
本の何がいいって、映像的なものの殆どが自前で構成できるところですよね。
映像作品だと、必然性の無いキャラが不必要に目立っていたり、主要人物の姿や声や動きなんかが好みじゃなかったりすると、テンションメーターダダ下がったりしてしまう。
100人に見せて100人共に「好感もてるキャラの姿だ」ということなど無いので、小説から妄想させるような俳優を当てたり、絵で描ききるなんてことは不可能に近い。
まあ、映画化とかアニメ化とかが上手くいかない要因の一つだと思うのだけれど、ここの要素って、俗っぽくて取るに足らないと思われがちだけれど、現実としては結構大きい要素な気がする。
キャラだけじゃなく、背景だったり、そのまた奥の明文化されない部分の雰囲気的なものだったりが、一瞬であったとしても気に入らないとかでもひっかかってしまう。
視聴を止めるまで行かなくても、最終的な判断の段階で結構点が低くなってしまうのじゃなかろうか、と。

そこまでを含めた「映像」作品であり、芸術なのだから仕方ないところではある。
当然、クリエイターの能力で、そんな一般的な妄想レベルなどオーバーライドして新しい価値を社会に植え付けてしまう、なんてことも、かつてのオードリーヘップバーンさんの登場みたいに、たまに起こるので、勇気ある方々は尊敬するけれども、やはりたまに起こることでしかない。
なので、漫画の顔にしたって万人受けを狙うのが王道になるだろうし、個性的な何かで推してゆくにしたって、その他の部分に相当の技量がないと難しいでしょう。
その点、小説のままの物語だと、そういう部分は勝手に読む人が変化させたり意図的にキャラから顔を消し去ったり、適当に読み飛ばし気味にすることだってできる。
無論主人公は、自分好みの美形で想像し理想的な立ち振る舞いで芝居させることができるし、最初はどうでもいいなと思っていたわき役が、徐々にいい芝居をするようになったら、どんどん男前に改変してゆくことも可能。
結果、読み手にとってマイナスな部分は可能な限りカットされて、良かった部分は強調される。
小説マンザイ!

その代わり、文字データから映像化までの処理は実質的な負担として読者脳に丸投げみたいなことになり、結果として、持ち時間の少ない現代の人々からは嫌われることになっているわけですけれどね(笑)
その分、作者側がすごーく頑張って、そんな負担を感じさせないような物語を作り上げればいいことなんだけど・・・。

全国民に当てはまるって訳じゃないけれど、こういう単純で少し考えれば誰でも思いつくような優位はあるわけだから、もっと恥も外聞もなくそう宣伝すればいいと思うんですよね。
なんですか? 日本の古来から続く文化みたいなものでしょうか?
行間をよみとれとか
言わずもがなとか
本の作り手だよとか、もったいぶってる場合じゃないと思いますよね。

AIに確率的に作られた女の人が凄く美しい! とか回りくどい流行に振り回されていないで、本物の、あなた達の脳で、この物語のこのキャラを創造してみてください、というべきでしょう。

予定に反して批判じみたことを言って、かなり己にシブキがかかっていますけれど。まあいいでしょう(笑)


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