#42 日々、耳を傾ける ~愛されなかった時、“自己受容” から始めるというのはどうかな?

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おはようございます。
はるつぐ(はるコーチ)です♪^^

以前「愛されなかった時どう生きるのか?」
というタイトルで、2回ブログを書いたことがある。

うん。

愛されるというか。。。
“そのままの自分” をヒトから認められずにいると、
辛いものだと思います。
そのままの自分を認められずにいると、
自分のことを愛することが、とても困難になります。

愛されないと、
「ヒトから認められたい!」
という願望が強くなる。
「もっと認めて!」
「もっと私を見て!」
という状態になり、
ヒトを愛する余裕がなくなるのだと考えます。

はて。
しかし、
愛されなかった時には、どうしたらいいんだろう?

“愛される”という行為は、
他者から施されるもの。
自分ではコントロール出来ない。

一方で、
“愛する”という行為は、
自分で出来る。
しかし、
“愛された”ことがない人は、
“自分を愛する”ことが困難だ。

ニワトリたまご?

どっちから始めたらいいの?

“愛する”方が先なの?(愛されないと困難)
“愛される”方が先なの?(自分でコントロールできない)


どっちなんだい?


。。。。。
考えてみた。

「自分を愛する」という言葉には、
ハードルの高さを感じる。

「自分を認める」ということから始めるのはどうだろうか?
( “愛する” と “認める” は、突き詰めると同義のような気がするが。。。)

“自分を認める” つまりは、“自己受容” ということ。

“自己受容” というのは、
“出来る自分” を認めるってコトじゃないよ。

「ここまで頑張ってきたんだから、自分のことを認める」
とかじゃない。

“出来ない自分” も “出来ている” 自分も受容する。

“出来ている”自分は、受容しやすいかもしれない。
でも、
“出来ている”自分は、仮の姿だ。
すぐに、“出来ない”自分が姿を現す。
そこに頼るのはやめよう。

“出来ていない自分”を受容しよう
ちょっと “諦め” ている部分があるかもしれない。
「仕方ない」
そういう感じ?

でも “諦める” とは “明らかに見る” ということでもある。

理想とは、状況が違うかもしれない。
出来ない自分に歯がゆいかもしれない。
でも、受け入れてみよう。

そういうことなら、
“自分を愛する”っていう言葉より、
ハードル低そうじゃない?

それでも、
「自分を許せない」
「現状を受け入れられない」

そういうコトもあると思う。


そういう時は、、、

“目標”を持ってみよう。
今じゃなく、将来を見てみよう。

今は、ダメかも知らんが、
将来、きっと状況は打開出来ている!

“習慣” を味方につけてみよう。
今、出来ていないかもしれないが、
出来ていないを繰り返す
毎日毎日、同じことを繰り返す。

少しずつ、出来るようになる自分を実感する。
いや、出来ていなくても、
毎日続けている
いや、毎日じゃなくても、
“続けられている”ことで、
未来を信じやすくなる。
(“続けられている”という状態だけで、ひとつの“出来ている自分”
 ではあるのだが。。。)

どうであろう?

自分を愛するのは、
いきなりは困難ではないだろうか?
今の自分を “受け入れる” ことから始めるのが、
容易なのではないだろうか?

今の自分を受け入れるには、
“目標”を持つこと
そして、その目標に向った “習慣” を身につけるのが、
それを容易にしてくれるのではないだろうか?

そんな風に考えるのです。

皆さん、どう考えますか??
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