ゆーりママが絶対に譲らないこと

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コラム
以前、車で酷い事故に遭いました。

深夜に居眠り運転のトラックに突っ込まれました。
信号待ちの3台がそのトラックに潰されました。

早朝の4時にです。

僕は幸いにも命に別状はありませんでした。
が、後ろの車の方は即死でした。

朝の4時です。
朝早くから、眠いのを我慢して仕事に行かれるところだったのでしょうか。
追突したトラックの運転手は逮捕されました。
それほどの重大事故です。

当時は就業環境がお世辞にも良いとは言えない時代です。
朝の4時です。
僕も眠気覚ましにコンビニでエナジードリンクを飲んでいたところです。
きっとトラックの運転手も大変だったと思います。
疲労が溜り、それが油断を生んだのだと思います。
傷が癒えるより早く、僕は警察で調書を取られることに。
僕はその担当警察官に(僕の主観ですが)ことの始終を語りました。
その内容をもとに、警官が調書にしたためます。
調書は「裁判所に提出されるためのもの」なので裁判官にとって「要するに」と内容を要約して「テンプレート」に納めなくてはならないのでしょう。
それでも、僕が話している内容と書かれているそれでは印象がまったく変わります。

僕は脚本を書く仕事も多く、それが現場で変更されたときにどのように変わるのかを見てきました。担当する演出家の解釈によって変わるのは当然なのですが「本質」が変わってはいけません。

その調書は「本質」にズレがありました。

しかし、それが改訂されることはありませんでした。
もっとも大事にされるのは「テンプレート」です。

サッと視て理解されるように、書式は決まっていて、内容も「読み手の経験則にあらかじめ用意されているものになるように」書かれています。
その調書をもとに、人の人生が決まってしまいます。

人の命が奪われたという事実はありますが、その問題と一緒に、疲れていた運転手の人生もあるのです。彼の将来も決まるのです。

この話を友人に話したところ「あたりまえ」と一喝されました。
企業で管理職を務める友人にとって、例えば上司に提出する書類は「テンプレート」でなくてはなりません。上司が一瞥をくれ理解できるもの。
認められるのはそうであることの一点。

僕にはどうしても許せなかった。

その「要するに」と要約し「テンプレート」に収められるという事実が。
「読み手の経験則に基づいた内容」にしなくてはならないということ。

人の言葉には、もっと奥深い心の動きがあるものです。

でも、今は「要約」ブームで昔の文学でも「要約」されています。
そうした「要約」が進んでしまうという事は、極論ですが「『レ・ミゼラブル』ってジャン・バルジャンが良い人って話」になってしまうという事です。

もっと、心の奥にある感情を、時には言えないでいることに耳を澄ます人に僕はなる。その時に誓ったことです。

なので僕はぜったいに「要するに」と言う言葉を使いません。
相手の言葉をひとつひとつ、また「言い間違い」の上げ足をとらずに、相手の気持ちに寄り添って傾聴する。


僕は「世界でいちばんあなたの話を聴くのが上手い人」になりたいのです。

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