コレ、セッションをしてると結構いろんなお客さんが陥ってる事なんです。
インナーチャイルドを癒す、
ヒーリングを受ける、
マインドブロックを消す。
お金もかけて、
時間もかけて。
だけど、やってもやっても幸せにならない。
次から次へと問題が起こる、嫌なことに出会って自己嫌悪に陥って・・・
またヒーリングを受ける。
こんなサイクルに陥ってる人、結構多いです。
かくいう私も、ヒーリングを受けるとかじゃなく、自分でそのサイクルに陥っていました。
昨日の記事にも書いたんだけど↓
でもねー
マジで不毛なんですよ、コレ。
個人的には”灰色トンネル現象”と呼びたいこの仄暗い期間。
もしくはカンダタ糸現象と呼びたい。
癒されれば幸せになれる、豊かになれる。
力や知識があれば売り上げが上がる。
大変魅力的で、一見納得できる言葉です。
でも、言い換えれば
”癒されれば”、
”力があれば”、
その条件をクリアしなければ、幸せにはならず、売り上げは上がらないという事を暗に意識してしまってるってことなんですよね。
○○すれば△△になれると思っているうちは、それを手に入れようともがき続けます。
だけど、例えば海の中で手足をばたつかせたら泥が舞って視界が悪くなってしまうように、逆におぼれてしまうように、力が入れば入るほど体が重くなるのと一緒で私たちのエネルギーも重くなるんだと思います。
カンダタの場合は、地獄に垂らされた糸の上に行けさえすれば自分は極楽浄土に行けると思ったわけですが、私たちはそういう意味ではみんなカンダタなんでしょうね。
こういう時、仏教の説話とか、法話ってよくできてるなーと感心するんですが、じゃあこの藻掻くのではなく極楽に行くにはどうしたらいいか?ってことですよね。
私たちはカンダタであり、同じくブッダと同じという事にしたらどうでしょう。フィジカルな世界ではありえない!とされることでしょうが、量子力学の世界で言えばカンダタもブッダも私たちも皆、量子から構成されているし、同じエネルギーを同時に内包している存在と言えるかと思います。
ブッダが悟りを開く前は長い間、苦行を行っていました。
コレはカンダタが蜘蛛の糸を登ろうと必死になっていた時と似ています。
ブッダの場合は悟りを開こうとして苦行をしていたのですから。
だけど、苦行では悟りを開くことはできませんでした。
この苦行の一環に断食があるわけですが、ついに餓死寸前まで行った時、乳粥を食べて苦行では悟りを開けない、という事を悟ったんですよね。
つまり今まで縋っていたものを諦めて捨てた時、彼が目指していた悟りの境地にたどり着いた、という事。簡単に言えば。
お金が欲しい、彼氏が欲しい、○○がしたい・・・
そう思っているうちはそれが現実になっていないことにフォーカスをしています。
求めれば求めるほど離れていく・・・
よく言われることです。
別に良くないですか?
それがクリアできなくても、幸せになったって。
幸せにもっと簡単になったって。
インナーチャイルドが傷ついたままだって、
癒し切れてなくったって、
マインドブロックがあったって、
今のままの自分で幸せになったっていいんじゃないですか?
傷があるままで幸せになったっていいんじゃないですか?
大事なのってさ、傷を持ったままの自分を愛せる事なんじゃないのかな。
例えば、体の傷だったら過去に大やけどしちゃったり、怪我をしてその時の傷を持ってる人が幸せになっちゃダメだなんて言えないじゃないですか。
むしろ、今まで大変な思いをしてきたからこそ、今からは楽しんで、幸せになってほしい、って心優しい人ほどそう思うはずです。
心の傷だって一緒じゃないですか?
それが、他人なら幸せになってほしいと思うのを、自分に思っちゃいけないわけないです。
むしろ、どんだけ傷ついてその中で頑張ってきたかを知ってる自分だからこそ、そんな傷を持っている自分を認めて、励まして、愛してあげるべきなんじゃないでしょうか。
そして、傷を持ってる時って、体だって動かすのはシンドイですよね。
そんな状態で走れなんて言えないし、何なら絶対安静!ってなっちゃう。
なのに、心の傷にはもっと大きな結果を目指せってなっちゃいがちです。
いきなり大きなことしろとか、結果を出せとか、成功しろとか。
ちっちゃいことで幸せになったらあかんのかい。
チリツモでいつの間にか気づいたら幸せになっちゃってたじゃいかんのかい。
いつも通る道の桜がいつの間にか咲いてて、お気に入りのお店の新作ケーキが見た目通りの美味しさで幸せになっちゃいかんのかい。
物質ごっそり動かさんと幸せになっちゃいかんのかい。
多分これは、我々の先祖にも責任があってさ、
とにかく成功しろ、強い国であれ、いい結果を残せ、そのためにいい学校に行け・・・
そんな教えを血族ご一同様子々孫々と受け継いできたわけです。
そのおかげで日本は敗戦国でありながら経済的に豊かだし、世界随一の治安の良さを誇っていますから一生懸命その土壌を作り上げてきてくれたことは本当にありがたいし、感謝なんですが、
こと自分の子孫に対してのプレッシャーのかけ方はやり過ぎだと感じる事もやっぱりあります。
子供が親の付属品ではなく、一個人として尊重されるべきっていう風潮が出始めたのはそれこそ2000年くらいかなーと思うのですが、それまでは本当に家の付属品っていう扱いが多かったのも一因だと思います。
その中で育ったら自分の些細な幸せとか人と違う価値観を尊重するよりも、他の人から見た自分の価値を優先させるようになっちゃうのは致し方無いのかもしれません。
あと、自分が苦労したから下の世代も苦労しろや、って思って”自分の若いころは・・・”と苦労自慢をし始める上の世代がいらっしゃるのも一因かも。
頑張ったことは事実かもしれないけど、それを自分以外の誰かに強制するのは筋違いだと思うんだけど。
だけど、もうそれもええんじゃない?
令和ですもん。
他は他、自分は自分。
家族であっても考えてることが同じなわけじゃないし、完璧に自分のことを心の底から理解できる人なんていません。
そりゃ生まれ持ったホロスコープだって、経験してきたことだって違うんだから当たり前です。
他の人から見た幸せのゲージを満タンにしなくたっていいじゃないですか。
他人から見た優等生でいなくても、成功者でいなくてもいいじゃないですか。
自分の喜びや幸せが他の人と違う部分にあったっていいじゃないですか。
だってそれがアイデンティティだし。
自分のアイデンティティを大事にすると、他の人のアイデンティティも邪魔しちゃダメだな、って思うんですよ。
自分だって自分の幸せな時間を邪魔されたくないからこそ、他の人の幸せの時間を邪魔しちゃダメだって思う。
そうやって誰もが誰かの幸せの時間を邪魔しないで尊重できるようになること。
その幸せの時間を今度は披露したり、シェアしたりできる事。
それで経済的にももっと豊かになっていくこと。
それが起こりうるのが冥王星水瓶座の時代なんじゃないでしょうか。
癒されることに若干疲れてきた方。
癒しに使ってたお金を貯めて、美味しいものを食べて、本当に着たかった物を自分にあげてください。
癒されなくても、貴方はもともと魅力的で、もっと幸せになっていい人間です。
私が田舎に住んで四季を感じながら旬の野菜を食べて時々都会や海外に行ける事こそを贅沢だと個人的には感じるように、あなたにとっての”贅沢の形”も、もしかしたら貴方が今おってる形ではないのかもしれません。
でも、藻掻いてる間は気づかないものなんです。
癒されなくても、あなたのインナーチャイルドは貴方に気づいてほしくてずっと話しかけてます。
ってことで、インチャイと自分で話す方法として個人的に推してるSITHの過去記事を置いておきますね☆