#43 日々、耳を傾ける ~ “自立” に “能力” は必要か?

記事
コラム
おはようございます。
はるつぐ(はるコーチ)です♪^^

最近は、よく “自立” について書きます。

コーチングを行う上で、
自分にとっては、大事なキーワードでして、
コーチとして、クライアントに寄り添いつつも、
最終的には、“自走” なり “自立” を目指します。

これは、
親が子に対する接し方でもそうですし、
上司が部下に対する接し方でも同じことだと
考えます。
最終的には、“自立” を目指す支援。
それが、健全な支援(=コーチング)です。
そうしないと、何かを間違えてしまうと思うのです。


今日は、“自立” には “能力” が必要か?ということを考えていきたいと
思います。

“自立” の定義については、何回か申し上げました。
私は、『自分で自分を満たせる人』と置いています。
カタく言いますと『自己受容を果たしている人』
とも言えるでしょうか。

“今ある自分”と“自分の状況”を心穏やかに受け入れている。
“理想”を持っていて、それに向っている。
“現状”と“理想”のギャップに、心を乱さない。

そういうこと。

では、
“自立” に “能力” は必要なのか?

結論から申し上げますと、
「“自立” に “能力” は必要ない」
と言いたい。

“言いたい” と書くのは、ちょっと自信がないから。

全くの “無能” でも、“自立” 出来るものなのか?
極端に言うと、赤ちゃんは自立出来るのか?
ということになってしまう。
ここまで極端だと、さすがに、
「 “自立” にある程度の能力は必要だよな。。」
と考えてしまう。

ただ、
逆に、“自立” するのに “能力” に頼った状態というのも、
これはこれで、危険だと考えます。

「〇〇に合格したら、自分を許せる」
「△△ができない自分は許せない」

確かに、
こういう想いが、成長に向うエネルギーになることもあるけど、、

人生の大部分の時間が、“達成出来ていない時間”なワケです。
達成出来ない状態を受け入れられていないと、
それを “他者からの承認” や “他者に勝つこと(マシだと思うこと)”で、
埋め合わせをしようとしがち。
これでは “自立” は果たせない。

“理想” は “理想” として、持ち合わせる。
“現状” は “現状” として、持ち合わせる。
そのギャップについて、埋めていく努力を日々積み重ねる。

そういうことなんじゃないだろうか?

たぶん、
永遠にこの状態は続く。
いつなん時の状態も、常に“不満”。

“勝利”・“達成” で得られる “満足” は、一瞬。
その美酒に酔うことも大事だけど。。

そこに向っている時間も含めて、
“満足”(受け入れている)ということでないと、
ずっと、不幸だし、
何より前に進むエネルギーがなくなってしまう。

そこに向っている時間が、
“不満”であったり、
そういう時間に耐えられなくなると、
人は、間違った方向に向ってしまう。

間違った方向というのは、
先も述べた “他者承認で自分を埋めること” だ。
これでは、いつまで経っても “自立” することは出来ない。

“自立” に “能力” は、必要なのか?

ある程度は、必要なようだ。
(赤ちゃんは、自立とは言わないから)
その、ある程度は、どこまでかは、また別の機会に。。

少なくとも、
“自立” を “能力” に頼る状態は、違うといいたい。
“自立” = “能力の高さ”
ではないのではないだろうか?

皆さんなら、どう考えますか?


はるつぐ






サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す