心理的安全性:「相手に問題があるとき、実は自分もその問題の一部になっている」

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コラム
最近、「心理的安全性」についてとある本を読んでいます。

臆することなく発言・助け合いができる「心理的に安全な」場所・空間こそ生産性が高い、とする考え方です。

最近よく耳にしますよね。

その本の中に

「相手に問題があって困っている。それに私は困っている」というとき、実はあなたもその問題の一部になっているのです。

という一文がありました。

これを読んで、つい先日、課題の分離について整理しなおしていた僕は一瞬戸惑いました。

相手に問題があって困っているのに、その問題を自分から切り離すではなく「自分を問題の中に」入れる????

しばらく、というか今日一日ずっと考えていたのですが、とりあえず自分なりの答えにいきついたので簡単にシェアできればと思います。


介入ではなく「働きかけ」を自分の課題と捉える

その本にこんな一例がありました。

「自分の意見を持たない若手」に困っているとき、「自分自身は、若手が発言した直後に適切な反応や見返りを与えられたか」という観点を人はつい忘れがちです。 と。

この「自分には何ができたのか」というところがポイントなのかなと。

課題の分離では、そもそも他人は「変えられない」。
変わろうとするかどうかはその人の課題であり、我々は変われるように働きかけることしかできない。

と考えます。

この場面でいうと、意見を持たないことで損をするのはその若手であり、自分の課題ではない。

ただ、そこで「なんで意見が無いんだ!」と介入するのではなく、「自分の問題じゃないからいいや」と放任するのでもなく、「適切な反応ができていたか」と自分の課題として捉えること。

まさに介入ではない「働きかけ」ですよね。

「適切な反応ができず、意見を出してもらえないと困るのは自分」と自分の課題として考え、適切に反応できるようになることで、若手にとっても心理的安全性の高い場所となり、安心して発言できるようになる。

つい「意見を持て!」と思ってしまいそうな場面ですが、捉え方と働きかけの仕方次第で結果は変わる。

これまでの社会人生活を思い返すと、似たような場面もたくさん見かけた気がします。笑

これが私なりに考えた先に行きついた答えです。


とはいえ、「他人は変えられない」という意識が抜けてしまうと、原因自分論を強めてしまいそうだとも思いました。とくに僕自身。

「これだけ頑張ってもダメなのは自分の働きかけが良くないんだ」という風に。
白黒思考の悪いところが出てしまいそうです。笑

課題の分離って奥が深いですね。
心理的安全性についての本もまだ前半戦なので、読み終えたらまたアウトプットできたらいいな。

ではまた!

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