<閲覧注意>芸術論談義⑧ ~芸術感のある人と無い人の違いは何か?~

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4月末に執筆しようと思っていたのですが、先月は動画の依頼と体調不良が折り重なって、中々ブログが書けずにいました。
まあ言い訳はこんなところでしょうか。

夜はまだ少し肌寒いですが、日増しに春が濃くなっています。
今年のGWは3年ぶりに政府からの規制が無く、各所賑わっていると聞きました。
僕は特に出かけるわけでもなく、動画を作ったりという感じです。

この時期は毎年、バイクで秩父にツーリングに行くのですが、肝心のバイクが不調で今バイク屋さんに入院中になってしまっています。
修理から戻ってきたら行こうと思っている次第です。

そんなわけで今回も芸術論談義を書いていこうかと思います。


<芸術感とは?>

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まず最初に芸術感とは何か?という説明をした方が良いと思います。

「芸術」は以前のブログで語った通りです。
「芸術感」というのは、そういった一連の芸術に対して”自分の中に吸収し特定の情操を感じる能力”と定義します。

この感覚は人によって感じる方向性もちろん違いますし、感じる力、いわゆる分解能も人によって異なります。

ひとつは、作品についてより深い理解が出来るかという点でも、この「芸術感」に当てはまりますし、芸術に興味を惹かれるというのも同様です。

ざっくり言うと、「芸術に対して会話が出来る」感覚と言う事が出来ます。


ここがすごく大事なポイントです。
とあるアート作品を観たときに、そこに芸術を感じる事が出来るか?
「こんなの自分でも作れる」
「なんだこれ」
「特に興味無いな」
といった感情が先行してしまい、そこで終わってしまう。
この場合、芸術感が低いとなります。

反対に
「なんでこんな風にしたのだろうか?」
「どんな人がこれを作ったのだろう?」
「この部分でこういう事かな?」
というように、作品に対して疑問や自分なりの解釈が浮かんでくる人は芸術感が高い人です。

芸術に対して「会話」が出来る人というのは、あまりピンと来ない人が居ると思います。
芸術というのは、それが単体で成立しているわけではなく、観客に観てもらって初めて成立する分野です。
例えるなら、始めた会った人に対して
「この人はどんな人だろう?」
「何が好きなんだろう?」
「自分と同じくらいの歳だろうか?」
などその人に対して疑問が起こると思います。
対人では、自分の目の前にいる人が、ある程度は質問に答えてくれるので、関係性の深度が進みやすいという事です。

芸術と接するときは、作品は話してくれません。
正確に言うと、「作品が語っている」事をよく注意深く聴き、それについて自分なりの解釈によってまたその作品を観る。
この繰り返しが、芸術との会話となります。

しかし難しいのが、芸術作品の「語っている事」は人によって変わることもあります。
100人居れば100人が違う解釈をする作品も少なくありません。
それが間違っているかと言えば、そんなことはありません。
自分がその作品と接して、どんな感情があったかは、その人のただ一つの真実であり、それに正解や間違いというのは入ってこないのです。

つまりは、この「芸術感」というのは、芸術に対するコミュニケーション能力とでも思っていただいて良いと思います。


<芸術感はどこから来るのか?>

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では、こういった「芸術感」というのはどうやってやってくるのでしょうか?

ある日突然、雷に打たれたように”神からの啓示”があり才能に開花する人もいるにはいます。

そういった特例を除いて、僕は以下のように考えています。

◇その人の持つ芸術感(≒芸術力)
①先天的な才能 × ②後天的な環境因子 + ③自助努力 
= 芸術感(≒芸術力)

芸術力というのは、芸術感と近いですが、芸術力はその人の持つ芸術を外に発信する力の事を指します。

さて、3つの要素が出てきました。
ひとつづつ解説していきます。

①先天的な才能
これは、もう生まれ持った能力であり、それは自分にも他人にも変える事は出来ません。
多くは、両親が芸術分野で活動、活躍されていた人物で、そいうった芸術的素養の遺伝子を継ぐ場合が多いと考えられます。英語でいう所の「Gifted」という意味ですね。

②後天的な環境因子
これは、例えば両親にピアノや習い事を習わされるとか、もしくは自発的にある芸術分野に対して研究をして知識を増やしていくことに相当します。
自分の興味をより深堀擦るために、芸大、美大、音大に進学する事もこの②の延長線上と言えます。

③自助努力
そのままですね。芸術活動に対して、自助的な努力を継続して続ける事が出来るか?続けてきたか?という点です。
受動的な活動よりも、実際に作品を創ったり発表したりする方が、より高まると思います。


では、これらをまとめますと、
①×②₊③ という方程式から分かるように、①もしくは②の掛け算がその人の芸術感に大きく寄与する事が分かります。

いくら才能があっても、環境に恵まれず、芸術に触れる機会が無ければ、芸術家として花開くことは難しいでしょう。または大きく時間がかかると思います。

反対に、才能は人並みでも、周囲の人間が芸術に対して非常に積極的で、それに感化されて自分なりに努力を続けて花開くというケースも考えれます。

僕なりに考えたときに、芸術分野に関して、③である努力というのは、いわゆる「オマケ」みたいなものだと考えています。
世の中、決して努力無しには物事を成し遂げる事は難しいと思います。
絶対的に努力は必要です。
しかし、努力というのは、どこまでいっても「本人にとっての努力」という枠から外れる事はありません。
鼻血が出るほど努力したとしても、それが報われるかどうかは“運”による影響も多分に含まれている事があるからです。

だから努力というものは、いわゆる言葉の定義として努力として捉えずに、物事を進めるうえでの「前提条件」の様に考えていた方が多少気が楽になるように思えます。


<芸術感のある人、無い人>

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ここまでで、なんとなくでも芸術感の素性が見えてきたと思います。

そして今回の本題である芸術感のあるなしの人がいるのか?という議題に入っていきます。

究極な話をします。
人の心の中は客観的には観えないので、その人に芸術感があるとか無いとかの判断は、あくまでその人の行動や思想・言動によって判断されるしかありません。
ですので、ここで書いているのは「真実」ではなく「客観的事実」という事をご承知おきください。

先ほど記述した芸術感の方程式を観たときにお気づきになった方もいるかもしれません。
この方程式の残酷さを。

この方程式が正しいとすると、
①才能 または ②環境因子 どちらかが0だと最後の③努力のみしか残らないのです。

そんな人いるんかいな?
と思われるかもしれませんが、世の中一定数存在します。
別に彼ら彼女らが悪人というわけでもないので、僕は否定はしません。
でも、そいうった人達と僕は付き合いたいとは思わないというだけですね。

では、この①または②が0の人の特徴を挙げてみましょう。
1.独善的(利己的)
2.物事を白黒はっきりしたがる
3.人付き合いが下手(相手を慮れない)
4.ブランド主義
5.こだわりが無い。または少ない(なんでも良い精神)
6.人を利用する事に躊躇が無い
7.人に相談する事が無い。または少ない

どうでしょうか?
みなさまの周りにいますでしょうか?

一見すると、芸術と全く関係ない要素のように見えますが、実は大いに関係します。
芸術感とは、先ほど記載したように「芸術との会話」という事です。
つまり、物事を多面的に解釈し、「そういう見方もある」「ほかの人はそう考える」という様な広い視野で観る事が必要となる能力です。

1.2.3のように、自分にとってメリットのある事しか関心がない。
4.5のように、世の中で価値があると言われている物を盲目的に信じている
6.7のように、自分が思う事が正しいというひとつの観方しか出来ない。

まあ全部を持ち合わせている人がいるとしたら、かなり世の中生きにくそうですが。
こういった素養を持っている人は、すべからく芸術感は皆無となっています。

なぜなら、そういった人達にとって「芸術」なんて腹の足しにもならないし、観たところでなんのメリットにも繋がらないと考えてしまうわけです。

では、こういった人達が”悪人”なのか?と言ったらそんなことはありません。
その人にとって芸術は自分の人生に必要のない項目というだけで、その他の事でお金や時間や体力を使って生きています。
というよりどちらかというと、ワンマン社長や勉強が出来る人に多い傾向の様に思います。

そして残念ながら芸術感が0の人達には、どんなに芸術の素晴らしさを説いたところで絶対に理解出来ません。
それはもう生まれ持った素質ですから、あきらめる以外に道はありません。
というより、こういった人達は自ら芸術に近づいていく事はあまり無いので、アーティストにとっても特段問題にはならないのが救いとも言えます。


<まとめ>

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それでは、最後にまとめに入ります。

Q:芸術感のある人と無い人の違いは何か?
A:生まれ持った才能と環境因子。そして自助努力によって違いが生まれる

才能や環境と言って、切り捨ててしまうのはどうなだろう?と思う方もいるかもしれません。
しかし、現実として、この2つは残酷なまでにその人の人生を大きく左右させます。
だからと言って、この2つが無ければアーティストになれないかと聞かれれば、それは違うでしょう。

なぜなら、人生の最大の切り札「運」があるからです。
まあ才能や環境があるかどうかも運によって左右されますけどね。
この話も以前のブログで記載しましたので、宜しければご覧ください。

「運」を上手く使えるかどうかがアーティスト、いや職業に関わらずどんな物事を成し遂げる上で絶対に必要になる能力でしょう。


という所で、今回の芸術論談義は終わりにしようと思います。
お読み頂きありがとうございました。

次回は、「なぜ日本人は絵を飾らなくなったのか?」について書いていこうかと思います。

それでは、またいつの日かお会い致しましょう。


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