期待にこたえたい
そういう思いは少なからず誰でも持っていることかもしれませんが、よく考えてみると、「人の期待に応える」ことと「自分の期待に応えること」は違います。
自分の期待に応える、というのは若干意味が分からないかもしれませんが、すごくかんたんに言うと「なりたい自分になる」ということ。
一方、人の期待に応える、と言うのは、自分がどうありたいかは置いといて、人が思う理想像を目指すこと。
それが一致すればそれは文字通り理想的ですが、必ずしもそうはならない。しかしHSPの人たちは、おおむね自分の思いを抑えて「人の期待に応え」ようと努力をします。
それは親の期待かもしれないし、仕事の上司の期待かもしれない。友達の期待だってあります。
順番でいうと「自分の期待」はかなり後回しになっているのではないでしょうか。
理想論かもしれませんが、やはり「自分がどうありたいか」これを主軸にするべきです。
中学3年の時、私は行きたい高校がありました。
しかし当時の成績的にやや難しいところでした。
そんな中、周りの大人たちが一押しした高校に半ば「流れ」で第一希望にさせられた。結果、その高校に入学することとなりました。
それは「それでもいいや」と思った自分にも責任があります。
しかし、もう20年たった今となっても「あの時自分の意思を貫いていれば」と思うことは少なくありません。
もちろんその学校に受かるとは限りませんが、「自分の意思を貫いた」と言う行為そのものがその後の自己肯定感に少しでも影響を与えたかもしれないと思っています。
仕事だってそうです。
上司に求められるまま与えられた職務を心身削ってこなしていく。
また一つの役職に就くと、自分の意志ではなくその上の管理職の意志によって自分を表現しなければならない。
いわば操り人形のようなもの。
そもそも組織と言うものは、HSPにとっては不向きと言われています。その繊細な気質を刺激する要素が詰まっているからです。それでも日本人の多くは組織と言う枠の中で生活費を稼いでいます。
「人の期待に応える」のはいわば仕事そのものと思うしかありません。ただ、人生そのものを「人の期待」に軸を置く必要もありません。生活の中で「自分の理想を追う」ことを忘れずに取り入れることです。
私はここ最近「自分軸」について考察してきました。共生社会の中ですべてを自分軸に置くことは「自分勝手」と言われてしまう。すべてを自分軸にすることはありません。ただ、逆にすべてを「他人軸」に置くこともありません。
生きていく中で、一つだけでも「自分の期待に応える」ことを入れておくと良い。
人の期待に応えるのも良いが、まずは自分の期待に応える。
例えば 猫の生き方を見習ってみては。
自分軸を貫いているではないでしょうか。