毎日の食事が人体実験。

記事
コラム
この数ヶ月胃の調子が良かったので、休日にリラックスしたいなとカフェでコーヒーを飲む機会をつくっていたら、あっという間に胃もたれや消化不良を感じるようになりました。

私は過去長く過食症だったので、酷い逆流性食道炎だということは何度も書いていることですが、
嘔吐する際の胃内部からの圧で、胃の入口噴門部が緩み、そこから食道まで胃酸が逆流したこと、またそれが常習的に繰り返されたことが大きな要因だと考えています。

散々食べ物を粗末にしてきた罰だと受け止め、更にこれからもあらゆる罰を受けるだろうと覚悟はしていますが、40代後半にしてこんなに弱っている胃をどこまで自己管理で支えていけるのか心配になりますが、
まあそれこそが罰なんでしょうね。


これも何度か書いていますが、
私自身、「長いこと摂食障害だったけど何だかんだ健康で生きている」
という摂食障害者のポジティブなサンプルになりたいと思っています。

「食べたものを躊躇いなく消化させる」という、普通とも感じさせない当たり前の生きる本能として組み込まれた行為ができないことは、
それが、
人によってはかまってちゃんだとか、自虐的にみえる行為が「自作自演」ちっくに写ったとしても、
身体を擦り減らし寿命を縮めて生きていることは事実です。

環境や自分の弱さなどが総合的に絡み合い摂食障害になったことで、同年代の女性よりも身体にガタがきていることはどうしようもないし、
自分はなんて不幸なんだ、八方塞がりなんだと嘆いても、幸せがくるわけでもなし、道が開けるわけでもない。
この年齢まで来たら親の教育が原因だとか言うことも、恥ずかしいと私は思うので、
「長いこと摂食障害だったからこそ今私はポジティブだ」という未来を作っていくしかないと思っています。

最近は特に「毎日の食事が人体実験」のように感じています。

冒頭に書いたように、
週に1〜2杯のアメリカンコーヒーでも胃の不調を感じるなとか、
カフェラテだとアメリカンコーヒーよりも影響が少ないようにも感じるなとか、
朝食を軽く済ませた後のコーヒーより、それなりの量を食べた直後なら、吸収速度が遅くなるためかまだマシに感じたなとか、

食べてみて身体に起こる変化を敏感に感じ取ってモニタリングすることは、健康でいるためにすごく大切なんだなと感じています。


私はもう40代後半ですし、特別養護老人ホームで管理栄養士として勤務していることもあり、
「自分が高齢者になったら」「自分が施設にお世話になったら」とよく考えます。

特別養護老人ホームへ入居されるご本人には正確な聞き取りができないために(ほとんどの方が認知症あり)、
ご入居契約の際、ご家族に「食物アレルギーはないか?好きな食べ物や嫌いな食べ物は何か?」など聞き取りをします。

その時、自分に照らし合わせ思うんです。
「私が体感したNGとする食べ物や食事の拘りを子どもたちが把握できてるわけないよな〜テキトーなこと言われちゃうんだろうな〜」

でもまあ、こういう施設に入る頃には認知症になっているだろうから、ヘルシー志向の拘りもなくなっているかもしれないかなぁとか、
いやいや認知が入ると一層拘りが増してるってことも大いにありそうだなぁとか、

出された食事を目の前にカロリー計算しそうだなとか、入居している施設の管理栄養士さんに「食材費の関係もあるでしょうが、緑黄色野菜が少ないんじゃないの?」とか言っちゃうのかなぁとか、

考えちゃうんですよね。

考えれば考えるほど、自分は施設には入りたくないなって思います。

「適切な食事」とか「正しい食習慣」とか
ご入居者様への栄養計画書というものを作成する際に、私もよく使う表現ですが、

施設にある場合、何をもって適切と言うのかって、
「施設で対応できる範囲内での適切な食事」ということが前提ですし、
施設の基準をはみ出す個別対応は基本的にはできない所が多いと思います。

個別の尊厳を大切にされていても、やはりそこは集団生活の場だからです。

正直なところ、「あれ食べたいこれ食べたい」とか個人の意向はなかなか汲み取ることができず、基準や安全重視となることが一般的だと思います(有料老人ホームは少し緩いかもしれません)。


毎日の食事が人体実験だと書きましたが、
最終的な(亡くなるとき)人体実験の評価って出しにくいだろうと思っていますが、実験過程のモニタリングは案外明確に出していけると思っています。

自分の身体の変化を捉え食事を観察して、不具合があれば「次からはこうしていこう」と少しでも現状を変化させていくことで、
「わたし、長いこと摂食障害だったけど何だかんだ健康で生きてるじゃん」と言える未来を作り、
誰かのお世話になることをできる限り遠ざけていけたらと思っています。


良いと言われているものが実は有害だと覆されたりするし、
きちんとした裏付けがないものをせっせと買っていたということもあるし、
食べ物は大きなウェイトを占めるとしても、食事だけでなんとかなるものでもないですし、
実際問題、ホント先のことは分かりませんけどね。

良いにしろ悪いにしろ、ずっと食事に拘りを持って生きてきているので、
食事絡みで、今自分が選んだやれることを全力でやりたいなとはいつも思っています。


私たちに情報が届かないだけで複数のことが隠蔽されていたり、作為されていたり、頭の悪い私でも、もうそんなことあちこちでやってるんだろうなと分かるくらい、不透明すぎる不安定すぎる未来に不安もよぎりますが、

自分を守ることができるのはやっぱり自分で、そういう気持ちで生きていかないと自分自身が後に生きながら死んでいるような思いを抱えることになるということを、頭に入れておかなきゃいけないなと思っています。


今回も読んで頂き、ありがとうございました。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す