近所の公園も、
色づいた落ち葉で、すっかり敷き詰められて、
冬に向っているのを感じますねぇ。
おはようございます。
はるつぐ(はるコーチ)です♪^^
今日は、最近あった息子との会話について紹介します。
ウチの息子は、高校一年生なんです。
吹奏楽部でオーボエを担当しています。
オーボエって楽器は、吹き口がダブルリードという
葦を細長く削ったものを2枚重ねて作られたもので出来ているんですね。
繊細なんです。
↑ ダブルリード、こんなの
なので、オーボエ奏者ってのは、
行進しながらの演奏(ドリル演奏)には、
参加できない。
ちょっと可哀想な楽器でもあるようです。
↑ドリル演奏(イメージ)
↑オーボエ演奏(イメージ)
[こんな細いモン咥えてたら確かに動けなさそう]
で、
部活がドリル練習をしている時には、
彼は暇になってしまうわけです。
昨日は、そのドリル練習があったそうで、
することがない彼は、
パーカッション(ドラムとかシロフォンとかその類い)を、
部室まで運んだそうです。
そのことを夕食の時に私に話してくれました。
その時、息子が言い放った言葉、
ちょっと衝撃的だった。
息子「そしたらさ。パーカッションの人たちに『ありがとう』って
言われたんだよね。『へぇー、そんなこと言うんだ』と思った。」
いやいやいやいやいやいや💦
あのね。
その「ありがとう」は、
すごく大事なんだよ?
君のやったことに「意味がある」って、
そう言われたんだよ?
君が他者に施した行為に「価値がある」って、
そう認められたんだよ?
きっと、自分のパートでもない楽器を運搬してくれて、
パーカッション担当の人から、心からそう言われている。
社会に出て、お金を稼ぐってことは、
煎じ詰めると、そういうことなんだよ。
でも、組織が大きかったり、
直接、顧客から「ありがとう」なんて言われる機会は、
滅多にない。
「何のために働くのか?」が見えなくなったりするけど、
人のために何か貢献できたことに対して、
お給料をもらってんのよ?
意外そうに言う息子に違和感。
はて?
これが、現代の若者の感覚なのか?
「ありがとう」と言われることに、あまり “価値” を感じていないようだ。
なぜだろう??
満たされすぎているのか?
それとも、“自分の価値” が、ヒトに世の中に貢献できたこととイコールだと、
分かるようになるには若すぎるのか?
一応、息子には言っておいた。
「その『ありがとう』は、大事なんだよ。
仕事って『ありがとう』を言われる為にあるんだよ」と。
伝わってるかなぁ。。。
『へぇー、そんなこと言うんだ』と思ったりして。。。
今日も、耳を傾けていく。
はるつぐ