別にこれはそういう理解できない人を馬鹿にするという意図ではないです。簡単にいえば、解像度をあげるために、そういう人の視点を理解する必要があるということです。
例えばサッカーのプロがいるとします。まあプロサッカー選手ですよね。この選手はサッカーが当然うまいので、サッカーが下手な人の気持ちが分からないかもしれないわけです。極端な話としてですよ。
例えば練習がしたいけどできないなんていったら、そんなことはなかった、好きじゃないんじゃない?なんて詰められる(笑)ならばやる気なくなっちゃうというか。
これはバッドケースです。実際は、適切なサービス、サポートというか声かけがあるんじゃないか。そこにファシリテーターとか、良い感じの「あいだ」というのがあると僕は考えています。
話を戻します。
情報に視点があるという話は先回書いたのですが、これを誰しも理解ができるか?というと一旦「?」として保留しています。
それが出来る人はアイデアを生み出すのに苦労しないけど、分からないから困っているんだという、いわゆる「アイデアの壁」または「アイデアの分断」みたいなのがあると。そこが明確に境界があって分かるとか分からないってはっきりしたものではないんですね。
これを絶望と捉えるか、希望かみたいな話ではないですが、俄然やる気になるというか面白いなあと僕は感じています。
そもそも何を見ているのか?
例えばニュースを見るとかって普通に言っていますが、僕はですが、それってなんなのでしょう?気になったニュースを教えてください、というだけでも全然違うものが人によって出てくるはずですよね。同じようなニュースがあってもですよ。
それがまさに個性であり、アンテナ、観察力という言葉になるんだと思います。
さらに、そのニュースでも、例えば政治でもビジネスでもなんでもいいのですが、ビジネスとすると、そのビジネスニュースが自分の仕事に関係があるからは合理的な判断です。でも、全く関係ないような、「門前町でやっているマルシェとかの特集」みたいなのがあったとして。それ関係ないから見ないとかもありですが、関係しているかどうかってぱっとした判断でもわからないんですよね。
はい。ここでそういう情報を何を得るか問題が出てくるので、ここを効率化合理化しすぎると、つまらないですよね。また全くできてないと、なんかダラダラ遊んでいるというか(笑)この問題は常にあるので、正解はないです。
ただ、人が見るものが違う、同じものを見ていても全く得るものが違う。
これだけでも、情報やニュースから視点を得ることというのはかなり「抽象度が高い」話かなと感じたんですね。
見た中で何を理解するか?
さらに見ている、読んでいる、理解している、何か得ている、などで全く人によって景色が違っているのではないかということを想像しています。
これらが少しでも見えてくると、アイデア出しという広い概念?見えないもので、とくにインプット→思考→アウトプットですね、その3フェーズで、インプットの段階で何が見えているか。そこが面白いところになりそうです。
つまりインプットフェーズで何を見ているかの違いを見えることで、よりアイデア出しの精度が上がったり理解が増えたりすると。
おそらく視点を得るにはある程度トレーニングが必要だろうという読みです。逆にやればできるのでそれだけなんですね。スケッチとかと一緒でやるだけというか。でもそれをやるだけというのが分かっていてもやれないというのもまた事実としてあるんだろうと思います。そこも踏まえてプログラムを作りたいですよね。
同時に世の中のことを正しく分かるなんてそもそもできない
これは分からないから理解しようとしなくていい、なんてことではなくて。
誰しも色々な主観、まさにユクスキュルか環世界という概念の話で合っているかと思いますが、色々な世界観で見ているので同じものなんてないんですね。たまたま噛み合ったりするとか、共通感があるというか。
それも踏まえつつ、違いを受け入れつつ、どうするとアイデアが出るか。ますます面白くなるなあと。そういうことを感じたという話でした。