ホ・オポノポノとは本来あるべきブループリントに自分の人生を戻す事を目的としたもの、と私は捉えています。
カードリーディングをしなくても、自分でブループリントに戻ることができる。
S セルフ=自分自身で
I アイデンティティ=自己を
T スルー=至らせる
H ホ・オポノポノ=ブループリントの道へ
これが、カフナ=ハワイの伝統をあえて破って、世界に新たなホ・オポノポノをもたらしてくれた偉大なるモーナ女史のホ・オポノポノ。
勿論、最初は慣れないかもしれませんが、何にだって最初は有ります。
最初っから上手くやろうとする必要はありません。
むしろ、悪戦苦闘しながら進む自分自身も愛おしい存在なのです。
ただ、現代社会で生きている人々は、何かと
上手くいくか、行かないか
正解か、不正解か、
普通か、普通じゃないか、
なぜか、そこにこだわり続けるのです。
ぶっちゃけ、魂レベルで見ると、それはどうでもいい部分なんですよね。
起きてる物事自体を通して、私たちは常に学んでいる最中なのです。
上手くいく場合には上手くいく場合のクリーニングするべきことがあります。
失敗したなら失敗したからこそできるクリーニングがあります。
どちらも、私たちに必要なクリーニングは今これだよ、と教えてくれているだけの話なのです。
自分以外の他者にどう思われてるか。
あまりにも、ここに縛られすぎています。
勿論、社会で生きている以上、ある程度の取り繕いは必要です。
だけど、自分の領分を超えてまで、他者のために見栄を張ったり、他者を変えようとチャレンジしようとする人が沢山います。
その結果、人との軋轢を抱えて、更に自分を苦しめる、という結果を招いている人がほとんどです。
他人は変えられない、変えられるのは自分(の視点)だけ
※心を変えるのは結構難しいので、まず、コレは逆に言えばどういうチャンスか、どういう風なメッセージを含んでいると思うかに注目すると良いです。
分かっているはずなのに、マウントをとったり、あくまで善意でアドバイスをしたりして、目の前の人の方針を変えようとします。
勿論、それが上手くいく場合もあります。
だけど、上手くいったなりのクリーニングするべきことがまた、発生するだけの事なのです。
この前もブログに書いたのですが、
私はホ・オポノポノのクリーニングは
スポーツ用の冷却スプレーだと思ってます。
頑張った心の筋肉痛を翌日まで響かせないための、アフターケアです。
試合に勝とうが、負けようが、アフターケアは欠かせませんし、事前の準備運動は必要です。
試合中だって、熱中症対策で塩分タブレットと水分補給はします。
クリーニングはいつだって、万全の自分を維持するためのツールです。
少なくとも、私にとっては。
コンクールの賞をとるとか、とらないとか、
予算がつくとか、つかないとか、
手に入るとか、入らないとか。
どっちに転んでも、魂的には延々と道が続いていく。
だけど、自分が、結果に縛られて、自分をいじめてるから、そこで道が途絶えたような気分になってしまうだけなのです。
アナタが、一生懸命やった末のその結果なら、それが0点だろうと、満点だろうといい。
一生懸命やったこと、それができた自分を褒められたらそれで。
一生懸命出来なくても、一生懸命やりたいとおもった向上心を褒めたらいい。
出来ない自分を虐めないで、何もしない、0の状態の自分を受け入れて、愛せたら、そこから芽吹く新たな可能性があるでしょう。
選択肢は無数にあるのに、AかBしか、見えなくなってしまってるだけなのだと思います。
それは、条件を考えたり、今の自分から見える夢、目標にいたる理想のプロセスで自分自身をがんじがらめにしているから。
そういうのをアカ・コードといいますが、ホ・オポノポノのクリーニングはそのアカ・コードをカットして、アナタを自由にしてくれる正義の剣のような側面もあります。
土の時代の考え方や、やり方がどんどん変わっていっていて、一人一人のアイデンティティに焦点が当たる時代になってきています。
自分の思考にがんじがらめになって動けなくなったとき、結果を考えてプレッシャーを感じたり、天井が低く感じた時は、ホ・オポノポノのクリーニングはアナタに視点の広がりとリラックスを与えてくれることでしょう。
ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています
これを感情を込めず、ただ心で唱え続けるだけで、心のしこりを溶かして楽にしていってくれるお得ツールです。
お金が要らず、自分だけで出来る。
正に、風の時代にフィットしたやり方だと思います。
沢山の人に行きわたって、日本中、世界中でクリーニングのことが気軽に話し合える時代になればいいなーと思う今日この頃です。