呪詛返し と 耳なし芳一

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 さて、調伏法で呪について書いたので「わあたまらん」と不安になられた方のために呪を返す法があることを述べておく。下手に呪や調伏を行ったりすると相手方も呪詛返しを行い八倍になって返すとか言われている。半沢直樹の倍返しよりすごい倍率だ。
 実際、呪詛と言っても、五寸釘で藁人形を打つなんてのはめったに見ない事項ではある。まあしかし、時々神社の境内では刺さった錆びた釘など見かけることがある。ないこともないようである。つい最近は国会前で安倍前首相に対して呪殺するとか坊主が並んで呪っていたが、ポーズであったろう、首相には鹿児島の坊さんが友人であり、3人で呪詛していたら17人くらいで呪詛がえしされたらまともに返って死んでしまう。3人の呪詛坊主が死んでいないというのはろくに効いていないということだ。また呪詛はのんびり座って数珠もって南無南無する方式ではない。
 ここまでしなくとも、逆恨み、嫉妬、などの妨害的心理が渦巻く社会の中で、いつの間にか、その嫉妬の先に「しねばいいのに」などと呪いの言葉に変わってしまっている人もいるのではないだろうか。まさにそれも心の中の呪であり、呪いの気持ちは必ず、その呪う相手の体調をおかしくしたり、うっかりミスを誘発する。だから呪われているほうもなんかおかしいなと気が付くのであるが、理由がわからない。呪われると体調不良、食欲不振、めまい、などが起こるが、夢でうなされるということもあり、うなされている相手をそこで見つけられるのは相当勘のいい人である。
 また呪うほうも嫉妬のあまり生霊の祟りを及ぼしたり、ドッペルゲンガーが歩き回ったりするようになるとこれはたまらない。生霊の祟りは幽体離脱して呪う相手に襲いかかっている場合が多い。この生霊の祟りは恋愛、職場などでリストラしちまった相手に感じることあまたではなかろうか。
 もし自分がそんな呪を受けている感覚があったら、呪詛返しを修法する、その時は呪を返してあげるなんて意識を持たず無念無想で行う。もちろん方位もしっかり規定されている。呪う人々から自分の体を消し去り、振り上げたこぶしの落としどころをなくしてしまうというかんじだ。
 耳なし芳一さんは、平家の怨霊たちが自分の平家物語を聞きに来た時に、怨霊に見えないように和尚様にお経を全身に書いてもらった。というお話がある。ちょっとでも無念無想の漏れがあるとそこがもがれてしまうという教訓でもある。
 もう嫉妬の原因が恋路で、変なところにばかり意識が集まっていたら、怨念が一気にそこに集中してもがれてしまうから、しっかり無念無想、解脱の境地を得て行ってほしい。
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