【無料】話の最中に話しかけてくるお子さんについての考察の話

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ツイッターでご質問があり、それがとても私も身に迫るものであったので、記事にまとめていきたいと思います

「お子さんが会話の中で、話をさえぎって話しかけてきたり、話すべき場面でない時に自分の興味のあることばかり話す」

といった内容です

雰囲気のよめなさ

空気のよめなさ

暗黙の了解のよめなさ

支援の中でそういったことに直面したことは一度や二度ではありません
私自身の経験から、どのようなことが起こっていたか考察していけたらと思います
目次
●そもそも会話とはどういったものか
●お子さんの会話を特性的にみえると
・多動・衝動性の高いお子さんとの会話
・自閉症スペクタクル的特性のお子さんとの会話(ここでは自閉特性、アスペルガー特性としてまとめます)
まとめ


●そもそも会話とはどういったものか

支援の中で「会話とは何か」とよく考えていました
・自分と相手の気持ちをつなぐもの
・相手のことを知りたいゆえにできること
・言葉、目線、身振りで行うもの
・相手に気持ちが伝わると嬉しいもの
・目に見えないもの
・暗黙の了解があるもの

(順番性があること、相手を傷つけることを言ってはいけないこと、自分のことだけしゃべってはいけないこと、相手の話を聞くこと、相手は自分の考えが分からないこと、相手の話をさえぎってはいけないこと、関係ない話を唐突にしてはいけないこと、時間的制約があること等)

などなど、「会話」には多くの「要素」があり、我々はそれを無意識に行っているのです。ものすごく難しいことを人間は同時処理して行っているのです

そして、発達支援の領域で関わるお子さんは、

特性や、障害によって、こういった要素を満たすことができず、対人関係で重要な「会話」の部分で「躓き」や「挫折」をしてしまうのではないか

と考えています

特に「目に見えないもの」と「暗黙の了解があるもの」という「会話の要素」はお子さんにとって「分かりにくい」「実感しにくい」ものだと感じています

●お子さんの会話を特性的にみえると

私は人類はみな特性があり、障害があると考えています
そういった考えのもと、
特性が強く出ているとこういった会話の仕方になりがちになるなぁ
とお子さんとの関わりの経験から以下にまとめたいと思います

これは大人も例外ではなく、特性が出ているとこうなるものだと考えています
今回は理解の高いお子さんをイメージし、分かりやすく2つに大別して記述していきます
本当はここに知的、認知、記憶的な部分であったり、性格的なものも加味されると思いますが今回は割愛します

・多動・衝動性の高いお子さんとの会話
ADHD特性(多動・衝動性の高い)をもつお子さんとの会話で感じたのは
会話したいのだけど、衝動性が勝ちその場から離れてしまう、身体が動いてしまい思いを伝えられない

といった場面が多くみられました

物の貸し借りの場面でも、「貸して」という前に物をとってしまったり、会話の最中に目に移ったものに意識が向き移動してしまい意思の疎通が途切れてしまう

そういったことが活動中の「会話」(お互いの意思の伝達場面)で起こり、なかなか成立しないのです

無意識で、衝動的ゆえにそれを責められると「別に悪いことはしてないのに」と会話に自信を無くしたり、あきらめてしまうことお子さんもよくみられました

会話の要素自体は理解しつつも、衝動性がそれをすべてなかったことになるようなイメージです

・自閉症スペクタクル的特性のお子さんとの会話(ここでは自閉特性、アスペルガー特性としてまとめます)

自閉症スペクタクル的特性をもつお子さんとの会話で感じたのは、「人との関わりは好き」はベースにあるものの
・興味の幅の狭さ
・自他境界線の甘さ
・見えないもの(暗黙の了解)(相手の気持ち)の理解の難しさ
等といった特性や障害が会話に大きく影響しているように感じられました

自分の興味のあることの理解は高いのですが、
・それを相手に伝える際に上記の「暗黙の了解」に気付けなかったり、
相手の気持ちに気付けないで一方的に話し続けたり

・相手は自分と同じような理解を持っている前提での会話を続けたり
といった様子が伺えました

まとめ

冒頭での
「お子さんが会話の中で、話をさえぎって話しかけてきたり、話すべき場面でない時に自分の興味のあることばかり話す」といった行動も
お子さんの「特性」「障害」と「会話の要素」がかみ合わないために起こるものだと考えます

今回まとめたものはほんの一部で、実際はもっと様々な要素が複雑に絡み合っていると考えられます。それは大人であり、「障害を持っていない」と思っている人も同じことが言えます

例えば、大人同士での会話、面談、場面などで「記憶処理が線でなく点」「興味の幅の狭い」という人の特性と「時間的制約がある」という「会話の要素」がかみ合わなければ

「話が様々に脱線しながら一方的に興味のある内容を相手に何時間でも話し続ける」といった状態になることもあります

これは別に私は悪いことだとは思いません。様々な特性を持つ人がいるこの世界で、相手と話す多くの引き出しを持つことが本来必要なのです

事前に話す内容をまとめて紙に書いて視覚的に見えるようにしたり

終わりの時間を事前に示したり
タイマーをセットしたり
話す順番がわからなければ、話す人にボールなどをもって交換し合い、会話を視覚化したり…

「会話」という当たり前の行為でも、突き詰めると多くの引き出しを持てそうだと思いませんか?


以上になります
これからも少しづつ投稿していけたらと思っています
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