はじめましてのご挨拶♡私のプロフィールをご覧ください vol.2

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◆たんたんのプロフィール公開 ~第2章~◆

こちらのブログを開いて下さり、ありがとうございます。

今回は、前回の続きをお話していきたいと思います。

幼少期から過酷な環境で生きてきた私の人生は、大人になってからも過酷を極めていくことになります…。

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~★私の経歴【23歳~30歳】編 ~★
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◆占い師のひとことで、父の元へ送りこまれる
うつ・パニック・言語障害でどんどん疲弊していく私を見て、困り果てた母親は、知り合いの占い師に相談をしたそうです。

当時、もちろん母親ともまったく口を聞けなかったので、さすがにヤバいと思ったのでしょうが、占い師?笑

今思うととても怪しい感じなのですが、どこの病院に行っても治らなかったので苦肉の策だったのでしょうね。

占い師は、「今の環境が悪い。環境を変えるしか治る方法はない。東京に行くと良いでしょう。」と、言ったそうです。(なんで東京だったのでしょうか?笑)

私はというと、その頃栄養失調とうつで思考能力はゼロだったので、占い師と母に言われるがまま、その頃たまたま東京に単身赴任していた父の元へ送り込まれることになりました。

友達も知り合いもいない、しかも大嫌いな父親との同居となると余計に具合が悪くなりそうなものですが、実はそんなことはありませんでした。

★友達も知り合いもいない=誰とも比べなくて良い
★父は仕事でほとんど家に帰ってこず、ほぼ一人暮らし状態=超自由
★新しい心療内科の先生とすごく相性が良かった

ので、わたしは少しづつ健康をとり戻していきました。

全く言葉を話せなかった私が、心療内科の先生に「ありがとうございます。」と言えたときは、自分も先生もびっくり!

満面の笑みで喜んでくださったのを、今でもはっきり覚えています。

◆家出&就職するものの、酷いパワハラといじめに合う◆

ほぼ一人暮らし状態とは言え父親との同居は、どうしてもいやでした。
父が帰ってくると自室の部屋に鍵をかけ、引きこもるほど笑

ということで、家出を決意しました。

そして就職活動をしまくった結果、東京の病院に内定が決まり、晴れて一人暮らしを始めることになりました。

しかし、パワハラが酷い上司や同じ課の社員からこれまでにないほど辛いいじめを受けます。(この時も女性ばかりでしたね…)

●仕事中にちょっとでもミスをすると「今日は何もするな」と8時間立ちっぱなしにさせられる。
●3時間個室に閉じ込められて、複数人からいびられる。
●就業中に「あんた頭おかしいんじゃないの?病院いってこい!」と精神科へ行かされる
●全員から無視されて仕事ができない

と、今思えば労基に訴えられそうなレベルのいじめでした。笑

しかし、私は小中学のときにいじめを耐え抜いた経験を活かして、何とか2年踏ん張りました。

そして、見るに見かねた人事課の職員から、移動を提案されます。
(↑これが、私の人生で1度目の転機になりました!)

移動先は、放射線課。“病棟クラーク”というお仕事を任されました。
業務内容は、基本的に入院中の患者様のお世話とサポート。

事務課でただ受付やお会計をしていたときとは全く違って、
直接的に患者さんと深く関わり、お困りごとを助け、感謝される毎日。

「仕事が楽しい!」「あっという間に時間が過ぎる!」「この仕事、私に向いているかも!」と、やっと自分の居場所を見つけることができました。

ただ、お給料はかなり少なく、月の手取りは約12万円。
住んでいたアパートの家賃は7万(1R)で、生活は常にギリギリ。(←年1回のボーナスで生き延びていました。)

ということで、週末だけ夜職(スナック)で働くことに。
意外と向いていたのか、平日も仕事終わりの同伴出勤で売り上げを得て、生活が潤いだしました。

この頃が私の人生で一番楽しかった時期だったと思います。

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~★私の経歴【31歳~35歳】編 ~★
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◆詐欺まがいのスカウトで芸能界に飛び込む◆

とある日、夜職で行ったカラオケに参加していた音楽業界の人に、「声が良い」「歌がうまい」「かわいい」(←ほんとか?)という理由で、オーディョンを勧められました。

やめておけばいいのに、遊び半分オーディションを受け、なぜか合格してしまい、小さな事務所に所属することになります。

その後、レコーディング・練習・ライブなどのスケジュールで忙しくなり、
大好きだった病院の仕事も、順調だった夜職も辞めることになってしまいました。

それでも「昔諦めた夢が叶った!」と幸せに思ったのもつかの間、ある事実に愕然となります。

お給料がほぼ無い。
(↑現代でいう地下アイドルのように、楽曲提供やライブの宣伝をしてくれる代わりに、箱代は自費。ライブチケットの売り上げの半分のみが私の手取りになるというシステム)。

今冷静になって振り返ると、詐欺まがいのスカウトだったと思えるけど、当時は応援してくれる事務所の人やお客さんに喜んでもらいたいという一心でした。

完全に「くそ真面目&サービス精神旺盛な性格」があだとなっていた、と今振り返ると思います。

◆自称音楽家という家庭持ちの男性と不倫関係になる◆

音楽活動が波に乗ってきた頃、私は同じ業界にいる家庭のある男性に告白されました。もちろんはじめは断っていました。

でも彼はしつこく言い寄ってきて、「俺の作った曲で君をスターにしてあげる」と言われてクラクラしてしまい、不倫関係がスタートします。

育ってきた環境のせいで、「上手くいく結婚関係なんてない」とはっきり思っていたので、罪悪感も無かったし、いづれ嫁とは別れるだろうなんてことを当時の私はのんきに思っていました。

しかし不倫関係はわたしにとってめちゃくちゃ過酷であることを、のちに知ることになります。

・どれだけ一緒にいても関係性は公に出来ない
・どれだけ同じ夜を過ごしても、彼は必ず家に帰ってしまう。
・私との約束より、家族のことを優先させる
・離婚は面倒だからしたくないと言われる

ひとりぼっちになったとき、「今、彼はお嫁さんや子供と楽しく過ごしているんだ」と思うと、苦しくてやるせない気分になりました。

・私に本気なら、どうして離婚してくれないの?
・私の事は遊びなの?
・どうして私を苦しめるの?
・もう関係を終わりにした方が良いのに、彼との時間をどうしても無くしたくない…

と、自分の中で葛藤し続けました。

そんな日々が続いたストレスの影響で、私はまたパニック発作とうつ病が再発しました。

もちろん歌うこともできなくなり、私は全てを失いました。

この頃から、彼はたくさんの女を連れまわすようになり、平然と浮気をしたり、私に暴力を振るうようになります。

殴ったり、飛び蹴りされたり、前歯を折られたり。
その様子を見た通りすがりの人に警察を呼ばれることもしょっちゅう。

とうとう耐えきれなくなった私は、事務所を辞め、彼との縁を切り、すべてから逃げるように実家へ避難することを決めました。

この時のわたしの心情は、「一回死んだな。」です。

スマホに溢れかえっていた友達や知り合いの連絡先や思い出の写真や動画はすべて消去しました。

安否を気遣って連絡をくれる人も、過去を連想させるので辛すぎてブロックしました。(連絡くれた方々、本当に申し訳ございません。)

何も無くなって空っぽの私は、15年以上過ごした東京の地を後にしたのです。

◆まとめ◆

第2章で終わるはずが、長くなってしまったので続きは次回のブログでお話いたいと思います。

今回は少し暗めなストーリーになってしまいましたが、最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。

30代半ばで挫折し、新しいストーリーが始まりますがさすが私の人生。
これでもかというくらい、まだまだ波乱万丈を極めていきます笑

またすぐにブログをアップいたしますので、興味をもってくださった方は
続きをお楽しみにお待ちください。



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