【あたしゃ一体どうすりゃいいの?】

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 他人から見た自分に対する評価を「他己
 評価」と称するが、単一ではなく複数の
 他人からの評価となると「多面評価」と
 呼び名が変わり、様々な視点により更に
 客観性や正確性の高い評価を行う可能性
 が高くなることがメリットだと言われる。
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 確かに、データが多ければ多いほどより
 正確に評価や絞りだしができるだろうし、
 評価される側にとっても、自身の改善点
 を考えたり、気づきを促す助けになろう。
 だが、その反面、評価者の人数が多いと
 集計が大変な上、評価される側にとって、
 複数の評価の中からどれを選択すべきか、
 という問題が発生するという難点がある。
 AさんとBさんから「あなたはこうする
 べき」と言われた内容が真逆であったら、
 誰でも、「どっちなの?」と迷うだろう。
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 某劇団の役者時代、こんなことがあった。
 公演中、共演者が台詞を忘れたので私が
 自分の台詞に「お前は~と言いたいのか」
 と自然な形でその台詞を付け足してその
 場を凌いだのだが、それが座長には気に
 入らなかったというのだ。どうして気に
 入らなかったのかという理由は忘れたが、
 はっきりと覚えているのは、「○○さん
 (劇団の看板役者)は、あれがいいんだ
 と言ってたけど、私はダメだと思う」と
 言われ、自分の評価だけを強調するなと
 座長にマイナス感情を抱いたことである。
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 昨年のM1グランプリでも、オズワルド
 に対して、松本人志は「『静の漫才』を
 期待していたので、後半に向かって煩く
 なっていったのが良くなかったと思う」、
 オール巨人が「ツッコミの彼(伊藤沙莉
 の兄⇒羨ましい!)が最初からもう少し
 大きな声でツッコんだらどうか」と全く
 真逆の評価をする、という場面があった。
 これを彼等がどう受け止め、芸の肥やし
 にしていくかは彼等次第であるが、変に
 迷うことなく自分達の良さを壊さないで
 ほしいものだと私は陰ながら思っている。
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 結局、とどのつまりは、「他己評価」や
 「多面評価」を謙虚に受け止めながらも、
 それには流されずに、自分自身で気づき、
 改善し、自分の信じる道に繋げていくと
 いう姿勢でいることが大切なのであろう。
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 駄文の御閲覧、心より感謝申し上げます。
オズワルド.jpg

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