祈り

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こんばんは。


娘がシェアしてくれた動画です。


このような時代があったのですものね・・・
生きるということ
改めて感じるひとときになりました。


そして、今生きているということ
また感じてることの表現はなかなか難しいけれど
個人的な過去というよりも
私たちは皆ひとつの壮大な記憶を
共有しているような感じがしていて
今このひととき
生きているというひとときは
すべてが重なり合ってるというような・・・


たくさんの思いや記憶を
忘れてしまっているけれど
その上に今がある。
引き継がれてきてる・・・


その重みや尊さを知ることも
できるのかもしれません。


全体と個人
空と色
内と外
精神と物質・・・


これらはどちらかだけに偏るということは
アンバランスなんだね。
最近、両方大切なんだと実感しています。
それが一致感という感覚が深まるはじまりなのでしょう。


この動画を観ていて
自然に生きてるというような
生命のエネルギーが湧いてきました。
祈るというが言葉にすると
ぴったりくるような感じがしました。


祈るということってどういうことなんだろうな・・・
という湧きが起きたので調べてみると


祈ることの本来はお願いすることではなく
神聖なもの、生命の宣言。
生命の根源の響きをことばにのせて
響かせる。
生命の根源から生きることだということでした。


お願いするという想念の力が消えたところから
本当の祈りがはじまるとも表現されていました。


この表現が今の私にはしっくりきます。


祈るときに手を合わせる合唱も
”あなたに捧げます”
そのような意味が込められているようです。


今生きているのは
”私が”生きてるのではなく
生命が私たちという様々な形を表現してる。
生きてる。


この生命が私たちを生きてるんだという感覚は
祈りと繋がるように感じました。


ひとつの生命を感じると
すべての生命に慈しみの気持ちが自然に生まれてきます。


全体、生命から表現されるこの世界のことも
少しずつ知れたらいいなと思います。
世界に奥深さを感じられる。


ご縁ある方から、無知の完全性と知の不完全性。
そんな表現が生まれました。


その表現から、ほんの少しだけ知の扉が開かれたような
感じがしているのでした。


祈りながらの合唱一つも
ぜんぜん今までの感覚とは違うものになりました。


なんとなくわかったつもりになってること
背後を感じてみると
また違う感覚からの景色が見えてくるかもしれませんね。


次何が湧くのかはわからないのですけどね^^
サラという存在が深めたい事
現れてくださいと問いかけておこうかな。













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