アダルト・チルドレンとは、本来は親がアルコール依存症である人で、親の依存症のために正常な親子関係を築くことが出来ず、親子役割が逆転してしまっている人のこと、とのことです。
しかし書籍では、アルコール依存にとどまらず、自分の空虚さを埋めるために子供を利用して子どもの中に入りこんできた親(特に母親)、そうした親と融合し自分の価値が分からなくなって苦しんでいる人について語られています。
アダルト・チルドレンとは、病名ではありません。
ので、誰かに「あなたはアダルト・チルドレンです」と判断してもらうものではない、と信田氏はおっしゃっています。
自分はアダルト・チルドレンなのだ、と思うなら、そうなのだ、そうです。
そして、自認することで楽になれるなら、それでよいのだ、ともおっしゃっています。
親子関係はアダルト・チルドレンに限らず、発達理論や精神分析などでも原因として取り上げられることが多いです。
私はそれに対して常々疑問に思っていました。
確かに親との関係が拗れたために大人になってもその影響から逃れられず苦しんでいる人はたくさんいます。その人達に「親子関係は原因ではない」と言うと、では自分のせいなのか、と怒ったり悲しんだりしますが、そうではなくて、そこに理由があるとしても、補完・置き換え・再生することは可能ではなか、と考えています。
氏も「
親子関係は起因」とおっしゃっていて、とても納得しながら読みました。
また、子どもを対象に共依存してくる母親、子どもを支配することで成り立つ親子のコントロール・ドラマ、全てまやかしで構成された機能不全家族など、今も大きく問題となっているキーワードがたくさん出てきます。一卵性親子もそうですね。
97年というとまだ平成一桁です。私は大学を卒業した年でした。バブルは完全崩壊し、私大文系女子など就職できるあてはありません。まだ「一般職」「総合職」の区分けがあり、インターネットも一部の人が使うだけ、携帯電話もです。情報を持っている企業が断然有利で、超買い手市場でした。女性など若くなければ何の価値もないと公言されていて、誰もそれに対して文句をいいません。
そのような社会の中で、専業主婦として夫と子どもが世界の全てである女性(母親・妻)が自立をしようとしても、一体どこへ手を伸ばせばいいのか分からない、非常に不自由な時代だったと思います。
それでも、今と同じような苦しみを、一人で抱え込んでいたのでしょう。その代償が子どもだったのかもしれません。または、自分の親から、代償として依存されていた人が親になっていた時代かもしれません。
その97年に、信田氏は
とおっしゃるのですからすごいです。
性の悩みについては、正直私は未熟者です。だから信田氏のおっしゃる「性の重要性」はよく分かりません。
ただ、無責任に好き放題する、と言う意味ではなく、
自分の本当の欲望や価値を知るためにもっと我儘になれ、無意味な我慢をするな、というのは令和の時代でも強いメッセージを発していると感じました。
あとがきの日付は1997年で、今から25年前です。多少のずれはあるものの、本の内容はほとんどそのまま現代の心の病像と合致します。
今なら多くの人が頷きながら読むと思いますが、25年前だと、相当センセーショナルな内容だったのでは、と驚きます。
これの前作『アダルト・チルドレン 完全理解』も入手予定です。
すっかり信田氏のファンになりました。