「太っている人はリーダーにはなれない」について思うこと。

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今は一般論になったためか、あまり聞かなくなってきましたが、
10年以上前かもっと前か定かではないのですが、
「太っている人はリーダーになれない」といった内容が話題になったことがありました。

この「太っている人はリーダーになれない」の意味するところは
「太っている人は自分の身体も管理できず自己管理力に欠けているのであって、そんな自分も管理できない人間に、人や組織を管理できるわけがない」
ということで、
主に社会人の間で話題になったんじゃないかと記憶しています。

批判めいた内容に、体型で人を判断することをビジネスの世界でも堂々と公言するんだと、ちょっとセンセーショナルに思ったことを覚えています。

年代など詳しくは覚えていないのですが、恐らくこの辺りから健康ブームの波みたいなものが来ていたんでしょうね。
低脂肪ヨーグルトとか低カロリーレトルトカレーとか、普通に出回っていた頃でした。

当時の自分はモチロン、痩せることに闘志を燃やしている摂食障害でしたので、「やっぱり太ってるってダメなんだ」そう納得していました。

肥満者が多い米国に倣ってこんな考えが入って来たようなことも聞きましたが、社会的な流れもちょうど当時の日本にマッチしていたのかも?しれません。

さて、
この内容について、
時が経ち今は、
「適正体重の人でも自己管理できない人は山ほどいる」と感じるし、そんな人を見てきたし、

太っている、肥満という括りをするのであれば、もちろん標準値があって、痩せの域もあるBMI値という国際基準を指標としていると考えられますが、
標準値以下の痩せている人もまた、標準値に近づけるよう食生活を見直す、自己管理するよう指導される対象です。

同様に標準値をはみ出している痩せの域は置いといて、
肥満や太っている人にだけ批判めいた自己管理力を求めてくるような傾向は、
生活習慣病患者さんの増加という流れからの健康ブーム、ヘルシー志向からなのでしょうが、少々偏りがあるなとは感じます。

身体のために、健康のためにといったことを置き去りにして、太りたくないと見た目で思わせるような風潮です。

摂食障害の患者数は年間22万人ともいわれているようです。

「拒食症」「過食症」それぞれの患者数のデータは拾うことができなかったのですが、
恐らくは拒食症と過食症はセットであることが多いこと、拒食症過食症の線引きが曖昧であることなどが集計を難しくさせているのだと思います。

摂食障害の人が治療を始めても、治療効果が上がらないことで途中で断念する方も多いようです。私もそうでした。

拒食症と過食症を引きずったまま生活のために何とか社会に出て、過食症を隠しながらごく普通に生活している人も実は結構いる考えると、

患者数としてではなく、「摂食障害」を持ちながら社会生活を送っている人は相当の数だと考えられます。
私も摂食障害を隠しながら栄養士として働いていました。

若い女性の痩せの増加(摂食障害や予備軍の増加)が社会的に問題となっていることは事実で、
妊娠しても体重増加を恐れてダイエットを続け、低体重児が産まれるなど問題がありますが、

私は、摂食障害の治療を途中で断念すること、摂食障害から脱することができないことで、「摂食障害の期間が長く続くこと」に大きな問題があると思っています。

過食症は依存症のひとつなので、1度過食症に陥ってしまうと、過食と嘔吐から離れることが難しくなるため、
気が付けば、私みたいに人生の半分以上を摂食障害と共に生きるなんてことになりかねません。

摂食障害の期間が長く続くことは、身体を痛めつけ、確実に健康寿命を縮めます。

何度もブログに書いていますが、これからは死のうにもなかなか死ねない時代です。病気をしても医療や薬剤の発展で「生かされてしまう時代」です。

生活習慣病などの慢性疾患を始め、突然倒れようが、癌になろうが、
摂食障害の後遺症が降りかかってこようが、
最悪の状況でも命は助けられ、健康寿命ではなく「平均寿命だけ伸ばされるような生き方」を受け入れざるを得なくなるかもしれないのです。

摂食障害は大人になるため社会で生きていくための成長過程にある壁なので、治療で治るものではありません。治療で壁を乗り越えさせてくれるかといったら、そんなことありえません。

摂食障害の最大の治療の場は社会にあると思っています。
社会に出て苦楽を味わい壁を乗り越えることが治療になると思っています。
過去のこと幼少期のことを昇華していける場が社会だとも言えます。
壁を乗り越えなければ、摂食障害からは解放されないと思っています。
それなりに時間がかかるのが当たり前です。

けれども、その治療の場である社会の傾向が、太っていることをマイナスと捉え非難めいたことを言い、
特に今は言葉だけを切り取って情報が流れていくため、言葉の意味が正確に伝わらないことも多いので、
摂食障害者が摂食障害を克服しにくい環境であることには間違いなく、

摂食障害に陥りやすい社会、摂食障害を克服しにくい社会で、
「痩せ」と「肥満」の栄養の二重負荷の問題はいつまで経っても平行線か、悪化の一途でしょう。

摂食障害に陥る原因、克服できない原因として、環境の影響は非常に大きいです。

「社会的に太っている人はダメなんだ」と言っておきながら「痩せすぎに注意」と言われたところでガン無視の話だし、
太っているより痩せている方が絶対的に得な世の中で「痩せすぎに注意」は伝わるわけないんですよね。

私は、勤務する特別養護老人ホームのご利用者様から時々「あなたは痩せていて羨ましいわ」と言われます。

戦後の日本、乏しい日本、飢餓と隣合わせで太りたくても太れない時代を生きてきた方々のセリフです。

時が流れ時代が変わると、羨ましいと思う対象も価値観も大きく変わるのです。

手に入りにくいものは尊く貴重で、
その手に入りにくいものを持っている人に憧れを抱くのが人間というものです。

「太りたいとは乏しい国に生きる人が思うこと」で、「痩せたいとは裕福な国に生きる人が思うこと」ということです。

日本の食糧受給率はどんどん低下し、食糧はもう既に他国頼みで、そこがどうにかなっている上での今の豊かさです。

日本の人口はこの先更に減少し、本格的な少子高齢化の時代がやってきますが、
世界人口はどんどん右肩上がりで食糧難の時代がやってくるともいわれています。

供給量が増して生産が追いつかないような事態になっても、気候が変動して作物が採れなくなっても、研究開発された新しい技術で何とかできてしまうのかもしれませんし、何とかならないのかもしれません。

過剰すぎる豊かさに警告を感じ、摂食障害も豊かさゆえの産物だと思うのに、
得ているものを失うことが不安になるのも、人間ですね。


だいぶ話がひっちゃかめっちゃかに脱線しましたが、
冒頭の「太っている人はリーダーになれない」という1文も、豊かすぎる国が発する呟きということかなとも感じられます。
日本では上司をイジる話のネタにもなったのでしょうね。

太ることより痩せることは難しい、
太っている身体より痩せている身体の方が手に入りにくい、
そんな環境である以上、摂食障害はなくならないという分かりきっている結論となりました。


今回も読んで頂きありがとうございました。

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