摂食障害の序章。「我慢」を覚えた幼少期

記事
コラム
おはようございます。

管理栄養士の ひとみ です。


プロフィールにもかかせて頂きましたが、
私は中学の時に何気なく始めたダイエットから
「摂食障害」になり、
長い間 自己嫌悪 と 苦しみ の中過ごしてきました。

そして、色々なものを失ってきました。


今、自分を振り返ってみると
当時は見えなかったものが見えてきて
解決への糸口が、いくつかわかりました。


そんな今の私に 何ができるのか?

今なお苦しんでいる方へ
何かできる事はないだろうか? 

そう考えて
過去の自分と向き合った私物語を
書いていきたいと思います。

必要として下さる方へ
読んで頂けたら幸いです。


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〜 幼少、小学低学年 〜

私を語る上で、とても重要な人物。

私の母親。
強い
完璧主義
厳格
倹約家
常識という言葉が好き

そんな母親の性格が形成された理由は
田舎の貧乏な家に生まれ、
3人姉妹の真ん中。

学校以外は、
田んぼ、家事、妹の世話など、
忙しいおばあちゃんのお手伝い。

「 高校に上がるとき、
『お金がないので制服を買ってもらえません』
と、中学の制服を着て、
先生に言わないといけなかったのが悔しかった。
色々言ってくる人もいたけど、
見返したくて勉強を頑張った!」
そんな強い母親です。


おばあちゃんはさらに強いです。 
「お金の切れ目が縁の切れ目」
「お金は裏切らないが人は裏切る」
と言う名言の持ち主です(笑)

そんなおばあちゃんに育てられた母なので、
我が家は倹約に倹約を重ねてきました。


幼心に、 
「 うちは本当に貧乏でお金がないんだ 」
と真剣に悩みました(笑) 


そんな母から産まれた私ですが、 
性格は真逆。
幼少の私は、
大人しい
人見知り
恥ずかしがり屋さん
自分から話しかけられず、いつも下ばかり向いていました。


自分の思っていることもなかなか言えず、 
いつも仕事で忙しいのに
私の事をしてくれるお母さんに感謝しながら、

「迷惑をかけてはいけない」

とずっと思っていました。



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当時の記憶で鮮明に覚えているのは、 
お母さんのお友達の家に遊びに行き
私は1人ノートに絵を描いてました。

本当はつまんなくて早く帰りたかったけども、
お母さんが楽しそうにお友達と話しているのを見て
何も言えませんでした。

帰り、
「 ひとみちゃん偉かったね 」
と褒められたのが、
すごく嬉しかったのを覚えています。

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この時に、
「 自分が我慢してれば人が喜ぶ 」
という事が私の中に 植えつけられました
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小学1年生の時、こんな事がありました。 

公園で友達とかくれんぼをしてたのですが、
大人しい私は鬼になり、
みんなが隠れるのを数えながら待っていました。

でも、コソコソと公園から出て行くの知っていました。
「 私といても楽しくないし、当然か… 」と。


このことを、 
親にも
先生にも
その友達たちにも言えずに
自分の心の中に、そっとしまっておきました。



こんな何も言えなかった私が、 
小学高学年〜中学入学で環境が変わることにより、
自分の優ってる部分が出てきて、
自己肯定感が生まれてきます。

次回、小学高学年〜中学生になった私を書いていきます。 
長い文章、最後まで読んで頂きありがとうございます。






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