こんにちは。
いつもブログをご覧いただきましてありがとうございます。
昨日は猫の日だったので、
思わず猫の話をしてしまいました(;^_^A
今日は本題にもどり仏教についてお話します!
あ、ちなみに実は猫って仏教においても意外と重要な動物なんですよ♪
これは本題からは外れるので、またの機会にお話ししますね。
さて突然ですが、みなさんに質問です。
仏教は何を目的として説かれたと思いますか?
やっぱり世間で一番ポピュラーなお経は、『般若心経』ですかね。
お寺に写経を奉納されるさいも、『般若心経』がほとんどです。
このお経は約260文字ですので、手軽に写経が始められます。
中には『般若心経』を暗記されてる方もいました。すごいですよね。
このお経は空(くう)の思想といって、
一言で説明するのは難しいんですが・・・・・
まあ心にこだわりを持たない。有るとか無いとかの二極化をはなれ柔軟な心をもちましょう、そういう智慧を持ちましょうという内容のお経です。
あと座禅も人気ですね。
最近ではマインドフルネス・ストレス低減法というものも人気があります。
このマインドフルネスは一切の宗教色を取り払っているので、一般の方も入りやすいのでしょう。
座禅に参じてる方や、マインドフルネスを行っている方は、心の安らぎや、癒し効果を実感されていることと思います。
実際に非日常的な体験は、新鮮さもあってリフレッシュはできるのです。
心がすっきりして、がんばろうと思えるんです♪
こういう体験を通して仏教に関心を持っていただくことは有難いですね。
『般若心経』の智慧や座禅による心の安らぎと癒し効果を通して、更に仏教の奥深い部分に触れていただければ、より幸いです。
もう一度お聞きします。仏教は何を目的として説かれたと思いますか?
何のために『般若』の智慧を習得するのですか?
何のために座禅をするのですか?
仏教は「生きる」ための哲学なのです。
まずは生きていくことが第一の前提です。
仏教とは仏道修行の上に作られた教えなのです。仏道とは「道」です。
「道」とは生きることそのものを指してますよね。
ですからそこには先人の残した生きた智慧が沢山あるのです。
本来は『般若』の智慧も、座禅も日常生活の中に活かされていたはずです。
『般若』の智慧から見れば、日常非日常という差別などありません。
また座禅においても、臨済宗の白隠禅師(はくいんぜんじ)という方は、
「動中の工夫は、静中に勝ること百千億倍す」という言葉を残しております。
この意味は静かな所で、気持ちを落ちつかせることは誰でもできる。
ひとたび騒がしい日常生活に戻ってしまえば、静かな所で得た心境など、一瞬
で吹き飛んでしまうぞ。
慌ただしく目まぐるしい日常(動)の中にこそ、心揺らがない静かな心境を求めなければならないのだ。
そのために日常の生活の中に自分なりの工夫をしっかり持って取り組みなさい。
それは静かに座っている事よりも、百千億倍も難しく価値あることなんだ。
というような意味ですね。
『菜根譚』という中国の古典にも
「静中の静は真の静にあらず、動処に静して・・・・性天の真境なり」
これも同じような意味です。
動中の静です。心が静かにならない場所にこそ、自分を磨ける環境があるのです。
そこに向き合うことは、時に辛く苦しいこともあります。
無理に立ち向かう必要はありません。
ですが、心の内にわずかにも前に進みたい。
変わりたいという気持ちがあるならば、勇気をもって一歩踏み出してみてください。
それが生きるということだからです。
仏教は2500年の歴史を越えて現代に伝わる智慧です。
必ず、誰の心にも響く言葉があるはずなのです。
そういったことを僅かながらですが、アドバイスさせていただきたいと思うのです。
次回は仏教が示す真理についてお話します。
長文お読みいただきありがとうございました(´∀`)