2022.10.05
このブログ記事の中でこんなことを書いている。
そして、「私の怒りはこころに盛る毒」だった。
だから、気づいたら思うことをやめる。楽しいことを考える。
便利なことに、ひとは怒りと快楽を同時に持つことはできない。
外から持ち込まれる怒りもある。
そんなときは、水に書いた文字のようにさらりと流して受け取らない。
「水に流す」をこんなときにも使う。
それでも怒りは残る。
「怒りのわけ」を誰かに説明しようとしても、言葉が見つからない。誰かに話せば少しは解放されるだろうが、この気持ちをどう伝えたらいいのか。
伝えることが出来ないなら、何処かに置くしかない。
置き場所は安全なところでなくてはならない。そうしないと毒となって、また他人を傷つける。
私は、身にあふれる「感情のやり場」を探していた。
こころの中に、「感情のやりば(置き場)」をつくっておこう。こんな動作をイメージしてみよう。
こころのなかに感情の置き場という収納庫がある。主に「怒り」を収納する
いまその収納庫のフタに手をつけて、ゆっくり開ける。そして怒りという感情を、中にそっと静かに置く。
このとき乱暴に投げ入れてはいけない。ゆっくりとやさしく…
置く動作(イメージ)をする間に、心は徐々に平静を取り戻す。感情の生々しさが抜けていく。
最後にそっとフタを閉める。
私の怒りの興奮はちょっと収まった。
そして理性的に、これからを考え始める。
怒りをもったとき、そんな自分の感情をどうするか?
思うことをやめて楽しいことを考えるのも、ひとつの方法。
「怒り」を水に書いた文字のようにさらりと流すこともひとつの方法。
そして今日新たな方法を手に入れた。
こころのなかに「感情の置き場」という収納庫をつくり、そこに「怒り」を収納する。
「怒り」を持つのが悪いんじゃない。
でもトゲトゲしい裸の感情は、触れるだけで他人を傷つけることがある。
だからこそ、その処理方法を持っていたい。
これは、ライフスキルのひとつです。
ライフスキルは、自分の心に対処するための能力です。
能力だから分らなければ知ればいい。出来なければ高めればいい。
これは、仕事を高めるマネジメントスキルと同じです。