いつからか分からないのですが、
楽しい時間を過ごしていると
”泣きたいくらい切ない気持ち”
も同時に抱くようになりました。
20代 結婚する前、
毎日飲み歩くような生活をしてたんですけど…
お正月といえば、
5~10人くらいで勝手に集まって
勝手に解散する感じで、
誰かの家で雑魚寝していました
(友人は男ばかり)。
ゲラッゲラと
涙を流しながら笑っている時に
「来年はこのメンバーじゃないかもしれない。だから今、この人たちと居ることを思う存分楽しもう」
そう思って過ごしていました。
結婚してママ友がたくさんできた時、
桜の季節はマンションのすぐ裏の公園で
よく花見をしました。
「今日の午後はここでワインとおつまみ持ってお花見してる~」
とメッセージを流しておくと、
ワラワラ集まって気が付くと集団になっている、
みたいな感じです。
暖かい昼下がり
子ども達は勝手に公園で遊び、
大人たちは美味しいワインとおつまみを楽しむ
360度桜に囲まれ、
上を向いたら桜色と空の水色で、
下には桜のじゅうたんが広がり、
風が吹くたびにフワフワと桜の花が舞っている
「パーフェクトな花見だ」
と思って過ごし、そして
「来年も同じものを味わえるとは限らないので、存分に味わおう」
と
とても楽しいのに、
同時にとても切ない気持ちを味わった
これはたぶん、その昔(二十歳ごろ?)、
「人生が50年しかないとしても、その3倍の150年分味わい尽くしたい」
と思ったから
…
かもしれないし
大人になると
「今年と同じ来年は来ない」
ことを何度も経験するからかもしれない
何をしていても「これが最後」
と思うと切ないが、
それ故に日一日を大切に出来るし、
都合をつけて会ってくれる人たちに
心から感謝している。
すでにそうマインドセットされているので、
この習慣は止まらない
今日、今だと、
♢涼やかな一番よい季節を、
♢雨に濡れた緑の香りを、
♢いつかはここを去らねばならぬ、と思う心の痛みを、
3倍分強く濃く感じたい
人生50年だとしたら150年分、
それは過ぎたので…更新していこう(^^♪
60年、70年、80年しか生きられないとしても
180年分、210年分、240年分、
毎日「今、この時」を味わい尽くしたい。
ひとはこの切なさを「一期一会」の心持ち、
と呼ぶのだろうか?